第32話「一万年放置のゴミ屋敷と、特殊清掃のプロ」
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**◆ 運営・観客 視点 ◆**
「緊急発表です!!」
大会運営委員長が、マイクを握った。
「影山湊選手の異常なスコアを受け、本大会では前例のない決断をいたします」
会場が、静まり返った。
「真の最終試練を解放します」
モニターに、映像が映し出された。
暗い。
とにかく暗い。
深淵のような暗闇の中に、巨大な構造物が蠢いていた。
「一万年前から存在する、浄化不能エリア。あらゆる魔法を吸収して成長し続ける生けるダンジョン……」
実況が、声を落とした。
「『深淵の汚泥宮』です」
観客席がざわめいた。
「浄化不能って……」
「知ってる、あそこに入ったSランク探索者が……」
「三十人、全員リタイアしてるやつだろ」
映像が切り替わった。
先ほど挑戦したエリート探索者たちが、次々と出口から這い出てきていた。
顔が白い。
全員、魔力が空になっていた。
「ここは……人間が立ち入る場所では……ない……」
リズが、震える声で言った。
「魔法が吸い取られる……全部……」
「Sランクの浄化魔法が……まるで効かなかった……」
カインが、地面に手をついていた。
「無理だ……あの中は……別次元だ……」
運営委員長が、深呼吸した。
「現在、この試練に挑戦を表明しているのは……一名です」
モニターが、ある選手を映した。
作業着の男が、現場入り口の前でメモを確認していた。
肩の子竜が、ガスマスクをくわえて差し出していた。
「影山選手、今のお気持ちは」
インタビュアーがマイクを向けた。
「ん?」
影山が顔を上げた。
「なんかここ、すごく汚いですよね。さっきのリタイアした方たちが出てきたとき、かなり消耗してましたし」
「はい、あの中では魔法が……」
「換気が全然できてないんですよ、きっと。密閉空間に長くいたら誰でも体調悪くなります」
「……そういう問題では」
「では、入ります」
影山がガスマスクを二重に装着した。
キュウちゃんも、小さなガスマスクをつけた。
「行くぞ、キュウちゃん」
「きゅう」
二人が、暗闇の中に踏み込んだ。
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**◆ 影山湊 視点 ◆**
「……ひどい」
入った瞬間、俺は絶句した。
壁一面が、黒い汚泥で覆われていた。
床も天井も、汚泥だらけだ。
空気が重い。
ガスマスクをしていなかったら、立っていられなかっただろう。
「一万年放置か……」
俺はスマホのライトをつけた。
照らし出されたのは、想像を絶する汚れの蓄積だった。
壁の汚泥が、一メートル以上の厚みになっている。
天井からは、汚泥が鍾乳石みたいに垂れ下がっている。
床は、足首まで汚泥に埋まりそうだ。
「リフォームどころか」
俺はため息をついた。
「特殊清掃の域だぞ、これ」
キュウちゃんが、俺の足元でぴったりとくっついてきた。
「怖いか、キュウちゃん」
「きゅう……」
「大丈夫だ。ひどい現場に見えるけど、やることは同じだ」
俺はカバンを開けた。
スクレイパーを取り出す。
金属製のヘラだ。
頑固な汚れを剥がすための道具。
それから、特製の洗剤。
強アルカリ性。
頑固な油汚れと有機物系の汚れに強い。
「まず壁から」
俺はスクレイパーを壁に当てた。
「魔法はなしだ。物理でいく」
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ヘラを壁に押し当てて、ゆっくりと引いた。
汚泥が、分厚い塊で剥がれた。
「お、結構落ちる」
手応えがあった。
スクレイパーのコツは、角度だ。
壁に対して十五度くらいの角度で当てると、汚れが浮き上がってくる。
もう一度。
また一度。
リズムが生まれてきた。
「そうそう、こうやって地道に」
汚泥の塊が床に落ちていく。
キュウちゃんが、落ちた汚泥に水を吹きかけた。
