第39話「百億ドルの宇宙装甲と、袖がまくれない問題」
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**◆ 宇宙開発機構の科学者 視点 ◆**
「完成した」
主任研究員のドクター・ライトが、震える声で言った。
開発期間、六ヶ月。
投入予算、百億ドル。
世界三十七カ国の科学者、総勢八百名。
その英知の結晶が、目の前にあった。
「神聖宇宙装甲、タイプΩ」
チタン合金と魔法金属の複合素材。
重力無視システム内蔵。
絶対防御フィールド展開機能。
自己修復ナノマシン搭載。
どんな宇宙環境でも生存できる、人類史上最高の装備だった。
「影山湊氏に、これを」
ドクター・ライトは誇らしかった。
世界を救った男に相応しい装備を、自分たちが作った。
ガラスケースに収められた宇宙装甲は、光を受けて輝いていた。
「では、影山さんをお呼びしましょう」
扉が開いた。
作業着の男が入ってきた。
肩に小さな銀色の竜が乗っていた。
「どうもお疲れ様です。宇宙装備の件で来ました」
影山湊が、ガラスケースを見た。
一目見た。
「これ」
「は、はい!!」
「ポケット、少なくないですか」
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**◆ 影山湊 視点 ◆**
せっかく作ってくれたのはわかる。
すごく光ってるし、豪華そうだし、値段も相当かかってそうだ。
でも、現場で使う道具のことを考えると。
俺はもう一度、宇宙装甲を見た。
「胸ポケットが一個しかない」
「は?」
「スプレーボトル、スクレイパー、マイクロファイバークロス、ブラシ類、それだけで最低六個はポケットが必要なんですよ」
「そ、それは腰のベルトに——」
「あと、袖がまくれない」
「えっ」
「腕まくりができないと、細かい作業がしにくいんです。袖が邪魔で」
「し、しかしこの装甲は真空の宇宙空間で——」
「それと」
俺は装甲の表面を触った。
「これ、汚れたときにどうやって拭くんですか」
「……自己修復ナノマシンが——」
「外側じゃなくて、内側の汚れですよ。長時間着てると、汗とか汚れが溜まりますよね。それをどうやって清掃するか、考えてありますか」
ドクター・ライトが、固まった。
「……考えていなかった」
「現場の装備は、手入れのしやすさが大事なんですよ」
俺は正直に言った。
「せっかく作ってくれたのに申し訳ないんですが、今回は自分で用意してきたものを使います」
カバンから取り出した。
ホームセンターで買った、高所作業用のハーネスだった。
それと、自前の作業着。
キュウちゃんが少し魔法で補強してくれた。
袖に何カ所かポケットを増設した。
腰のベルトに、道具用のフックをつけた。
バケツを引っかけるループも追加した。
「これで行きます」
「……百億ドルの装甲より」
ドクター・ライトが呟いた。
「ホームセンターの装備を選ぶのか……」
「使いやすいので」
「ちなみにそのハーネス、おいくらですか」
「四千八百円です」
「し、四千八百……」
「セールで買ったので、定価は六千円くらいだと思います」
「百億ドルと、六千円か……」
ドクター・ライトが何か言いたそうだったが、俺は次の確認に移った。
「あと、高所作業従事者研修の話なんですが」
「宇宙飛行士の適性検査のことでしたら——」
「違います」
俺は手帳を開いた。
「労働安全衛生法の規定で、高さ二メートル以上の作業には特別教育が必要ですよね」
「……は?」
「宇宙は高所どころじゃないので、念のため確認したくて。俺、高所作業の資格は持ってるんですけど、宇宙の場合は何か追加で必要な資格がありますか?」
「そ、それは……宇宙飛行士のトレーニングが——」
「労安法の適用範囲を教えてもらえますか。大気圏外でも適用されますか?」
「……わからない」
「調べておきますね。万が一のときに、労災の申請が面倒になるといけないので」
ドクター・ライトが、頭を抱えた。
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「真空では呼吸が——!!」
別の科学者が声を上げた。
「真空状態では人間は数秒で意識を失い——」
「ガスマスクに酸素ボンベ繋げば同じでしょ」
俺は答えた。
「え?」
「密閉型のガスマスクに、酸素ボンベで供給すれば問題ないですよね。現場でそういう環境の時はそうやってます」
「で、でも宇宙服は全身を——」
「それより」
俺は本題に入った。
「無重力で洗剤が飛び散るのが一番の問題です」
「……洗剤が」
「スプレーボトルで洗剤を吹きかけると、液体が拡散してしまいますよね。無重力だと制御できない」
俺は手帳にメモしながら言った。
「飛散防止ネットを事前に張っておく必要があります。スペースデブリの清掃エリアを区画ごとにネットで囲んで、その中で作業する形にしたい」
「……それは」
「あと、拭いた汚れの回収方法も考えないといけない。地上なら重力でバケツに落ちますが、宇宙だと浮くので」
「……確かに」
「汚れ回収用のサブタンクを、腰のベルトにつけるのがいいかと思います。真空パック式で吸引する仕組みにすれば——」
「ちょっと待ってください」
ドクター・ライトが手を上げた。
「それ、非常に理にかなっている」
「現場経験があれば当たり前の発想ですよ」
「いや、我々は宇宙でのゴミ除去を、磁気や電磁波で考えていたが……物理的に拭き取るという発想が全くなかった」
「だって汚れは物質ですから」
俺は手帳を見せた。
「こういう段取りで考えてるんですが、どうですか」
科学者たちが集まってきた。
みんな、手帳を覗き込んでいた。
「……これは」
「現場の清掃手順書だ」
「宇宙工学の論文より実践的だ……」
「ゾーニングと、動線と……」
「このフローチャート、そのまま使えますよ」
科学者たちが興奮し始めた。
俺は少し嬉しくなった。
やっぱり現場の知恵は役に立つ。
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**◆ 神代(社長) 視点 ◆**
報告を聞いた。
「宇宙装備の件、影山殿はホームセンターのハーネスを選ばれました」
「……そうか」
「百億ドルの宇宙装甲は、ポケットが少なすぎるとのことで」
「……そうか」
「労働安全衛生法の宇宙適用について、法務部に問い合わせが来ています」
「……」
神代は窓の外を見た。
空が、青かった。
その向こうに、宇宙がある。
あの男が、近日中にあそこへ行く。
「ついに、宇宙か」
呟いた。
考えた。
地上では時給千二百円だった。
しずくが必死で上げようとしていた。
宇宙となると。
高所作業手当も必要だ。
夜勤が発生する可能性もある。
「時給、三千円に上げなきゃダメかな……」
いや、それでも足りない気がした。
でも影山殿は、どうせ「経費だけで結構です」と言うだろう。
「あの方には、価値というものが通じない」
神代はため息をついた。
その時、ドアが開いた。
「おはようございます!」
影山湊が入ってきた。
ハーネスを肩にかけていた。
キュウちゃんが宙に浮いて、後ろからついてきていた。
「神代さん、宇宙案件なんですけど」
「なんだ」
「高所作業手当、一時間につき五百円つきますか?」
目が、輝いていた。
本当に、嬉しそうだった。
神代は額に手を当てた。
「……つける」
「やった!!」
「キュウちゃん、手当がつくぞ!!」
「きゅう!!」
二人が喜んでいた。
神代は窓の外を見た。
(宇宙清掃を、あの温度感でやりに行くのか)
(宇宙よ、覚悟しろ)
空の向こうで、星がまだ光っていた。
どこか、遠慮がちに。
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