第37話「次元の亀裂と、24時間は触らないでください」
◆ しずく・掲示板 視点 ◆
「み、皆さん……」
しずくの声が、震えていた。
「今、影山さんが現場に到着しました……」
同接数が、モニターに表示されていた。
4,200万人。
過去最高記録を、すでに超えていた。
コメントが流れた。
『作業着だ』
『キュウちゃんもいる』
『世界の存亡をかけた現場にキュウちゃんがいる』
『なんか笑える、笑えないけど笑える』
次元の亀裂は、空中に浮いていた。
縦に裂けた暗闇。
端から端まで、百メートル以上はある。
周囲の空気が歪んでいた。
近づくだけで、精鋭のSランク探索者たちが膝をついた。
そこに。
作業着の男が、平然と歩いていた。
道具箱を持っていた。
「まずは養生からですね」
影山湊が、カバンからマスキングテープを取り出した。
コメントが止まった。
一瞬、全員が固まった。
『養生テープ』
『きた』
『マスキングテープできた』
『次元の亀裂にマスキングテープを貼る男』
『これが現代の英雄』
しずくは震える手でカメラを向け続けた。
「影山さんが……次元の亀裂の周りに……マスキングテープを……貼っています……」
◆ 影山湊 視点 ◆
まず養生だ。
コーキング作業の基本は養生にある。
テープを貼らずに作業すると、周りが汚れる。
仕上がりも汚くなる。
亀裂の左端にテープを当てた。
引っ張りながら、まっすぐ貼る。
「よし」
右端も貼った。
上下も貼った。
「きゅう」
「そうだ、キュウちゃん。まっすぐ貼れてるか確認してくれ」
「きゅう、きゅう」
「ここ少し曲がってるか。やり直そう」
丁寧に剥がして、もう一度貼った。
「よし、完璧だ」
コーキングガンを構えた。
業務用の、シリコン系コーキング材だ。
ホームセンターで一番密閉力が高いやつを選んだ。
「では始めます」
そのとき。
亀裂が、光った。
黒い光だった。
ものすごい圧力が、空気を揺らした。
亀裂の向こうに、巨大な目が現れた。
ぎょろりとした、赤い目だった。
宇宙の果てまで届きそうな声が轟いた。
「我は魔王ダークネス・ゾルディアス!! 数万年の封印を破り、ついに復活の時が——!!」
「うるさい」
俺は顔をしかめた。
「耳元で叫ばないでください。手元が狂うでしょ」
「……な、なんと……」
「作業中は静かにしてください。お願いします」
俺はコーキングガンのトリガーを引いた。
銀色のパテが、亀裂に流れ込んだ。
◆ 魔王 視点 ◆
数万年ぶりの光だった。
封印が、ようやく緩んでいた。
「今こそ復活の時!!」
力を溜めた。
次元の壁を、押した。
いける。
亀裂が広がる——
「ん?」
何かが、亀裂に入ってきた。
銀色の、粘着質なものだった。
「なんだこれは……」
押した。
押し返された。
「……?」
もう一度押した。
びくともしなかった。
「な……なんだこの粘着力は!?」
押した。
びくともしなかった。
「魔力が……物理的に……押し戻される!?」
あり得ない。
数万年の封印でも、少しずつだが押し広げることができた。
なのに、この銀色の物質は。
「な……なんという密閉力……!!」
亀裂がどんどん埋まっていった。
見えていた光が、少しずつ消えていった。
「待て!! 待ってくれ!! 今復活するところだったんだ!!」
向こう側から、小さな声がした。
「騒がしいな」
男の声だった。
「仕上げの作業中なんで、静かにしてもらえると助かります」
「仕上げ……だと……?」
「表面を整えてます。ヘラで均すと見た目が綺麗になるんですよ」
「そんなことはどうでも——!!」
「どうでも良くないです。仕上がりが汚いと、後でひびが入りやすくなります」
光が、どんどん遠くなった。
「まずい……まずい!! 今ここで封じられたら——!!」
「よし、きれいに仕上がった」
満足げな声がした。
「これで二十年は持ちますよ」
「二十年……」
「あ、念のため言っておきますが」
男の声が続いた。
「二十四時間は触らないでくださいね。半乾きになっちゃうから」
「は、半乾き……だと……」
「乾く前に触ると、そこからまたひびが入りやすくなるんです。プロとして言いますが、本当に二十四時間は我慢してください」
「我慢……?」
「お願いします」
光が、完全に消えた。
◆ しずく・周囲 視点 ◆
次元の亀裂が、消えた。
跡形もなく、消えた。
空が、青くなった。
世界中を覆っていた瘴気が、一瞬で晴れた。
しずくは、カメラを持ったまま固まっていた。
「……消えました」
掠れた声が出た。
「次元の亀裂が……消えました」
コメントが、爆発した。
『消えた』
『本当に消えた』
『コーキング材で魔王封印された』
『24時間触るなで草』
『魔王が半乾き説明されてる』
影山湊が、マスキングテープを剥がしていた。
丁寧に、ゆっくりと。
テープを剥がすと、仕上がりが綺麗になる。
「よし」
満足そうに頷いた。
「きゅう」
キュウちゃんが、ゴミになったテープをくわえて持ってきた。
「えらいぞ、ゴミはゴミ袋へ」
「きゅう!」
影山湊がゴミを袋に入れた。
それから、使った道具を丁寧に片付けた。
全員が、その姿を見ていた。
世界の首脳たちが、Sランクの勇者たちが、鑑定士たちが。
誰も、声が出なかった。
「お疲れ様でした」
影山湊が振り返った。
「領収書、後で出しますね」
空が、どこまでも青かった。
コメント欄の最後に、こんな書き込みがあった。
『魔王の最後の言葉が「半乾きだと……?」なの、ちょっと可哀想になってきた』
感想を頂けますと大変喜びます。(豆腐メンタルの為お厳しい意見はご遠慮ください)
ブクマなどもしていただけると嬉しいです。




