第9話 グロム・グロム・バザール・ドゥーン
師匠を埋めた翌朝、いつもの下男が来なかった。
代わりに来たのは鎧の音だった。
がしゃ、がしゃ、がしゃ。窪地の坂を、揃った足音が下りてくる。十人、いや二十人。窓の隙間からのぞくと、白い胴鎧に教会の紋章をつけた兵が、小屋をぐるりと囲んでいた。
聖堂兵だ。大聖堂を守る兵隊。窪地に来るのを見たのは生まれて初めてだった。
兵の列が割れて、ひとりの男が前に出てきた。
痩せた男だった。黒い法衣。四十くらい。頬がこけていて、目の下に濃い隈がある。右手の指先がインクで青黒く染まっていた。
「屍洗いのヴィムだね」
声は静かだった。
「副司教のセルジュだ。聖女さまの澱について、少し話がしたい」
俺は扉を細く開けた。
「毎朝、下男に渡してます」
「灰色の澱をね」
セルジュは懐から小瓶を一本出した。俺が一昨日渡した、ほかの死体の澱だ。
「聖女さまの澱が、こんなに薄いわけがない」
「聖女さまには澱がないって、教会が」
「表向きはね」
セルジュはあっさりと言った。
「一昨日の夜、伯爵家の屋敷に黒い雷が落ちた。黒い澱というのは、この世にほとんど存在しない。ましてあれだけの雷を撃てるほど濃いものは」
セルジュの目が俺の顔から小屋の中へ動いた。洗い台の上の布。その下の遺体。
「床下かな。窪地の人間はたいてい床下に隠す」
背中に汗が流れた。
イーダが俺の耳もとで言った。
「こいつ、嫌い」
「知ってる奴か」
「三件目と四件目のあいだくらいに書いてある。私の日記を読んだの」
セルジュが首をかしげた。
「誰と話しているのかな」
「独り言です」
「そう」
セルジュは片手を上げた。
「探せ。床板は全部剥がしていい」
◇
兵がなだれこんできた。
扉が蹴破られる。洗い台が揺れる。聖女さまの遺体の上の布がめくれた。兵のひとりが槍の石突きで床を叩いて回る。こん、こん、こん。俺の金庫の上で、音が変わった。ごん。
「ここだ!」
俺はポケットの小瓶を握った。
黒い澱じゃない。黒は床下だ。ポケットに残っているのは一本だけ。
金色の小瓶。師匠の見栄だ。
「ヴィム、それ使うの?」
「これしかない」
「金は、見栄よ。大きくなるわ。声も」
「知ってる」
ふたを開けて、一滴舐めた。
甘い。
胸の奥がふくらんだ。背骨が勝手に伸びた。肩が張った。俺はいったい何をびくびくしているんだ。たかが二十人の兵隊じゃないか。俺を誰だと思ってる。
俺は――
口が勝手に開いた。
「グロム・グロム・バザール・ドゥーン!」
金色の光が足もとから噴き上がった。
光は俺の体を包んで、ふくらんだ。ふくらみ続けた。頭が天井を突き破った。肩が壁を押し広げた。小屋の屋根がばりばりと音を立てて持ち上がる。
気がつくと、俺は窪地を見下ろしていた。
身の丈が家三軒ぶんになっていた。
金色の光でできた巨人だった。中心に俺がいる。俺が腕を上げると、光の腕が上がる。
聖堂兵がぽかんと口を開けて見上げていた。
そして、口が止まらなかった。
「おい、てめえらァ!!」
声が百倍になっていた。
窪地じゅうの窓ガラスが、びりびり震えた。
「俺を誰だと思ってる! 俺は元騎士だ!! 竜を三頭倒した男だ!! 王都の姫さまに手を握られた男だ!!」
嘘だ。全部、師匠の嘘だ。
分かっている。分かっていて、止まらなかった。
「そんな男の小屋に土足で入りやがって! 床板剥がすだァ? 百年早えんだよォ!!」
光の腕を振った。
小屋の中にいた兵が、まとめて外へ転がり出た。槍が宙を飛ぶ。兜がころころ坂を転がっていく。
外で囲んでいた兵が、槍を構えた。
「か、構え――」
「遅えェ!!」
光の足で地面を踏んだ。
どん、と窪地が揺れた。兵たちがいっせいに尻もちをついた。
俺は光の手を広げて、兵をひとりずつつまみ上げた。そして坂の上に、ぽいぽい放り投げた。殺さないように。ちょっと痛いくらいに。
「窪地に来るなら、泥を拭いてから来い!! ここは元騎士ティボーの小屋だ!!」
窪地の家々の窓から、住人たちが顔を出していた。
子どもが指をさして叫んだ。
「金色の巨人だ!」
「黒雷の兄ちゃんだ!」
「今度は金色だ!」
イーダが光の巨人の肩の上に座っていた。足をぶらぶらさせて、笑っていた。
「元騎士ですって」
「うるせえ、元騎士だ!!」
「はいはい」
◇
兵を全員、坂の上まで放り投げた。
残ったのはセルジュひとりだった。
副司教は小屋の前から一歩も動いていなかった。倒れもせず、逃げもせず。ただ、巨人の俺を見上げていた。
その目が興味深そうだった。
「金の澱。見栄か」
セルジュは懐から、小さな帳面を出した。何か書きつけている。
「死んだ屍洗いの澱だね。老人の。十年ほど、同じ嘘をつき続けた人の色だ」
ぞくりとした。
なんで分かる。
「澱を見れば、その人間のことはたいてい分かる。私はそういうものを、ずっと読んできたから」
セルジュは帳面を閉じた。
「今日は引こう。聖堂兵ではきみの相手にならないようだ」
副司教は背を向けて、坂を上り始めた。
途中で一度だけ、振り返った。
「ところで、ヴィムくん。その光、あとどのくらい持つのかな」
言われて、気がついた。
光が薄くなっていた。巨人の足が先から溶けるように消えていく。
金色が消えた。
俺は屋根の吹き飛んだ小屋の真ん中に、どすんと落ちた。
体じゅうが痛い。そして、口が止まらない。
「……俺は元騎士だ……」
「ヴィム、もう終わったわよ」
「竜を、三頭……」
「分かったから」
イーダが俺の横にしゃがみこんだ。
坂の上から、別の足音が下りてきていた。
さっきの聖堂兵とは違う。ひとり分。重くて、ゆっくりで、迷いのない足音。鎧の音がさっきの兵より一段高い。
イーダの顔から、笑いが消えた。
「……この足音」
聖女さまは自分の遺体のほうを振り返った。それから、坂の上を見た。
「アルヴィドだわ」
第9話 了




