第30話「ワックスがけの床を汚した代償」
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**◆ 闇ギルドの暗殺者 視点 ◆**
「今夜、決行する」
闇ギルド『シャドウブレイド』のアジトに、低い声が響いた。
リーダーの男、コードネーム『死神の右手』ことレイスが、仲間を見渡した。
全員、Aランク以上の暗殺者だ。
「影山湊の活躍で、我々の仕事が激減した。魔王が消え、海神が消え、各地の魔物が消えた」
「商売あがったりですね」
「このままでは組織が瓦解する」
レイスは続けた。
「目標は二つ。影山湊の排除。そして古代海神の奪取だ」
「あの子竜、ペットとして高く売れますからね」
「侵入は夜明け前。非戦闘員が最も少ない時間を狙え」
「了解」
「毒煙玉で視界を奪い、暗器で仕留める。確実にやれ」
「「「御意」」」
レイスは口角を上げた。
いかに規格外と言われる男でも、眠っている隙を突けば——
翌朝、ギルド本部のロビーに侵入した暗殺者たちは。
開口一番、こう言われた。
「今ワックス塗ったばっかりだぞ!!」
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**◆ 影山湊 視点 ◆**
慰安旅行から帰ってきた翌日。
俺はギルドのロビーを、ワックスがけしていた。
旅行中に人が少なくて床が汚れていたので、朝から全面ワックスがけをしたのだ。
キュウちゃんも手伝ってくれた。
「きゅう」
「そう、そこの角もちゃんと塗るんだよ」
「きゅう!」
キュウちゃんはお掃除ロボットとして優秀だった。
小さい体で隅々まで動き回って、霧吹き代わりに水を吹きかけてくれる。
「よし、完成だ」
俺は立ち上がった。
ロビーの床が、朝の光を反射して輝いていた。
「うん、いい出来だ」
満足感。
清掃の仕事で一番気持ちいい瞬間だ。
そのとき。
ロビーの窓が割れた。
黒い影が複数、飛び込んできた。
着地した靴が、床についた。
泥だらけの靴が。
今ワックスを塗りたての床に。
「おい」
俺の口から、声が出た。
「おい待て」
暗殺者たちが何か叫んでいた。
「影山湊を殺せ!」とか言っていた気がする。
でも俺の目は、床しか見ていなかった。
新しいワックスの上に、泥の足跡がついている。
くっきりと。
何足分も。
「……おい」
俺の声のトーンが、変わった。
「今、ワックス塗ったばっかりだぞ」
暗殺者が毒煙玉を取り出した。
投げた。
ガスが広がった。
そして、なぜかぽいっと床に転がった空の容器が。
ワックスの床に、傷をつけた。
「しかも」
俺の目が、細くなった。
「泥靴で入ってきて、ゴミまでポイ捨てか」
「し、死ね——!!」
暗殺者の一人が突っ込んできた。
「どこの悪徳業者だ!!」
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暗殺者が刃を向けてきた。
俺はモップを横に出した。
足に当たった。
「危ないから走るな!! 転ぶぞ!!」
暗殺者が転んだ。
別の方向から、暗器が飛んできた。
俺は純金のちりとりを差し出した。
暗器が、ちりとりの内側にすっと収まった。
「ゴミはゴミ箱に捨てろ!!」
「な……なんで……」
「きゅう!!」
キュウちゃんが飛び出した。
口から、水流を吐いた。
聖なる浄化の水流が、毒煙に当たった。
煙が、消えた。
「おっ」
俺は振り返った。
「キュウちゃん偉いぞ、良い霧吹きだ」
「きゅう!」
キュウちゃんが嬉しそうに鳴いた。
「じゃあ俺はこっちを片付けるか」
俺はモップを持ち直した。
毒煙が薄れたロビーで、暗殺者たちがまだ動いていた。
「今度こそ——!!」
全員が一斉に動いた。
俺はモップを横に薙いだ。
一振り。
全員が、床に転がった。
「床が汚れる」
俺は転がった暗殺者たちを見た。
全部で、八人。
全員、ぴくぴくしている。
「やれやれ」
俺はため息をついた。
「キュウちゃん、こいつら拭いといて」
「きゅう」
キュウちゃんが一人ずつ、水を吹きかけて回った。
暗殺者たちの意識が、だんだん戻ってきた。
俺はその間に、汚れた床を拭いた。
泥の足跡を、丁寧に取り除いた。
暗器の傷を、ワックスで補修した。
「……な、何者だ、お前は」
レイスが震える声で言った。
「清掃員」
俺は答えた。
「そして」
俺は振り返った。
「ここは俺がワックスがけした床だ」
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**◆ 暗殺者・弟子 視点 ◆**
手も足も出なかった。
Aランクの暗殺者が八人。
全員、清掃員一人とマスコットの子竜にやられた。
「お前たちに言いたいことがある」
影山が、八人の前に立った。
「他人の職場を汚す人間は、清掃の基本からやり直せ」
何かを、渡された。
トイレブラシだった。
「え」
「ギルドのトイレが全部で十二個ある」
影山が言った。
「全部ピカピカにしてから帰れ」
「……は?」
「汚したら、掃除する。社会の基本だ」
「俺たちは暗殺者で——」
「今は清掃研修生だ」
影山が、特製のトイレ用洗剤も渡してきた。
「落ちにくい汚れには、これを使え。三十秒置いてからブラシでこするんだ」
「……」
「わかったか」
「……はい」
声が出ていた。
なぜか反射的に返事をしていた。
レイスは自分の口を押さえた。
「はい、って言った」
仲間の一人が呟いた。
「俺たちが、掃除のやり方を教わって……はい、って言った」
「……状況が理解できない」
「とりあえずトイレに行こう」
「そうしよう」
八人が、トイレブラシを持って立ち上がった。
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そのとき、ギルドの入り口が開いた。
蓮たちが出社してきた。
「師匠、おはようございます! 今日も……」
ロビーを見た。
ワックスがけされて輝く床。
その上を、黒尽くめの男たちがトイレブラシを持って歩いていた。
何人かは、すでに泣いていた。
「……え」
桐生が固まった。
「あの人たち……シャドウブレイドの人たちでは……?」
「裏社会のトップランカーたち……ですよね」
成瀬が掠れた声で言った。
「なんで、トイレブラシを……」
蓮は影山を見た。
影山は床の補修ワックスを塗りながら、キュウちゃんの頭を撫でていた。
「キュウちゃん、今日もよく働いてくれたな」
「きゅう」
「うまく霧吹きできたじゃないか。成長したな」
「きゅうきゅう」
ザルディウスが、蓮の隣に立った。
「……また、やっている」
「そうですね」
「先輩は」
ザルディウスが静かに言った。
「戦わずして人を動かす」
「……そうですね」
蓮は、トイレに向かっていく暗殺者たちの背中を見た。
一番後ろの男が、泣きながら洗剤を持っていた。
「師匠は……やはり次元が違う」
誰かが、呟いた。
ロビーの床が、朝の光を受けて輝いていた。
泥の痕は、どこにもなかった。
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