第31話 大聖堂の門
朝いちばんに、東の丘を登った。
大聖堂の正面の門は、青銅でできていた。高さは家三軒分。表面に、歴代の聖女の姿が浮き彫りになっている。八人目の場所だけ、まだ新しくて、ぴかぴか光っていた。イーダの顔だ。微笑んでいた。
門の前に、聖堂兵が六人立っていた。
「止まれ。今朝の礼拝は終わった」
「妹に会いに来た」
「妹?」
「ネリ。昨日、ここに来た」
聖堂兵たちが顔を見合わせた。
「……聖女候補さまは、誰にもお会いにならない。潔斎の最中だ」
「兄貴だぞ」
「聖女候補さまに、兄はいない」
兵のひとりが事務的に言った。
「聖女となる方は、俗世の縁を断たれる。親も兄弟も、もういない」
腹の底で、石がごとりと鳴った。
「……もう一回言ってみろ」
「聖女候補さまに、兄は――」
「イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――」
影の中で、イーダが叫んだ。
「ヴィム、門! 人じゃなくて、門!」
「――大聖堂の門ッ!!」
◇
黒い雷が青銅の門のど真ん中に落ちた。
門が内側に向かって、ひしゃげた。浮き彫りの聖女たちの顔がぐにゃりと歪んだ。蝶番がはじけ飛んで、二枚の扉が、轟音を立てて大聖堂の中に倒れこんだ。
聖堂兵たちが尻もちをついていた。
俺は倒れた門を踏み越えて、中に入った。
大聖堂の中は朝の光で満ちていた。ステンドグラスの色が、床に落ちている。祭壇の前で祈っていた司祭たちが、悲鳴を上げて逃げていった。
奥の回廊から、白銀の鎧が走ってきた。
聖騎士だ。八人。剣を抜いている。剣が白く光っていた。
「止まれ、無法者!」
「妹を返せ」
「聖女候補さまに――」
「兄はいない、って言うんだろ。聞き飽きた」
騎士たちが斬りかかってきた。
白い光の剣。祈りの光だ。まともに受けたら、斬られる。
俺は横っ飛びに避けた。石の柱の陰に転がりこむ。騎士の剣が柱をかすめて火花を散らした。
影の中で、イーダが言った。
「一人ずつ名前、分かる?」
「分かるわけねえ」
「じゃあ、広く」
「広く撃ったら、大聖堂が崩れる」
「崩しちゃえば?」
「ネリが中にいるだろ!」
騎士が柱の両側から回りこんできた。
腹の底の石を、細く、細く引き出した。
「イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――剣!」
八本の、細い黒い雷が走った。
騎士たちの体には当てなかった。剣に当てた。光る剣の、刃の根もとに。
ばちん、と音がして、白い光が消えた。
八本の剣が一斉に騎士たちの手から弾き飛ばされた。石の床に落ちて、からんからんと転がった。
騎士たちが空になった手を見つめた。
「……祈りの光が」
「消された?」
俺は柱の陰から出た。
「剣、拾うなよ。次は手に当てる」
騎士たちは動かなかった。
◇
「そこまでにしてくれないか」
声がした。
穏やかな声だった。回廊の奥から、ゆっくりと、ひとりの男が歩いてきた。
白と金の法衣ではなかった。地味な灰色の上着。帽子もかぶっていない。白髪まじりの頭。
それでも、誰だか分かった。
大司教グラウス。
騎士たちがさっと道を開けた。
大司教は倒れた門を見た。弾き飛ばされた剣を見た。それから、俺を見た。
「門は、直すのに半年はかかるだろうね」
怒っていなかった。ただ、事実を言っているだけの声だった。
「……妹に会わせろ」
「ネリのことだね」
大司教はうなずいた。
「元気にしているよ。今朝も、早起きして祈りの文句を覚えていた。飲みこみの早い子だ」
「会わせろ」
「それはできない」
「なんで」
「本人が、今は会いたくないと言っている」
息が止まった。
「……嘘だ」
「嘘だと思うなら、あれを見なさい」
大司教が上を指さした。
大聖堂の、二階の回廊。手すりの向こうに、白い衣の少女が立っていた。
ネリだった。
髪を結い上げていた。白い衣は借り物じゃなかった。袖に、細い金の刺繍が入っていた。
ネリは俺を見下ろしていた。
そして、微笑んだ。
左右がきれいに同じ角度の微笑みだった。
ネリは胸の前で小さく手を振った。それから、背を向けて、回廊の奥へ歩いていった。
一度も振り返らなかった。
「ネリ!」
声が天井に響いて消えた。
◇
「きみの妹は、自分で来たんだよ」
大司教が静かに言った。
「誰にも強いられていない。施療院の修道女が推薦して、私が面談した。私は嫌なら帰っていいと言った。あの子は帰らないと言った」
「……」
「あの子は、聖女になることを選んだ。国を守ることを。それを止める権利は、兄にもない」
大司教は俺の顔をじっと見た。
それから、俺の足もとの、影を見た。
長いこと、見ていた。
「西の壁を、守ってくれているそうだね」
「……」
「ありがとう。本当に、感謝している」
「感謝は燃えねえんだよ」
大司教の目がわずかに見開かれた。
それから、ふっと笑った。疲れた、力のない笑いだった。
「そうだね。燃えない。よく知っている」
大司教は騎士たちに手を振った。
「この子は帰す。門のことは不問にする」
「大司教さま、しかし――」
「西の壁を守る者がいなくなったら、困るのは我々だ」
騎士たちがしぶしぶ剣を拾って下がった。
大司教は俺に背を向けた。回廊の奥へ歩き出して、ふと足を止めた。
「ヴィムくん」
「……なんだ」
「きみの中の彼女に、よろしく伝えてくれ」
振り返らずに、言った。
「あの子は、最後まで、私に一度も文句を言わなかった」
影の中で、イーダが凍りついていた。
大司教の足音が回廊の奥に消えていった。
俺は倒れた門を踏み越えて、大聖堂を出た。
丘の上から、窪地が見えた。路地の上に渡された「窪地の聖女さま」の布が、風に揺れていた。
「……言えなかっただけよ」
影の中で、イーダが、かすれた声で言った。
「言わなかったんじゃない。言えなかったの」
第31話 了




