第32話 痩せろと言う仕立て屋
二百十一、仕立て屋ピエロンが「痩せろ」と言いながら衣を縫う。
「毎年、春になると採寸があるの」
イーダが影の中で言った。
「聖女の衣は、年に一度、新しく仕立てるの。そのたびに、あいつが来て、巻き尺で体じゅう測るの。胸、腰、腕、首。それで、必ず言うの」
「痩せろ、って?」
「『去年より半寸、腰が太い。これでは衣が映えませんな』って。ため息つきながら」
イーダは自分の腰に手を当てた。死人の、半分透けた腰だった。
「その次の日から、ご飯が減るの。パンが一枚、少なくなる。スープの豆が半分になる」
「……偶然じゃねえのか」
「毎年よ。偶然じゃないわ」
俺は帳面を閉じた。
「今、その仕立て屋は」
「大聖堂の裏の、仕立て部屋にいるはず。聖女候補が決まったら、すぐに採寸だから」
聖女候補。
ネリだ。
◇
赤い澱は、三日前に手に入れていた。
窪地の靴屋の、若い男だった。三年前、広場で幼なじみの娘に求婚して、断られた。それから三年、一歩も家を出なかった。先週、熱を出して死んだ。
澱は真っ赤だった。フロリアンさんの入れ歯より、ずっと濃い赤。
「若い恥は、濃いのよ」
イーダが言った。
「……言うな」
一滴舐めた。
顔が燃えた。死ぬほど恥ずかしい。いや、俺は求婚なんかしたことがない。なのに、広場の真ん中で膝をついて、断られた気がする。周りの全員が笑っている気がする。
「ミュ・ミュ・セレン・ハ」
赤い霧が湧いた。俺の姿が消えた。
昨日壊した大聖堂の正面の門は、板でふさがれていた。裏の通用口から入った。
◇
仕立て部屋は大聖堂の北の棟の、日当たりのいい部屋だった。
広い机に、白い絹の反物が山と積まれていた。金の糸。銀の糸。真珠のボタン。壁に、何着もの白い衣が吊るされている。
部屋の真ん中に、少女が六人並んでいた。
みんな、下着一枚だった。寒そうに腕を抱えている。十二歳から十五歳くらい。
その中に、ネリがいた。
俺は息を止めた。赤い霧の中で、顔がさらに熱くなった。恥ずかしい。妹の、こんな姿を見ている。見ちゃいけない。
でも、目をそらせなかった。
少女たちの前を、ひょろ長い男が歩いていた。首から巻き尺を下げている。鼻眼鏡。薄い唇。
仕立て屋ピエロンだ。
「はい、次」
ピエロンはひとりずつ巻き尺を当てていった。胸。腰。腕。そのたびに、手もとの帳面に書きこむ。
「……ふむ。太いですな」
ひとりの少女の腰に巻き尺を当てて、ため息をついた。
「これでは、衣が映えません。痩せていただきませんと」
少女がうつむいた。
ピエロンはネリの前に来た。
ネリの腰に、巻き尺を当てた。
ネリは微笑んでいた。左右が同じ角度の、あの微笑み。昨日、二階の回廊から俺を見下ろした顔と同じだった。
「ふむ」
ピエロンは帳面に書きこんだ。
「窪地の方は、骨が太いですな。痩せていただきませんと」
「はい。ありがとうございます」
ネリが微笑んだまま答えた。
ありがとうございます。
腹の底で、石が、ごとりと鳴った。
◇
採寸が終わって、少女たちが部屋を出ていった。
ピエロンひとりが残った。机に向かって、帳面を開いた。何か書き足している。
俺は赤い霧のまま、その背後に回った。
帳面をのぞきこんだ。
採寸の数字が並んでいた。少女たちの名前。胸。腰。腕。そして、それぞれの横に、別の数字が書きこまれていた。
ネリの欄。腰、二尺一寸。その横に、「目標、一尺九寸。食事、三割減。厨房へ申し送り」。
ほかの少女たちの欄も、同じだった。二割減。三割減。四割減。
帳面の最後のページに、紙が一枚挟まっていた。
契約書だった。
大聖堂の厨房係と、仕立て屋ピエロンのあいだの。
「聖女候補の衣が映えるよう、食事の量を仕立て屋の指示に従って調整すること。候補の腰が一寸細くなるごとに、仕立て代に銀貨五枚を加算する」
一寸ごとに、銀貨五枚。
少女たちの腰を細くするほど、この男の懐が太る。
「……ヴィム」
イーダの声が震えていた。
「毎年の、パン一枚」
「ああ」
「偶然じゃ、なかった」
聖女さまの声は怒っていなかった。
泣いていた。
◇
俺は帳面と契約書をピエロンの手もとから引き抜いた。
赤い霧の中から、紙だけが宙に浮いたように見えたはずだ。
「な、なんだ!?」
ピエロンが椅子から飛び上がった。宙に浮いた帳面に手を伸ばす。
俺は腹の底の石を細く引き出した。
「イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――ピエロン」
糸のような黒い雷が、一本だけ落ちた。
ピエロンの首に下がった巻き尺に。
巻き尺がぼっと燃え上がった。黒い炎で。ピエロンが悲鳴を上げて、首から巻き尺をむしり取った。床に叩きつけて、踏んで消そうとした。
消えなかった。
黒い炎は床の上の巻き尺だけを燃やし続けた。一寸ずつ。一寸ずつ。ゆっくりと、目盛りの一つひとつを焼いていった。
「わ、わたしの、わたしの巻き尺が――」
壁に吊るされた白い衣が、ざわりと揺れた。
赤い霧が薄くなってきた。俺は帳面を懐にねじこんで、窓から飛び下りた。
◇
大聖堂の裏庭に、アルヴィドがいた。
見張りの番だったらしい。光らない剣を腰に下げて、塀の前に立っていた。
赤い霧が完全に消えて、俺の姿が現れた。アルヴィドが目を丸くした。
「ヴィム!? 昨日、門を――」
「これ」
俺は帳面と契約書をアルヴィドの胸に押しつけた。
「大司教に渡せ」
「……何だ、これは」
「読めば分かる」
アルヴィドは帳面を開いた。契約書を読んだ。
読み進めるうちに、顔色が変わっていった。
「一寸ごとに、銀貨五枚……?」
「毎年、やってたらしい」
「毎年?」
アルヴィドの手が震えていた。
「じゃあ、イーダも――」
言いかけて、アルヴィドは口を閉じた。俺の顔を見た。
「……君は、なぜ、そんなことを知っている」
「知らねえよ。帳面に書いてあった」
「イーダのことだ。毎年、パンが一枚減っていたことをなぜ知っている。私は隣にいて、知らなかったのに」
俺は答えなかった。
アルヴィドは長いこと俺を見ていた。それから、帳面を胸に抱えて、うなずいた。
「……必ず、大司教さまに渡す」
その夜、窪地の小屋に、大聖堂の厨房の下働きの娘が来た。俺は知らない顔だった。
娘は小屋の入り口で、ぺこりと頭を下げた。
「聖女候補さまたちの食事、今夜から元に戻りました」
「……なんで俺に言う」
「騎士さまが、伝えてこいって。金色の髪の」
娘は少しだけ笑った。
「パン、一枚増えましたよ」
夜、帳面の二百十一件目が灰色になっていた。
影の中で、イーダが、声を殺して泣いていた。
俺は何も言わずにランプを消した。
第32話 了




