第44話「お笑いの神様の祟りと、ファンベルトの摩耗」
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**◆ お笑い芸人・劇場スタッフ 視点 ◆**
「また出た」
楽屋で、若手芸人のツッコミ担当、大西が震えていた。
「声、聞こえたよな。あの、うめき声みたいなやつ」
「聞こえた」
ボケ担当の藤田が頷いた。
「しかも今日、喉が痛い。舞台に立ったとたん、ひりひりしてきた」
「俺も」
「呪いだって、先輩が言ってた」
「お笑いの神様の祟りだって」
楽屋に、劇場マネージャーの田中が入ってきた。
険しい顔をしていた。
「みんな、聞いてくれ。今日の公演、どうするか検討中で——」
「中止ですか!?」
「まだわからない。ただ、芸人さんの体調に関わるとなると……」
田中は続けた。
「神社に頼んで、お祓いを——」
「それ、必要ないと思いますよ」
田中が振り返った。
客席から来たのか、作業着の男が楽屋の入り口に立っていた。
肩に、小さな銀色の竜が乗っていた。
「お客さん……?」
「今日の公演、楽しみにしてたんですが」
男が、天井を見上げた。
「空調の吹き出し口、見てもいいですか」
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**◆ 影山湊 視点 ◆**
今日は休日だった。
推しの芸人、コンビ『どすこい大陸』の単独ライブがある日だ。
チケットを取るのに三回抽選した。
ようやく当たった。
楽しみにしていた。
「でも」
客席に入った瞬間、気になっていた。
空気が、重かった。
独特の、嫌な湿り気がある。
においも、少しカビっぽい。
「これは……」
俺は天井の空調吹き出し口を見た。
黒ずんでいた。
「ダクト内にカビが繁殖してる」
祟りとかじゃない。
カビの胞子が、空気と一緒に客席と舞台に送り込まれている。
それが喉に刺さって、芸人さんたちを苦しめていたわけだ。
「あと」
うめき声の正体も、わかった。
屋上に上がらせてもらえれば確認できるが、おそらく室外機のファンベルトが摩耗して異音を出している。
古い建物によくあるパターンだ。
「お祓いじゃなくて、空調の清掃と修理が必要です」
俺はマネージャーの田中さんに言った。
「そ、そうなんですか……」
「確認させてもらえますか。屋上と、機械室に行きたいんですが」
「……お願いしてもいいですか」
田中さんが、頭を下げた。
「今日の公演、どうしても成功させたくて」
「わかりました」
俺は道具箱を持ち直した。
「キュウちゃん、仕事になったぞ」
「きゅう」
キュウちゃんが、やる気満々に鳴いた。
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屋上に上がった。
室外機が、三台並んでいた。
全部、古かった。
「これか」
一番右の室外機から、かすかな音がしていた。
「ぎぎぎ……」という、金属が擦れる音だ。
「ファンベルトが摩耗してる。交換が必要ですね」
田中さんに報告した。
「それが……怪人の声だったんですね」
「はい。あと室外機全体の洗浄も必要です。フィルターが完全に詰まってる」
高圧洗浄機を取り出した。
宇宙清掃のときに改良したやつだ。
水圧の調整幅が広い。
室外機のフィルターに当てた。
汚れが、一気に吹き飛んだ。
「よし、次はダクト」
機械室に降りた。
ダクトの内部を確認した。
「ひどいな……」
壁一面に、黒カビが繁殖していた。
「これだけのカビが、ずっと客席に送り込まれてたのか」
俺は業務用の防カビ洗剤を取り出した。
ダクトの内部にスプレーした。
しばらく置いて。
高圧洗浄で流した。
「キュウちゃん、除菌ミストをダクトに向けて吹いてくれ」
「きゅう!」
キュウちゃんが、ダクトの吹き出し口に向かって、浄化の水ミストを吹き込んだ。
ダクト全体に、きれいな空気が流れ込んだ。
「うん、これで変わるはずだ」
ファンベルトは、田中さんが予備部品を持ってきてくれた。
交換は三十分で終わった。
全部の作業が完了した頃、開演まであと二十分だった。
「間に合った」
俺は道具をまとめた。
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**◆ 結末・しずくの配信 視点 ◆**
しずくは今日、たまたま劇場の近くにいた。
SNSで流れてきた情報を見て、急いでカメラを向けた。
「皆さん、聞こえますか」
しずくの声が、配信に乗った。
「渋谷の劇場で、影山さんが……空調を直しています」
同接が、みるみる上がった。
『え、また?』
『休日も働いてる』
『劇場清掃まで守備範囲なの?』
「屋上から、キュウちゃんが除菌ミストを散布しているのが見えます」
カメラが、屋上に向いた。
キュウちゃんが、小さな口から白い霧を吹いていた。
劇場全体に、霧が広がっていった。
『かわいい』
『キュウちゃん働き者すぎる』
『浄化ドラゴン』
公演が始まった。
しずくも、客席に滑り込んだ。
舞台に、芸人たちが出てきた。
コンビ『どすこい大陸』の二人だった。
ネタが始まった。
笑いが起きた。
大きな笑いだった。
客席が、揺れるほど笑っていた。
「空気が……違う」
しずくは呟いた。
澄んでいた。
ひりひりしない。
声が、クリアに届く。
芸人たちの声が、よく通っていた。
「これが……本来の劇場の空気なのか」
公演が終わった。
割れんばかりの拍手だった。
出口で、しずくは影山湊を見つけた。
満足そうに、道具を片付けていた。
「影山さん」
「あ、しずくさん」
「今日、来てたんですね」
「チケット取ってたんで」
「空調、直したんですよね」
「祟りじゃなかったんで」
湊が、道具箱を閉じた。
「それより」
湊の目が、少し輝いていた。
「どすこい大陸、今日めちゃくちゃよかったですよ。空気が綺麗になったら、声の通り方が全然違って」
「……影山さん、今日のお目当てはそっちだったんですね」
「そうです。チケット三回落ちてやっと当たったんで」
湊が、嬉しそうに言った。
「ちゃんと聞こえてよかった」
しずくは、配信画面を見た。
コメントが流れていた。
『救世主、劇場を浄化』
『推しの舞台のために空調を直す男』
『もはや歩くパワースポット』
『劇場関係者、全員お世話になった方がいい』
『チケット三回落ちてた件が一番人間らしかった』
「最後のコメント、私も同意します」
しずくが笑った。
「何か言いましたか?」
「いいえ」
湊がキュウちゃんを肩に乗せた。
「帰ります。次のライブもチケット申し込まないと」
「またここに来るんですね」
「定期的に空調確認もできますし」
「それが目的ですか、推しのライブですか」
「両方です」
湊が、劇場を出た。
渋谷の夜の雑踏に、作業着の背中が消えていった。
しずくは配信のカメラを下ろした。
「以上、渋谷から中継でした」
コメントが、まだ流れていた。
『歩くパワースポット、また伝説を残す』
『次のライブも来そう』
『劇場の守護神になってる』
劇場の看板が、夜の渋谷に輝いていた。
空気が、きれいだった。
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