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第29話「古代の海神が、犬になった日」

---


**◆ しずく・弟子 視点 ◆**


「海だーーー!!」


しずくは砂浜に走り出た。


南洋の透き通った海。


白い砂浜。


ヤシの木。


空の青さと海の青さが、どこまでも続いていた。


「最高……!! 写真撮っていい配信していい!?」


「どうぞ」


神代が苦笑いした。


「ここ、影山殿が保養所にするって言ってたやつですよね」


しずくはカメラを構えた。


同接、今日は休日配信だから少なめにしよう。


「うわ、砂がさらさら!」


後ろから、別の歓声が上がった。


元魔王軍だった。


ザルディウスが白いリゾートシャツを着て、砂浜に感動していた。


「砂漠とは違う……この砂の質感……!」


「海、初めてなんですか?」


成瀬が聞いた。


「暗黒大陸に海はない」


「そうか……」


蓮は水着姿で腕を組んでいた。


「今日は師匠の休日だ。全員、警戒を怠るな」


「「「御意!!」」」


元魔王軍が、水着姿で直立不動になった。


しずくは思わず笑った。


「蓮さん、休日なんだから少し休んでいいですよ」


「師匠がいる場所に、警戒不要はないです」


「まあ……そうですね」


しずくも認めた。


その時。


「ねえ」


桐生が声を上げた。


「あの岩、なんか変じゃないですか」


全員が、海の方を見た。


「……岩?」


ビーチの奥、沖合に巨大な影があった。


影というか、山だった。


島の面積より大きい。


苔と藻とフジツボで覆われた、黒い岩山。


それが海に浮かんでいた。


「あれ……昨日はなかったですよね」


「なかった」


「なんか、動いてます……?」


神代の顔が、固くなった。


「全員、下がれ」


低い声だった。


「あれは……」


「知ってるんですか神代さん」


「伝説の域の存在だ」


神代が、砂浜に一歩踏み出した。


「古代に封印されたはずの……海神、リヴァイアサン……」


「かいしん」


しずくの声が、引きつった。


「封印が……解けた、のか……」


砂浜に、沈黙が落ちた。


---


**◆ 影山湊 視点 ◆**


着替えていたら、なんか外が騒がしくなった。


俺は水着にエプロン姿で、小屋から出た。


今日のメインイベントはBBQだ。


食材は昨日のうちに買い込んでいる。


肉、野菜、魚介類。


完璧な準備だ。


「さてビーチに机を——」


海を見た。


「あ」


でかい岩があった。


ビーチの正面に、島より大きい岩が浮いている。


藻がびっしりついていた。


フジツボも。


苔も。


長年放置された感じの汚れが、全体を覆っていた。


「邪魔だな」


俺は率直に思った。


せっかく景色がいいビーチなのに、正面がこれじゃ台無しだ。


しかも汚い。


「保養所のビーチにこんなのがあったら、気持ちよく泳げないじゃないか」


俺は小屋に引き返した。


昨日、荷物を運ぶついでに持ってきておいた。


家庭用高圧洗浄機。


ホームセンターで買った、ケルヒャーみたいなやつ。


「遊ぶ前に軽く掃除しておこう」


俺は機材を引っ張り出した。


延長コードをつないで、ホースを伸ばす。


「よし」


岩に向かって、水流を当てた。


---


強い水流が、岩の表面に当たった。


藻が飛んだ。


フジツボが剥がれた。


汚れが流れ落ちた。


「おお、よく落ちる」


やっぱり高圧洗浄機は便利だ。


モップより広範囲をカバーできる。


俺はホースを動かしながら、岩全体に満遍なく水流を当てた。


そのとき。


岩が、動いた。


「ん?」


俺は手を止めた。


岩が、ゆっくりと動いていた。


「動く岩か」


俺は首をかしげた。


珍しい。


でもよく考えると、フジツボがついてる時点で長年水中にあったわけで、潮の流れで動くこともあるか。


「まあいいか、汚れを落としてから移動してもらおう」


俺は再び高圧洗浄機を当てた。


岩が、さらに大きく動いた。


目が開いた。


「……うわ、目があった」


赤い目が、こちらを見ていた。


巨大な口が開いた。


「って、生き物か!」


すごい声が出た。


波が起きた。


砂浜にいたみんなが、後退したのが見えた。


でも俺は、岩……じゃなくて生き物をよく見た。


体中に、汚れがびっしりついていた。


数千年分はありそうな。


苔の下に、別の苔がある。


その下に、また別の何かが積み重なっている。


「これは……かゆいだろうな」


俺は同情した。


こんな汚れがこびりついていたら、どれほど不快か。


「ちょっと待ってください、落としますね」


俺は高圧洗浄機を、今度は優しい水圧に調整した。


それから、ブラシを取り出した。


「そこ、痒いですか?」


---


**◆ 周囲の視点 ◆**


しずくは、砂浜から動けなかった。


古代の封印が解けた海神。


伝説では、現れた日に世界の半分が海に沈んだと記録されている。


その存在が。


影山に、ブラシでゴシゴシされていた。


「……」


「……」


「……」


誰も、声が出なかった。


影山がブラシを動かすたびに、海神の体から汚れが落ちた。


黒いものが、海に溶けていった。


瘴気が、消えていった。


呪いが、解けていった。


海神の色が変わった。


黒から、深い青へ。


深い青から、透き通った銀色へ。


「そこ、フジツボが根を張ってますね」


影山がブラシを当てた。


海神が、びくっと揺れた。


「痛かったですか? でも残しておくと後で痒くなりますよ」


もう一度、ブラシ。


海神が、小さな声を出した。


「……うう」


「もうちょっとです。我慢してください」


ブラシが、丁寧に動いた。


「よし、最後に高圧で流しますね」


水流が当たった。


残っていた汚れが、全部流れ落ちた。


海神が、光った。


銀色の鱗が、太陽の光を反射した。


そして。


「……あれ?」


しずくが目をこすった。


海神が、小さくなっていた。


さっきまで島より大きかったのに。


どんどん小さくなっていた。


手のひらサイズになった。


「きもちいいぃぃ……」


可愛い声がした。


手のひらサイズの子竜が、そこにいた。


銀色の、ぴかぴかの、小さな竜。


影山が手を差し出した。


子竜が、その手に乗った。


「よし、ビーチもきれいになったし」


影山が振り返った。


「BBQ始めるぞー」


子竜の頭を、撫でた。


子竜が「きゅう」と鳴いた。


しずくの隣で、ザルディウスが崩れ落ちた。


「古代の海神が……」


蓮が砂浜に座り込んだ。


「手のひらに……」


「犬みたいに懐いてる……」


桐生が頭を抱えた。


「え、なんで」


「なんでって」


成瀬が遠い目をした。


「師匠だから」


「そうだな」


全員が、静かに頷いた。


影山が炭に火をつけ始めた。


子竜が肩の上に乗っていた。


「じゃあ肉から焼くか。みんな集まれー」


のんびりした声が、ビーチに響いた。


蓮が立ち上がった。


「……乾杯しよう」


「そうですね」


しずくが、飲み物を持ってきた。


全員がグラスを持った。


影山が、子竜を抱えながら参加した。


子竜も「きゅう」と鳴いた。


「では」


神代が、珍しく穏やかな顔をして言った。


「慰安旅行に、乾杯」


「「「乾杯!!」」」


声が揃った。


南洋の空に、笑い声が響いた。


ビーチは、きれいだった。


どこまでも、透き通った青が続いていた。

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