第7話 死体くさい男
翌朝、灰都じゅうが同じ話をしていた。
伯爵夫人の屋敷に黒い雷が落ちた。倉庫から、聖女さまの寄付で買った薬が腐った山になって出てきた。夫人は衛兵に連れていかれた。
そして、雷を撃ったのは窪地の汚い小僧だった。
「黒雷の小僧だってよ」
「聖女さまの天罰じゃねえのか」
「天罰が窪地のガキの顔してるかよ」
井戸端のおかみさんたちが、俺を見るなり黙った。昨日「うるせえババア」と言ったおかみさんが、じっとこっちを見ている。
俺は頭を下げた。
「昨日は、すみませんでした」
おかみさんはふんと鼻を鳴らした。それから、俺の手に干し芋を一本押しつけた。
「施療院に、薬が届いたんだってさ。朝いちばんに、衛兵が荷車で運んできたって」
それだけ言って、洗濯物に戻った。
俺は干し芋をかじりながら、小屋へ向かった。
「よかったわね」
「芋一本だぞ」
「嬉しそうな顔してる」
「してねえ」
◇
小屋の前に、誰かが立っていた。
女だった。俺と同じくらいの歳。
窪地では絶対に見ない格好だった。深い青の外套。銀の留め金。磨かれた長靴には、泥ひとつついていない。腰のベルトには、細い硝子の小瓶がずらりと並んでいる。
女は鼻を手巾で押さえていた。
「……あんたが、黒雷?」
「誰だ、あんた」
「澱術師ギルドのカティア。昨日の雷の調べに来たの。伯爵家の弁護士がギルドに泣きついてきたから」
澱術師ギルド。澱を飲んで魔法を撃つ連中の集まりだ。みんな金持ちの子で、教会が瓶詰めにして売る高い澱を使う。窪地の人間が入れるところじゃない。
カティアは手巾ごしに俺を上から下まで眺めた。
「死体くさい」
「屍洗いだからな」
「屍洗いが澱術を? 聞いたことないわ」
「俺もない」
「どこで習ったの。誰の澱を使ってるの」
カティアが一歩近づいた。
俺は一歩下がった。後ろは小屋の扉だ。中には聖女さまの遺体がある。床下には聖女さまの澱がある。
「帰れ。調べるもんなんかない」
「そう」
カティアはベルトから小瓶を一本抜いた。
中身は澄んだ青だった。窪地で見る澱とは違う。濁りがなくて、宝石みたいにきれいな色をしている。
「なら、力ずくで調べる」
小瓶を唇に当てた。
「オルド・ネ・カスカ・ヴィ」
カティアの足もとから、青い鎖が噴き出した。
じゃらじゃらと音を立てて、何本も。鎖は蛇みたいにうねって、俺の手首に、足首に、胴に巻きついた。
冷たい。
巻きつかれた瞬間、頭の中に昔のことが流れこんできた。八つのとき、パン屋の前で転んで、ズボンが破れて、みんなに笑われたこと。十のとき、師匠の酒瓶を割って、三日口をきいてもらえなかったこと。
なんで今、こんなことを思い出す。
「青は未練。縛られたら、昔の失敗が頭から離れなくなるわよ」
カティアが冷たく言った。
「さ、話して。誰の澱?」
「ヴィム、撃って」
イーダが俺の耳もとで言った。
「一滴だけ。名前を呼べば、鎖ごと当たるから」
俺は歯を食いしばった。鎖が胸を締めつける。ポケットに手が届かない。
口の中に、昨日の澱がまだ少し残っていた。舌の裏に。
それで足りるか分からない。
「イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――カティア!」
黒い雷が細く落ちた。
昨日みたいな大きな雷じゃない。糸みたいな稲妻が一本、カティアの手の中の小瓶を撃った。
瓶が割れた。青い鎖が音を立ててほどけた。
同時に、俺もひっくり返った。足に力が入らない。
カティアは割れた瓶のかけらを見て、それから俺を見た。
「……今の、何色?」
「黒」
「黒い澱なんて、ないわ。教会の瓶には、そんな色――」
カティアは言いかけて、口を閉じた。俺の口の端を見ていた。黒い雫が一滴たれていた。
「あんた、それ誰の澱?」
俺は答えなかった。
カティアは長いこと俺をにらんでいた。それから、ふいっと背中を向けた。
「引き分けね。今日は」
「今日は?」
「また来る。死体くさいのは我慢する」
青い外套の背中が、坂を上っていった。
俺は地面に寝転がったまま、空を見た。
「あの子、嫌い?」
イーダが俺の顔をのぞきこんだ。
「金持ちは全員嫌いだ」
「そう? あの子の澱、きれいだったわね。瓶の中の」
イーダの声が少しだけ低かった。
「きれいすぎて、変だった」
◇
夜、師匠が起きてきた。
今日は酒を飲んでいなかった。珍しい。洗い台の横に椅子を持ってきて、聖女さまの遺体の前に座った。
「ヴィム。茶をいれろ」
いれた。師匠は茶をすすりながら、遺体の顔を眺めていた。
「きれいな顔をしておられる」
「師匠」
「なんだ」
「騎士だったころの話、しないのか」
いつもなら、頼んでもいないのに始まる。竜を倒した話。姫さまに手を握られた話。
師匠はしばらく黙っていた。
「聖女さまをお洗いするのはこれで二度目だ」
「……二度目?」
「わしが、お前くらいのころだ。前の聖女さまを、わしの師匠とふたりで洗った」
初めて聞く話だった。
イーダが洗い台の縁で身じろぎした。
「前の聖女さまもな、きれいな顔をしておられた。それで、とんでもなく――」
師匠は言葉を切った。
咳が出た。
長い咳だった。背中を丸めて、椅子から落ちそうになる。俺は師匠の背中をさすった。骨が手に当たった。いつの間に、こんなに細くなったんだろう。
「……師匠、とんでもなく、何だよ」
「いや」
師匠は口もとを袖でぬぐった。
袖に、黒い染みがついていた。
俺はそれを見なかったことにした。師匠も、見せなかったことにした。
「そうだ、話してなかったな。わしが騎士だったころ、竜を三頭倒した話を――」
「前は二頭だった」
「三頭だ。よく聞け」
師匠はいつもの話を始めた。
俺はいつものように聞き流した。
師匠の声が途中で何度もかすれた。それでも最後まで話した。姫さまに手を握られたところまで、ちゃんと。
話し終えると、師匠は奥の部屋に戻っていった。
イーダがぽつりと言った。
「ヴィム」
「なに」
「あのおじいちゃんの咳。あれ、よくない」
「知ってる」
知っている。屍洗いは死ぬ前の人間の咳を何百と聞いてきた。
俺はランプの芯を下げた。
奥の部屋から、いびきが聞こえてこなかった。
第7話 了




