第41話「神の玉座と、換気扇の油汚れ」
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**◆ 天界の神々 視点 ◆**
「ついに来る」
最高神ゼロスが、玉座から立ち上がった。
天界の大広間。
黄金の柱が立ち並び、雲が床を覆い、光が満ちる神聖な空間。
数万年、この場所は神々の座だった。
「宇宙を清め、天の川を浄化した者」
ゼロスは厳かに言った。
「我々は彼を、清掃の主神として迎え入れる」
神々が頷いた。
戦神、知恵の神、海の神、大地の神。
全員が、正装をまとっていた。
「しかし」
知恵の神アテナが、少し不安そうに言った。
「あの方は……我々の歓迎を、どう受け取るだろうか」
「問題ない」
ゼロスが言った。
「神の座への招待だ。断る者はいない」
「でも、あの方は……」
「問題ない」
扉が、開いた。
作業着の男が入ってきた。
肩に銀色の竜が乗っていた。
道具箱を持っていた。
大広間を、見渡した。
「うわ」
最初の言葉が、それだった。
「換気扇の油汚れがひどいな……」
ゼロスが、固まった。
「これじゃあ運気も下がりますよ」
「……え?」
「あそこの換気扇、見てください。油が炭化して真っ黒になってる」
影山湊が、天井の隅を指さした。
神々が、一斉に天井を見上げた。
「……」
「……」
「……気づかなかった」
アテナが、小声で言った。
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**◆ 影山湊 視点 ◆**
豪華な場所だった。
黄金とか、雲とか、光とか。
でも。
換気扇の状態が、ひどかった。
天井の隅の換気扇が、油汚れで真っ黒になっている。
フィルターの目が、ほぼ詰まっていた。
「いつから掃除してないんですか、ここ」
俺は換気扇に近づいた。
「数千年……かと」
白いひげの神様が、遠慮がちに答えた。
「数千年」
俺は絶句した。
「さすがにそれはいけない。火事になりますよ」
「し、しかし、これは数千年の歴史が刻まれた聖痕で——」
「いえ」
俺はきっぱり言った。
「ただの炭化した油汚れです」
「せ、聖痕では——」
「聖痕じゃないです。油が酸化して炭化したものです。放置すると発火するので、早急に対処が必要です」
神々が、ざわめいた。
俺はカバンを開けた。
セスキ炭酸ソーダを取り出した。
スプレーボトルに溶かして、換気扇に吹きかけた。
「少し置きます」
次に、宴会場を見た。
「……うわ」
また声が出た。
床が、ネバネバしていた。
「宴会のあと、拭き掃除してないですよね」
「神々の宴は——」
「床がべたついてます。これ、放置するとカビの原因になりますよ」
「し、しかし——」
「あと、あの鏡」
俺は大きな鏡を見た。
部屋の中央に置かれた、全身が映る鏡だった。
曇りきっていた。
水垢と油膜で、ほとんど何も映っていなかった。
「真理の鏡……ですか?」
「そうだ」
ゼロスが厳かに言った。
「あらゆる真実を映す、神聖なる——」
「水垢がひどいですね」
「……なんと」
「硬水の水垢は、アルカリ性の汚れなので、酸性のクエン酸で中和するのが一番です」
俺はクエン酸パックの準備を始めた。
「邪神の呪いが……その鏡を曇らせていると言われているが」
「呪いじゃなくて水垢です」
「確かか?」
「この白い曇り方は、間違いなくカルシウムの水垢ですよ」
俺はクエン酸を溶かした液をペーパータオルに染み込ませた。
鏡の表面に貼りつけた。
「三十分置きます。その間に換気扇と床をやります」
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作業を始めた。
換気扇は、セスキ炭酸ソーダを浸透させてからスクレイパーで炭化した油を剥がした。
「きゅう」
「そうそう、キュウちゃん。その角も」
キュウちゃんが小さなブラシで隅をこすった。
「きゅうきゅう」
「えらいぞ」
床はセスキ炭酸ソーダを薄めた液でモップがけをした。
