第46話「滅菌の光と、思い出の染み」
---
> **――清掃員は、ただ掃除をしていただけだった。**
> **それが今、「腐敗王」と戦う羽目になる。**
> **世界は汚れた。史上最悪の規模で。**
> **モップを持て。雑巾を絞れ。**
> **最後の清掃が、始まる。**
>
> **【第二章・開幕】**
---
---
**◆ ハクの襲来 視点 ◆**
最初に、色が消えた。
部屋の右半分が、白くなった。
白というより、無だった。
色も、質感も、温度も。
全部が、均一な「何もなさ」に変わった。
壁の模様が消えた。
床の傷が消えた。
カーテンの柄が消えた。
「……」
俺は手を止めた。
下書きの途中だった。
ペンを置いた。
白い空間の境界線に、人が立っていた。
背が高くない。
十代に見えた。
全身を、純白のスーツで包んでいた。
目だけが、見えていた。
色のない、透明な目だった。
「影山湊」
声も白かった。
感情が、何もなかった。
「あなたの清掃活動を観察してきた」
「……そうですか」
「非効率だ」
男が、部屋に踏み込んだ。
足音がしなかった。
「汚れを落とす、という行為は本質的に妥協だ」
「妥協」
「そうだ。汚れを落としても、汚れる可能性は残る。ならば」
男が、手を上げた。
手のひらが、白く光った。
「可能性ごと消せばいい」
壁の一部が、消えた。
物質ごと。
跡形もなく。
ただ、何もない空間が残った。
「原子レベルでの分解と再構成。不浄の可能性を持つ物質を、根本から除去する」
男が、俺を見た。
「あなたのやり方は旧時代の手法だ。拭いて、磨いて、洗って。それは汚れとの妥協だ」
「……」
「我々『ホワイト・エンド』は、妥協しない」
男の名前は、ハクと言った。
---
**◆ 影山湊 視点 ◆**
言いたいことはわかった。
理屈はわかった。
でも。
「それは清掃じゃないです」
俺は椅子から立ち上がった。
「消去と清掃は、違う」
「何が違う」
「全部消したら」
俺は部屋を見た。
壁に、小さな傷があった。
去年、棚を移動したときにできた傷だ。
「そこに住む人の思い出まで消えるでしょ」
「思い出は汚れではない」
「でも汚れと一緒に消えることがある」
俺はハクを見た。
「床の染みの一つ一つに、理由がある。こぼれたコーヒーの跡、転んだときの血の跡、子供が落書きした跡」
「不浄だ」
「そうかもしれない。でも、拭いて落とすのと、消去するのは全然違う。拭くのは汚れを取り除くことで、消すのは存在をなかったことにすることです」
「結果は同じだ。清潔になる」
「過程が違う」
ハクが、少し沈黙した。
「感情論だ」
「そうかもしれない」
俺は道具箱を開けた。
「でも俺は感情論で清掃してます」
「滅菌光線」
ハクが、手のひらを向けた。
光が来た。
強い光だった。
あらゆる物質を分解する、白い光。
俺は雑巾を取り出した。
古い雑巾だった。
もう何年も使っている、くたびれた一枚だ。
光を、受けた。
雑巾が、光を吸い込んだ。
「……」
ハクが、目を細めた。
「なぜ」
「強力すぎる漂白剤みたいなものでしょ、これ」
俺は雑巾を確認した。
傷んでいなかった。
「漂白剤は、正しく使えば道具になる。でも何でもかんでも漂白したら、色まで消える」
「それの何が問題だ」
「色のない場所に、人は住めません」
ハクが、もう一度手を上げた。
そのとき。
---
空が、変わった。
窓の外が、紫色になった。
一瞬でだった。
蛍光灯みたいな紫ではない。
もっと深い、腐ったような色だった。
「……」
ハクの動きが、止まった。
初めて、感情が見えた。
驚きではなかった。
恐怖だった。
「まずい」
掠れた声で言った。
「ザボの先遣隊が」
「ザボ?」
俺は窓の外を見た。
街の金属が、錆びていた。
見る間に、赤茶色に変わっていった。
車のボンネットが、街灯の柱が、建物の鉄骨が。
全部が、数秒で錆に覆われた。
植物が、萎れていた。
葉が、黒く変色していった。
「腐敗している」
ハクが、窓の外を見ながら言った。
「万物を腐らせる。エントロピーを意図的に増大させる深淵の存在だ」
「深淵の存在」
「腐敗王、ザボ」
ハクの声が、初めて低くなった。
「あれの清掃は」
ハクが、俺を見た。
透明な目に、何かが映っていた。
「あなたのモップでも、私の滅菌光線でも」
「……」
「今まで誰も、手がつけられていない」
窓の外の街が、紫の霧に包まれていた。
金属が錆び、植物が腐り、コンクリートが崩れていく。
空が、どこまでも紫だった。
キュウちゃんが、俺の肩に乗ってきた。
「きゅう……」
小さな声だった。
「わかってる」
俺は窓の外を見た。
「でも」
道具箱を持ち直した。
「腐れはただの汚れだ」
ハクが、俺を見た。
「根拠は」
「汚れたものは、必ず清められる。今まで全部そうだった」
「ザボは今までと違う」
「使ったことのない道具を使えばいい」
「何を使う」
俺は少し考えた。
「まず現場を見ないと、何が必要かわからない」
ハクが、長い沈黙の後に言った。
「……清掃の手順か」
「当たり前でしょ」
キュウちゃんが「きゅう」と鳴いた。
窓の外で、また何かが錆びた音がした。
紫の霧が、濃くなっていった。
漫画の下書きが、机の上に残っていた。
GKが飛び出すシーンの途中で、止まったままだった。
「あとで続きを描こう」
俺は呟いた。
まず現場だ。
清掃の仕事は、いつでも現場から始まる。
---
*次話へつづく*
感想を頂けますと大変喜びます。(豆腐メンタルの為お厳しい意見はご遠慮ください)
ブクマなどもしていただけると嬉しいです。




