第25話 昇格試験(前)
澱術師ギルドの本館は、商人街のど真ん中にあった。
白い石の三階建て。正面に太い柱が六本。扉の上に、硝子の小瓶を象った紋章が金で彫られている。窪地の小屋がたぶん百は入る。
俺はその正面の階段の下に立っていた。
一張羅を着てきた。一張羅といっても、ネリが繕ってくれた上着だ。袖の焦げ跡に、別の布が当ててある。
「似合ってるわよ」
影の中で、イーダが言った。
「どこがだよ」
「つぎはぎが。あんたらしい」
階段を上っていくと、入り口の前に、同じ年頃の連中が十人ほど集まっていた。
全員、いい服を着ていた。絹の外套。宝石のついた留め金。腰に下げた小瓶の数も、俺の三倍はある。
そのうちのひとりが、俺に気づいた。鼻をつまんだ。
「……なんだ、このにおい」
「窪地のにおいだよ。ほら、例の」
「黒雷の屍洗い? あれ、本当に来たのか」
くすくす笑いが広がった。
「死体くさいのが来た」
「試験場が汚れるな」
「推薦したの、誰だよ」
「私よ」
階段の上から声がした。
カティアが立っていた。深い青の外套。今日は髪を高く結い上げていた。
「文句があるなら、試験で言いなさい」
笑っていた連中が、ぴたりと黙った。カティアはこのギルドの中でも有名らしい。
カティアは俺の上着のつぎはぎを見て、眉をひそめた。
「……それしかなかったの?」
「これが一番いいやつだ」
「そう」
カティアはそれ以上何も言わなかった。
ただ、試験場の扉を開けるとき、俺のために、少しだけ長く押さえていた。
◇
試験場は天井の高い広間だった。
床は磨かれた石。壁ぎわに、長い机が並んでいる。正面の壇上に、試験官が三人座っていた。真ん中の白髪の婆さんが、試験官長らしい。
受験者は十二人。俺とカティアを入れて。
「上級鑑札の試験を始める」
試験官長が言った。しゃがれた、よく通る声だった。
「一の試験。『鑑定』」
係の者が各自の机に、木の箱を置いていった。
箱の中に、小瓶が二十本並んでいた。どれも中身の色が違う。赤、青、緑、金、紫、白、灰色。
「その二十本は、この半月のあいだに灰都で亡くなった者たちの澱だ。教会から借り受けた」
試験官長は机の上の紙を指で叩いた。
「一本ずつ、鑑定せよ。色。感情の種類。濃さ。そして――」
婆さんの目がいたずらっぽく光った。
「誰の澱か」
受験者たちがざわついた。
「誰の?」
「名前ってことか?」
「分かるわけないだろ、そんなの」
「時間は一刻。始め」
◇
周りの連中が一斉に小瓶を手に取った。光にかざして、色を見る。ふたを開けて、においを嗅ぐ。紙に書きこむ。
赤。恥。濃さ、中。
青。未練。濃さ、薄。
みんな、同じようなことを書いていた。そして「誰の澱か」の欄は、どの紙も空白だった。
カティアだけは紙に何か書いていた。
ちらっと見えた。「不明(鑑定不能)」と、きれいな字で書いてあった。
俺は一本目の小瓶を手に取った。
赤かった。
ふたを開けて、においを嗅いだ。
知っているにおいだった。
指先に一滴取って、舐めた。
顔が熱くなった。恥ずかしい。いや、この恥ずかしさには覚えがある。孫の結婚式。乾杯の挨拶。入れ歯が飛んで――
「……フロリアンさん」
声に出していた。
隣の机の男が変な顔でこっちを見た。
俺は紙に書いた。赤。恥。濃さ、濃。
織物屋の隠居、フロリアン。孫の婚礼の席で、入れ歯を花嫁の皿に落とした。
二本目。紫。舐めた。腹が鳴った。
荷担ぎのドゥーゴ。窪地一の大食い。坂の上の聖堂の地下で、三日置かれた。
三本目。灰色。薄い。舐めた。何もない。いや、ほんの少しだけ、寂しい。
