第22話「世界規模の相見積もりと、水垢の悩み」
◆ 神代 視点 ◆
朝から、頭が痛かった。
原因は明白だった。
ギルド本部の応接室に、木箱が積み上がっていた。
金塊。
銀の延べ棒。
宝石の袋。
そして一番上に、羊皮紙の巻物。
「グレイシア帝国から届いた『太陽神へのお布施』だ」
副ギルドマスターが疲れた顔で言った。
「金銀財宝の他に、名誉大公位の任命状と……南洋のリゾート島の権利書が入っています」
「島か」
「はい。面積は淡路島の約二倍だそうです」
神代は目を閉じた。
「他には」
「ロビーが、暴動寸前です」
神代は目を開けた。
「詳しく」
「影山殿の帰還情報が各国に漏れました。特命全権大使が十七カ国分、ロビーで待機しています。全員、現金の入ったジュラルミンケースを持参しています」
「警備は」
「限界です。我々の精鋭が抑えていますが、各国の大使たちが『先に謁見させろ』と押し合いへし合いで」
神代は額に手を当てた。
扉が、ノックされた。
「神代さん、ただいまー。無事に帰りました」
のんびりとした声だった。
神代は静かに言った。
「入れ」
◆ 影山湊 視点 ◆
VIPルームに通された。
帰国の報告をして、出張費の精算をしようとしたら、神代さんが木箱を指さした。
「グレイシア帝国から届いた。お前の出張手当だそうだ」
俺は箱を覗いた。
金塊があった。
「へえ、最近は現物支給もあるんですね」
「……そうだな」
神代さんの声が、少し疲れていた。
巻物を開いた。
「名誉大公……? なんですか、これ」
「貴族の位だ」
「俺が?」
「お前が、らしい」
俺は巻物を丁寧に巻き直した。
「あの、これ、俺一人で受け取っていいんですか。会社に帰属するものでは」
「島は?」
神代さんが一枚の書類を差し出した。
権利書、と書いてある。
「南洋の島だそうだ。面積は淡路島の約二倍」
「島……」
俺は少し考えた。
「これ、会社の保養所にしましょう」
「……お前が受け取っていい」
「いや、俺一人じゃ広すぎますよ。社員旅行とかに使えば経費にもなるし」
神代さんが、何か言おうとして、やめた。
俺はカバンから包みを取り出した。
「あ、そうだ。お土産持ってきました」
テーブルに置いた。
白くて長い、骨のようなもの。
「氷竜の牙です。崩れるときに一本転がってきたんで持ってきました」
「……国宝レベルの素材だが」
「かき氷の氷柱にちょうどいいかなと思って。夏に使えそうじゃないですか」
神代さんが、ゆっくりと目を閉じた。
開いたとき、諦めたような静けさがあった。
「ロビーに、各国の大使が来ている」
「お客さんですか」
「お前に会いたいそうだ」
「じゃあ行きますか」
ロビーに出た瞬間、空気が変わった。
十七人の外交官たちが、一斉にこちらを見た。
「「「影山殿——!!」」」
声が揃った。
全員が、同時に動いた。
「次は我がアルテミア共和国へ!!」
「いや、我が国の方が被害が深刻で——」
「順番を守れ、我々の方が先に申請した——」
「落ち着いてください」
俺は手を上げた。
全員が、ぴたりと止まった。
「順番に対応するので、まず現場の状況を教えてもらえますか」
俺はカバンからメモ帳を出した。
「汚れ具合がわかる写真とか、資料があれば見せてください。現場を把握しないと、どんな清掃プランが必要か判断できないんで」
沈黙が落ちた。
外交官たちが、顔を見合わせた。
一人が、震える手でタブレットを差し出した。
「こ、これが我が国の現状です……」
俺は受け取って、画面を見た。
◆ 各国外交官 視点 ◆
「アルテミア共和国、港湾都市の写真です」と外交官が言った。
画面には、巨大な海竜が港を封鎖している映像が映し出されていた。
全長百メートルを超える、鱗の怪物。
船を丸呑みにし、波を起こし、三ヶ月間港を閉鎖し続けている絶望の存在。
影山が、画面を見た。
「うわ」
声が出た。
外交官が息を呑んだ。
「港の水垢がひどいですね」
「……み、水垢」
「海竜が長期間居座ると、鱗の油脂が水面に広がって、石畳に固着するんですよ。これは特殊洗剤がいりますね」
「……海竜が、水垢」
外交官の目が、宙を泳いだ。
次の外交官がタブレットを差し出した。
「我がバルディア皇国の状況です……」
画面には、山岳地帯を我が物顔で歩き回るSSランクの魔獣が映っていた。
全ての生き物を喰らい尽くす、伝説の破壊者。
百年に一度の厄災と呼ばれる存在だ。
影山が、画面を見た。
「あー」
外交官が固唾を呑んだ。
「カビが根を張ってますね」
「……カビ」
「山の方に居座るタイプの汚れって、根が深いんですよ。表面だけ取っても再発するので、概念ごと除去しないといけない。特殊な処理が必要です。追加料金になりますが」
「概念ごと……」
外交官の膝が、かすかに揺れた。
「ッ……!」
誰かが声を上げた。
「あの絶望の顕現を……カビと……!!」
「百年の厄災が、カビ扱い……」
「しかも追加料金の話を、当然のように……!」
影山がメモ帳にすらすらと書きながら言った。
「全部で十七件ですね。スケジュールを組みますので、優先度の高いところから教えてもらえますか。緊急度と汚れの深刻さで順番を決めます」
「「「は、はい……!!」」」
全員が同時に手を挙げた。
「順番に」
影山が静かに言った。
「一件ずつ、丁寧に対応します」
外交官たちは、震える手でそれぞれの資料を準備し始めた。
目に涙を浮かべながら。
「水垢と言われた」
一人が掠れた声で呟いた。
「あの魔竜が、水垢と言われた」
「でも」
隣の外交官が、涙をぬぐいながら言った。
「それが消えるんだ」
「……そうだな」
「水垢でも、カビでも」
「消えるなら」
「何でもいい」
全員が、清掃契約書にサインした。
影山はそれを受け取って、丁寧にカバンにしまった。
「では、来週から順番に伺います。よろしくお願いします」
深々と、お辞儀をした。
世界の救済が、今日も相見積もりとして、静かに始まった。
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