「上手いぞ、キュウちゃん。水で緩めてから剥がすと楽なんだ」
「きゅう」
「そうだ、覚えておけよ」
俺はスクレイパーを動かし続けた。
そのとき。
汚泥が、動いた。
「……ん?」
壁の汚泥が、まとまって動いた。
形を作ろうとしている。
目のようなものが現れた。
ぐにゃりとした口が開いた。
「……ぐああああ」
声がした。
怨念、というやつだろう。
一万年分の汚れが、意思を持ったものらしい。
「うるさい」
俺は洗剤をスプレーした。
強アルカリの液体が、汚泥にかかった。
「ギャアアアアア——!!」
「騒ぐな」
俺はスクレイパーを当てた。
「ご近所迷惑だろ」
ヘラを引いた。
汚泥が、大きく剥がれた。
「おとなしく落ちろよ、この頑固な油汚れめ」
「ひぎぃ……ひぎぃ……」
「泣くな、みっともない」
俺は淡々と作業を続けた。
洗剤をかけて、ヘラで剥がして、雑巾で拭く。
洗剤をかけて、ヘラで剥がして、雑巾で拭く。
繰り返す。
汚泥の怨念が断末魔の叫びを上げるたびに、俺は「静かに」と言った。
キュウちゃんが水を吹きかけた。
「きゅう!」
「そうだ、そこもやっておこう」
二人で、着実に進んだ。
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**◆ 敗北したエリート 視点 ◆**
モニターから、目が離せなかった。
リズは、映像を食い入るように見ていた。
「魔法が……使われていない」
カインが呟いた。
「ただの、ヘラと洗剤で……」
「魔法を吸収するはずの汚泥が」
「物理的な洗浄の前に」
「なす術なく」
「剥がれている……」
ドローンカメラが、内部の様子を映していた。
一万年の汚れが、みるみる落ちていった。
怨念の叫びが聞こえるたびに、影山の「うるさい」という声が聞こえた。
「騒ぐな、ご近所迷惑だろ」
「おとなしく落ちろよ、この頑固な油汚れめ」
リズは、自分の手を見た。
Sランクの浄化魔法を持つ、この手が。
何もできなかった場所を。
ヘラ一本で、進んでいく。
「……魔法が」
声が出た。
「魔法がいらない世界が……あるんだ……」
カインが、膝をついた。
「私たちの浄化魔法は……あの人の前では……」
「意味がなかった……」
「そうじゃない」
隣にいたドミトリが、静かに言った。
「意味がなかったんじゃない」
「……では?」
「俺たちは道具を選び間違えていたんだ」
ドミトリが、モニターを見た。
「あの人は……現場に合った道具を選んでいる」
「魔法を吸う相手には、魔法を使わない」
「ただそれだけだ」
「でも……それが……」
「俺たちには、思いつかなかった」
静寂が落ちた。
モニターの中で。
影山が振り返った。
「よし、換気して終わり」
窓を開けた。
新鮮な空気が流れ込んだ。
一万年ぶりの、光が差し込んだ。
宮殿が、輝いていた。
新築のように、きれいだった。
影山が、カメラに向かって言った。
「あの、大会の結果はどうでもいいんで」
「えっ」と運営委員長が声を上げた。
「ここ、今後のための清掃マニュアルに載せていいですか? 一万年放置系の現場向けに、ノウハウをまとめておきたくて」
運営委員長が、しばらく固まっていた。
「……ど、どうぞ」
「ありがとうございます。あと次回からは定期清掃を入れることをお勧めします。一万年放置はさすがに……」
影山が、呆れた顔で言った。
「大家さんの管理が、ちょっとひどすぎますよ」
「大家……さん……」
「では帰ります。キュウちゃん、道具まとめて」
「きゅう」
二人が、輝く宮殿から出てきた。
リズは、その背中を見た。
膝をついたまま、立てなかった。
「魔法がいらない世界……」
カインが、床に手をついたまま呟いた。
「俺たちは……何を磨いてきたんだろう」
誰も、答えられなかった。
一万年ぶりに光の当たった宮殿が、静かに輝いていた。
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