ネバネバが、するすると取れた。
「うん、よく落ちる」
神々が、壁際で固まって見ていた。
「あの……」
知恵の神アテナが声をかけてきた。
「何か、手伝えることはあるか」
「では、あそこの柱を雑巾で拭いてもらえますか」
「かしこまった」
アテナが雑巾を受け取った。
「縦に、上から下に向かって拭いてください。横に拭くと汚れが広がります」
「……心得た」
戦神アレスも来た。
「私にも何か」
「あそこの天井を。段脚立の上から、モップを使って」
「了解した」
神々が、次々と道具を受け取って動き始めた。
宇宙の頂点に立つ存在たちが、雑巾とモップを持って掃除をしていた。
「きゅう」
「そうだな、キュウちゃん。掃除は人数がいると早い」
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三十分後。
クエン酸パックを剥がした。
「よし」
水垢が、きれいに落ちていた。
鏡の表面を、マイクロファイバークロスで磨いた。
円を描くように。
丁寧に。
鏡が、光を反射し始めた。
「仕上げの研磨をします」
俺は超音波洗浄機を取り出した。
宇宙仕様の、特注品だ。
鏡の表面に当てた。
振動が、残った汚れを浮かせた。
最後にクロスで拭いた。
「完成」
鏡が、輝いた。
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**◆ 神々の沈黙 視点 ◆**
天界の大広間が、静まり返った。
鏡が、輝いていた。
完璧な鏡面仕上げ。
曇り一つない。
神々が、鏡を見た。
自分たちの姿が、映っていた。
くっきりと。
誤魔化しなく。
「……」
ゼロスが、自分の顔を見た。
「……」
数千年、掃除をサボっていた顔が、そこにあった。
豪華な衣装の下の、疲れた表情が。
油汚れに慣れ切った目が。
全部、映っていた。
「これが……真理の鏡か……」
アテナが、呟いた。
「曇っていたときは……見えていなかった」
「そうだ」
ゼロスが、静かに言った。
「我々は……ずっと、曇った鏡を見ていた」
誰も、声が出なかった。
影山湊が、道具を片付けていた。
床がピカピカだった。
換気扇が、きれいに回っていた。
空気が、変わっていた。
「あの……」
ゼロスが声をかけた。
「影山湊よ」
「はい」
「汝を、我が後継者に——」
「あ」
影山湊が、スマホを見た。
「夜勤のシフトがあるので帰ります」
「……え?」
「22時から翌8時の夜勤が入ってて。もうそろそろ移動しないと間に合わない」
「し、しかし……神の座が——」
「天界は通勤時間が長すぎるのがネックですね」
影山湊が、道具箱を閉じた。
「次に依頼がある場合は、リモートで見積もりさせてください。現地確認は写真を送ってもらえれば」
「リ、リモートで……神の後継者の話を……」
「あと、定期清掃の契約もご検討ください。今日みたいに蓄積させてからだと、作業時間が長くなりますので」
「てい、定期清掃……」
「三ヶ月に一回くらいが理想ですね。換気扇は特に」
影山湊が、キュウちゃんを肩に乗せた。
「では、お疲れ様でした」
「ま、待ってくれ」
「何でしょう」
「神の座より……夜勤のシフトが……優先なのか」
影山湊が、少し考えた。
「夜勤手当が出るので」
「……そうか」
「22時以降は深夜割増になりますから」
「……」
「では失礼します」
影山湊が、歩き出した。
天界の光の中を、作業着で歩いていった。
道具箱を持って。
キュウちゃんを肩に乗せて。
神々は、その背中を見ていた。
ゼロスが、鏡を見た。
自分の顔が、また映った。
今度は。
少し、すっきりしていた気がした。
「……定期清掃の契約」
ゼロスが、小さく呟いた。
「検討するか」
天界が、輝いていた。
換気扇が、静かに回っていた。
夜の神々の宮殿に、きれいな空気が流れていた。
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