第34話「聖剣より強いラバーカップ」
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**◆ 勇者アーサー 視点 ◆**
「影山湊の弱点を探れ」
国王陛下の言葉が、耳に残っていた。
王国最強の勇者、アーサー・クロスフィールド。
Sランク認定。聖剣の使い手。二十三歳。
数々の魔王を倒してきた、この俺が。
「清掃バイトか……」
ギルド本部の裏口に立って、アーサーは顎を撫でた。
偽名は「アート」にした。
平凡な名前だ。
装備は普通の服。聖剣は鞄の中に隠してある。
「掃除など、聖なる光の一撃で終わる」
アーサーは口の端を上げた。
「あんな作業着の男の正体など、すぐに暴いてやる」
影山湊。
各国が血眼になって引き抜こうとしている謎の清掃員。
でも所詮は掃除屋だ。
俺が真剣に調べれば、一日で化けの皮を剥ぎ取れる。
「失礼します。清掃バイトに応募した、アートと申します」
裏口を開けた。
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**◆ 影山湊 視点 ◆**
新しいバイトが来た。
見た目が、良すぎた。
身長も高い。骨格が良い。肌がきれい。姿勢が完璧だ。
でも目が、なんというか。
「仕事ができる人間の目じゃないな」
俺は直感した。
育ちの良さそうな子が、どういう風の吹き回しか清掃バイトに来た感じだ。
まあ、仕事はやってみないとわからない。
「アート君か。俺が今日の担当、影山だ。よろしく」
「……よろしくお願いします」
なんか若干、高いところから見下ろすような目をしていた。
(プライドが高そうだな)
(まあ、新人はみんなそんなもんだ)
俺は廊下を指さした。
「まず廊下のモップがけから始めよう。道具はあっちに——」
「お任せください」
アート君が、スッと手を上げた。
「浄化の輝き——ホーリーライト!!」
廊下が、眩い光に包まれた。
「うわっ」
俺は思わず目をつぶった。
光が収まった。
廊下は、確かに……まあ、多少明るくなった気がする。
「どうです」
アート君が、得意げに言った。
「完璧な浄化です」
俺は目をこすった。
目がチカチカしている。
廊下の床を見た。
汚れは、残っていた。
「……」
「どうかしましたか」
「三つ言っていいか」
俺は言った。
「まず、掃除中に無駄に光るな。目がチカチカするだろ」
「し、しかし」
「次に、汚れが落ちてない」
「え」
「最後に」
俺はしゃがんで、床の汚れを指でなぞった。
「光を当てても、物理的に汚れをかき取らない限り、汚れは落ちないんだよ」
アート君が、固まった。
「汚れとは、物質だ。物質は物理的に除去しないといけない。光は汚れに関係ない」
「で、でも浄化の力が——」
「浄化の力がなんだ」
俺はモップを渡した。
「まずこれで拭いてみろ」
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アート君がモップを持った。
持ち方が、おかしかった。
「ちょっと待って、持ち方から違う」
俺はモップを受け取って、手本を見せた。
「柄はここに持って。力は入れすぎず、腰から動かす。わかるか」
「……わかりました」
アート君が、もう一度モップを持った。
さっきよりはマシだった。
「拭いてみろ」
アート君がモップを動かした。
「ちょっと待て、力が入りすぎだ。押しつけると汚れが広がるだけだぞ」
「しかし力を抜くと——」
「力を抜いた方が汚れは落ちる。何度言われてもわかんない人が多いんだよな、これ」
アート君が、む、という顔をした。
「次は雑巾だ」
俺はバケツと雑巾を持ってきた。
「雑巾の絞り方、知ってるか」
「当然です。こう——」
アート君が雑巾を横向きに絞った。
「それは横絞りだ。水が残りすぎる」
「え?」
「縦絞りだ。こう、両手を逆方向にひねる。余分な水が切れる」
俺はやって見せた。
雑巾から、ぎゅっと水が絞れた。
「縦と横で、残る水分量が違う。水が多すぎると床が滑るし、乾くのも遅くなる」
アート君が、しばらく雑巾を見ていた。
「……なぜ、それを知っているんですか」
「清掃員だから」
「でもそれは、魔法とは関係ない——」
「関係ない」
俺は頷いた。
「魔法がなくても、汚れは落とせる。それが清掃員の仕事だ」
アート君が、何か言おうとして、止まった。
「次はトイレだ」
俺は続けた。
「トイレの清掃で、一番大事な場所はどこだと思う?」
「それは……便器の中では」
「縁の裏だ」
「……え?」
「便器の縁の裏側。ここが一番汚れが溜まりやすくて、かつ一番見えにくいから後回しにされやすい。でもここを怠ると、臭いの原因になる」
俺はトイレブラシを渡した。
「やってみろ」
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アート君は、二時間かけてトイレ三個を掃除した。
最初は光の魔法を使おうとするたびに俺に止められ。
雑巾の絞り方を五回くらい訂正され。
縁の裏側を三回やり直しさせられた。
アート君の顔が、だんだん変わってきた。
(なんか、ちゃんとやろうとしてる)
若者はやる気を出したら早い。
「よし、三個目はまあまあだ」
「……まあまあ」
アート君が呟いた。
「私の聖なる力が、この男の前ではただの懐中電灯扱いだ……」
「何か言ったか?」
「いいえ」
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**◆ 周囲の視点 ◆**
そのとき。
トイレの奥から、音がした。
ぼこぼこ、という音だった。
「……?」
アーサーが身を硬くした。
音が大きくなった。
「ぐぼぼぼぼ——!!」
黒い液体が、便器から溢れ出した。
何かが、いた。
触手のようなものが、便器の縁を掴んだ。
「な……なんだこれは……」
アーサーは腰が引けた。
魔界の気配がした。
これは、普通の生き物じゃない。
「聖剣が必要だ……」
鞄に手をやった。
「また詰まらせたのか」
のんびりした声がした。
影山が、ため息をついた。
「これだから、古い配管は……」
影山がカバンを探った。
取り出したのは。
ゴム製の、柄のついた吸盤だった。
ラバーカップ。
スッポン、とも呼ばれる。
「おら、大人しくしろ!」
影山がラバーカップを便器に当てた。
ぼこぼこ、と音がした。
引いた。
押した。
引いた。
「んん——っ!」
押した。
ずるりと、何かが引っ張り出された。
黒い塊が、便器の奥から出てきた。
ピクピクと動いていた。
影山がビニール袋に入れた。
「はい、終わり。縁の裏ももう一回拭いとけよ」
「……」
アーサーは、固まっていた。
「あれは……」
掠れた声が出た。
「我が国でも手を焼いた、魔界の寄生生物……グリムネスト……」
「何か言ったか?」
「……いいえ」
アーサーはラバーカップを見た。
「聖剣でも、傷つけられなかった……」
「あれ、古い配管に住み着くんだよ。スッポンで対処するのが一番早い」
影山が道具を洗いながら言った。
「魔法で吹き飛ばそうとすると、配管が壊れるからな」
「……物理が」
アーサーが呟いた。
「聖剣より、強かった……」
「ん?」
「いいえ……」
アーサーは、トイレブラシを持ち直した。
「すみません、影山さん」
「何だ」
「縁の裏側、もう一回やり直させてください」
影山が、少し驚いた顔をした。
それからにこりと笑った。
「いいぞ。今度は最初からちゃんとやれよ」
「はい」
アーサーは、トイレに向かった。
目に、涙が浮かんでいた。
「王国最強の、勇者が……」
アーサーは呟いた。
「トイレの縁を……泣きながら……磨いている……」
でも。
不思議と。
清々しかった。
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