鍛冶屋のマーヤ婆さん。息子に「ありがとう」と言いそびれた。
四本目。五本目。
全部、知っていた。
全部、俺がこの手で洗って、この手で管を刺して、この手で瓶に詰めた澱だった。
教会から借りた、と試験官長は言った。この半月で灰都で死んだ者。坂の上の聖堂が吹き飛んでから、窪地の死体はまた全部、俺の小屋に運ばれてきていた。俺が抜いた澱は毎朝、教会の下男が持っていった。
持っていった先が、ここだった。
二十本のうち、十四本は、窪地の人間だった。
俺は死人帳を思い出しながら、一本ずつ名前を書いていった。どこで死んだか。何を言えずに死んだか。
残りの六本は知らない澱だった。東の商人街か、貴族街のものだろう。
それでも舐めた。
舐めれば、少しだけ分かる。
緑。妬み。濃い。……弟の店のほうが繁盛していた。葬式にも、弟の店の菓子が出た。
青。未練。薄い。……階段から落ちた。二日間、誰にも見つけてもらえなかった。最後まで、猫の餌のことを気にしていた。
名前は分からない。だから、分かったことを書いた。
◇
「時間だ」
試験官長の声で、筆を置いた。
係の者が紙を集めて回った。試験官長は一枚ずつ目を通していった。
途中で、試験官長の手が止まった。
俺の紙だった。
婆さんは長いこと俺の紙を見ていた。隣の試験官に何か耳打ちした。隣の試験官が慌てて分厚い帳簿を持ってきた。教会の死亡記録らしい。
ぱらぱらとめくる。俺の紙と見比べる。
また、めくる。見比べる。
広間がしんとした。
「……屍洗いのヴィム」
試験官長が顔を上げた。
「はい」
「この『誰の澱か』の欄。これは本当は空白が正解だ」
笑い声が起きかけた。
「澱を見て持ち主を言い当てるなど、できるはずがない。できると言い張る者は、嘘つきだ。この試験はそれを見分けるためのものだ。だから『鑑定不能』と書いたカティアが、本来なら満点だ」
カティアがほっとしたように息を吐いた。
「だが」
試験官長は帳簿を指で叩いた。
「十四本。名前も、死んだ場所も、死んだ理由も、教会の記録と全部一致している」
笑い声が止まった。
「残りの六本。名前は書いていない。だが書いてあることが」
婆さんは紙を一枚持ち上げた。
「『階段から落ちた。二日間、誰にも見つけてもらえなかった。最後まで、猫の餌のことを気にしていた』」
帳簿の、あるページを開いた。
「東の商人街の、独り暮らしの帳場係。自宅の階段の下で、死後二日で見つかった。部屋に、餌皿の空っぽの猫がいた」
広間じゅうが俺を見ていた。
隣の机の男が口を半開きにしていた。さっき鼻をつまんだ男だった。
「……どうやった」
試験官長が聞いた。
「窪地の十四人は、俺が洗いました」
「残りの六人は」
「舐めました」
「舐めた?」
「澱は、言えなかったことの塊だから。舐めれば、何を言えなかったかくらいは分かる」
試験官長はしばらく黙っていた。
それから、ふっと笑った。しわだらけの顔がくしゃっと崩れた。
「屍洗いにしか、できない鑑定だね」
婆さんは俺の紙に何か書きこんだ。
「一の試験。屍洗いのヴィム、満点。……いや、満点じゃ足りないね。前例がない」
影の中で、イーダが拍手していた。音はしなかった。
カティアが机の向こうから俺をにらんでいた。
怒っている顔じゃなかった。
悔しくて、泣きそうな顔だった。
「二の試験は、午後だ。『実技』」
試験官長が言った。
「試しの石柱を、各自の澱で撃ってもらう。……ヴィム」
「はい」
「天井は、壊さないでおくれよ」
婆さんはにやりと笑った。
第25話 了




