第18話「国宝を拭いたら、砕けた」
◆ 黒崎 視点 ◆
「慎重に。慎重に運べ」
黒崎は額に汗を滲ませながら、作業員たちを指揮した。
台車の上に、厳重な魔法の緩衝材で包まれた巨大な水晶が乗っている。
直径一メートル。淡く青白い光を放つ、完全な球体。
『女神の測定水晶』。
千年前、女神の加護を受けた魔法使いが作り上げたとされる国宝だ。
どんな強大な魔力を流し込んでも砕けない、無限の計測容量を誇る。
歴代最強と呼ばれた探索者たちが全力をぶつけても、ひびひとつ入らなかった。
「これで測定すれば、影山殿の真の魔力量が明らかになる」
黒崎は呟いた。
「特Sランクの称号を授与するためには、公式の記録が必要だ。たとえ数字が計測不能でも、記録として残さなければならない」
測定室には、すでに神代としずくが来ていた。
訓練場での一件以来、弟子入りを志願した橘蓮たち三人も、緊張した顔で壁際に並んでいる。
協会の職員が十数名。
厳重な警備が、部屋を囲んでいた。
「影山殿が来たら、すぐに案内しろ」
「はっ」
黒崎は水晶を見つめた。
(さあ、どれほどの数字が出るか)
扉が、ノックされた。
◆ 影山湊 視点 ◆
「定期健診ですか、了解です」
昨日、神代さんから連絡が来た。
新しい職場では、定期的にスキルチェックがあるらしい。
前の会社ではそんなものなかったが、ホワイト企業は健康管理もしっかりしているんだろう。
協会の建物は、ギルド本部より少し古いが、それなりに立派だった。
案内された測定室は、やたら広かった。
人が多い。
警備員も多い。
なんか全員、緊張した顔をしている。
「大げさだな、健診にしては」
と思ったが、まあ新しい職場のやり方に口を出すのは良くない。
部屋の中央に、でかい水晶が置いてあった。
青白く光っている。
きれいだな、と思った。
「影山殿、こちらへ」
黒崎さんが、なぜか礼服を着ていた。
健診に礼服は過剰では、と思ったが黙っておいた。
「この水晶に、全力を込めていただきたい。能力の測定を行う」
「ああ、あれに触れるんですね。視力検査みたいな感じですか」
「……まあ、そのようなものだ」
俺は水晶に近づいた。
さっそく全力を込めようとして。
止まった。
「……あ」
水晶の表面に、汚れがあった。
べっとりとした、手垢の痕。
一か所じゃない。あちこちに、べったりと。
過去に触れた人間の脂が、そのまま固着している。
「うわ」
思わず声が出た。
「前の人の手垢がそのままだ」
「え?」と黒崎さんが言った。
「これじゃ、正確な測定ができないんじゃないですか」
「測定は表面の汚れに左右されないので問題は——」
「でも、汚れてるの気になりませんか」
俺は水晶をじっくり見た。
よく見ると、表面が白く曇っている部分もある。
本来はもっと透明度が高いはずだ。
「ちょっと失礼しますね」
俺はカバンからスプレーボトルを取り出した。
「え?」
「す、すいません影山殿、何を」
「掃除します」
「え、いや、それは国宝な——」
「汚れてる備品は掃除するのが基本ですよ」
俺は水晶にスプレーをひと吹きした。
ただの水だ。
雑巾を取り出す。
乾いた布じゃなく、適度に湿らせた清潔な雑巾。
「ちょっとだけ待ってください、すぐ終わります」
俺は雑巾を水晶の表面に当てた。
くるりと、円を描くように拭く。
手垢が取れた。
曇りが晴れた。
(これは頑固な汚れだな)
俺は少し力を込めた。
キュッ、という音がした。
良い音だ。
よく拭けているときの音。
もう一度、くるりと円を描く。
さらに透明度が増した。
(うん、いい感じ)
◆ 周囲の視点 ◆
黒崎は、呼吸を忘れていた。
影山が雑巾で水晶を拭いている。
ただ、それだけの光景だった。
でも。
水晶が、光り始めた。
最初は内側からぼうっと光る程度だった。
それが、だんだん強くなった。
青白い光が、白くなった。
白が、眩しくなった。
眩しさが、限界を超えた。
「……っ」
神代が思わず腕で目を覆った。
蓮が「目が」と呟いた。
測定室全体が、白く塗りつぶされた。
千年間、どんな攻撃にも砕けなかった国宝が。
聖なる光の奔流を内側から噴き出しながら。
「パリンッ」
あっけなく、砕けた。
欠片が、床に降り注いだ。
静寂が、落ちた。
「……あ」
影山の声だった。
「やばい」
影山が、砕けた水晶の欠片を見下ろしていた。
「力入れすぎた」
静かな声で言った。
「備品、割っちゃった」
黒崎の膝が、床についた。
「女神の水晶が」
掠れた声だった。
「あの御方の力に……耐えきれず……」
神代が、額に手を当てた。
「しかも」
しずくが震える声で続けた。
「打撃じゃなく……拭いただけで……」
「女神の水晶を……雑巾で……」
蓮が壁に背中をつけてずり落ちていった。
「これが……これが師匠の……」
「あの、すみません」
影山の声が響いた。
全員が振り返った。
影山は青い顔で、ホウキを取り出していた。
「これ、給料から引かれますか」
誰も、すぐには答えられなかった。
「国宝なんで、かなり高いですよね。何ヶ月分の給料になるんだろ……」
影山がホウキで、水晶の欠片を静かに掃き集め始めた。
ちりとり代わりの金の盾が、欠片を集める。
カランカランという音が、静まり返った測定室に響いた。
黒崎が、両手を合わせた。
「……あの御方は、国宝を砕いてもなお、自ら後片付けをされる」
「黒崎」
「どこまでも、謙虚な御方だ」
「黒崎、落ち着け」
「落ち着けません神代さん」
黒崎の目から、涙が流れた。
「女神の水晶より、雑巾の方が強かった……この事実を、私は生涯忘れません……」
「あの、本当に給料から引かれますか」
影山がもう一度聞いた。
神代は一拍おいて、答えた。
「引かれない」
「よかった……」
影山が、心底ほっとした顔で胸を撫で下ろした。
そして黙々と、国宝の欠片を掃除し続けた。
測定室に、ホウキの音だけが響いていた。
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