第26話 昇格試験(後)
午後の試験場の真ん中に、石柱が十二本立っていた。
大人の背丈の倍ほどもある、灰色の石の柱だ。表面に、細かい文字がびっしり彫りこまれている。
「大聖堂の古い壁石だよ」
試験官長が言った。
「祈りの文字が彫ってある。並の澱じゃ、傷もつかない。一本ずつ、自分の澱で撃ちな。削れた深さで点をつける」
受験者たちがそれぞれの柱の前に立った。
最初は午前中に俺の横で鼻をつまんだ男だった。名前はジェラルド。どこかの男爵の三男坊らしい。
ジェラルドは腰の小瓶を二本抜いて、見せびらかすように掲げた。瓶の底に、油の雫の紋が押してあった。
「聖油商会の最上級だ。一本で金貨三枚」
一気にあおった。
「ヴェザ・ルゥ・ガラン・ド!」
緑の炎が噴き出した。
……ぽすん、と。
小さな火の玉が石柱に当たって消えた。石の表面に、黒い焦げ跡がほんの少しついただけだった。
広間がしんとした。
「え?」
ジェラルドは空になった瓶を見つめた。
「おかしいな、いつもはもっと……」
「最上級、ねえ」
試験官長がぼそっと言った。
「最近の聖油商会の瓶は、薄いって評判だよ。水で割ってるって噂もある」
ジェラルドの顔が真っ赤になった。
カティアが自分の腰の小瓶を見下ろした。同じ紋が押してあった。一瞬だけ、ひどく嫌そうな顔をした。
◇
ほかの受験者たちも、次々に撃った。
赤い霧で柱の周りを包む者。金の光で柱を押す者。紫の牙で噛みつく者。どれも、石の表面をわずかに削るだけだった。
カティアの番になった。
カティアは腰の小瓶を全部外した。机の上に並べた。聖油商会の紋の入った瓶を。
それから、外套の内側から、一本だけ別の瓶を出した。
紋のない、古い瓶だった。中身は澄んだ青。
「オルド・ネ・カスカ・ヴィ」
青い鎖が床から噴き出した。
一本、二本、十本。鎖は石柱に巻きついて、ぎりぎりと締め上げた。石がきしむ。祈りの文字が鎖の下でひび割れていく。
ばきん。
石柱の上半分が斜めに割れて落ちた。
広間がどよめいた。
「……すげえ」
「柱を割ったぞ」
「さすがカティアだ」
カティアは肩で息をしていた。額に汗が浮いている。鎖が消えた。
カティアは古い瓶を大事そうに外套の内側にしまった。それから、俺のほうを振り向いた。
挑むような目だった。
「次、あんたよ」
◇
俺は石柱の前に立った。
祈りの文字がびっしり彫ってある。大聖堂の古い壁石。
「天井、壊すなって言われてたわね」
影の中で、イーダが言った。
「分かってる」
「細く撃つのよ。徴収人の小指のときみたいに」
「分かってるって」
腹の底の石に、そっと触れた。
ほんの少しだけ。細く。細く。
「イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――」
名前。
「……石柱に、名前ってあるのか」
「ないでしょ」
「じゃあ――試しの石柱」
「それ名前?」
「呼ばれてんだから、名前だろ」
黒い雷が糸みたいに細く落ちた。
石柱のてっぺんに、ちりっと当たった。
黒い点がひとつ、ついた。
それだけだった。
広間に、くすくす笑いが広がった。
「なんだ、あれ」
「午前中のはまぐれか」
「窪地の雷も、大したことないな」
ジェラルドが腕を組んで笑っていた。さっきまで真っ赤だった顔が、元に戻っていた。
「結局、死体くさい屍洗いは、死体を舐めるのが特技ってだけか」
ジェラルドは俺の上着のつぎはぎを指さした。
「その服もさ、死体から剥いだのか? 継ぎ目が汚えんだよ」
袖の焦げ跡に当てた布。
ネリが夜なべして縫った布だ。咳が治ったばかりの手で。「お兄ちゃん、試験なんでしょ。これ着ていきな」と言って。
腹の底で、何かがかちりと鳴った。
イーダの怨みじゃなかった。
これは俺のだ。
「……イーダ」
「なに」
「天井、ごめん」
「え?」
「イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――」
今度は手加減しなかった。
「――試しの石柱ァ!!」
◇
天井が抜けた。
黒い雷が試験場の天井を突き破って落ちてきた。屋根瓦と梁と漆喰を道連れに、太い稲妻が、石柱のてっぺんから根もとまで、まっすぐ貫いた。
石柱が消えた。
割れたんじゃない。砕けたんでもない。黒い光の中で、祈りの文字ごと、粉になって消えた。
雷は床まで届いた。磨かれた石の床に、黒い穴がぽっかり開いた。
そして、雷の余波が横に広がった。
隣の石柱が折れた。その隣も。そのまた隣も。十二本の石柱のうち、カティアが半分割った柱も含めて、全部、ばたばたと倒れた。
ジェラルドが尻もちをついていた。頭の上に、天井の漆喰がぱらぱら降っていた。
土煙が晴れた。
天井に、大きな穴が開いていた。そこから、午後の青空が見えた。
試験場じゅうが静まり返っていた。
俺は口を開いた。
「……つぎはぎの何が悪いんだよ」
声が低くなっていた。澱酔いだ。
「妹が縫ったんだよ。咳しながら縫ったんだよ。汚えのはあんたの薄めた聖油のほうだろうが。金貨三枚で水買って喜んでんじゃねえよ、男爵の三男坊!」
ジェラルドが口をぱくぱくさせていた。
影の中で、イーダが天を仰いでいた。
「言っちゃった」
「半分は俺だ」
「半分以上、あんたでしょ」
◇
壇上で、試験官長の婆さんが、天井の穴を見上げていた。
長いこと、見上げていた。
それから、けらけらと笑い出した。腹を抱えて。
「壊すなって言ったのに! あっはっは!」
婆さんは目じりの涙をぬぐった。
「二の試験。屍洗いのヴィム。石柱十二本、全壊。天井一枚、全壊。……点のつけようがないね」
婆さんは机の上の紙に、大きく書いた。
「上級鑑札試験、首席。屍洗いのヴィム」
広間の誰も、何も言わなかった。
「次席、カティア」
カティアが唇を噛んでいた。
夕方、ギルドの受付で、鑑札を受け取った。銀の小さな札だ。首から下げる紐がついている。表に、硝子の小瓶の紋。裏に、俺の名前。
屍洗いのヴィム、と彫ってあった。
ギルドの正面の階段を下りると、下の段にカティアが座っていた。
俺を見上げた。目が赤かった。
「……おめでとう」
歯を食いしばったまま言った。
「言っとくけど、次は勝つから」
「天井の修理代、半分出してくれるなら、考えてやる」
「出さないわよ!」
カティアは立ち上がって、青い外套を翻した。
二、三歩行ってから振り返った。
「その上着」
「なんだよ」
「……継ぎ目、きれいだったわよ」
青い外套が夕暮れの商人街に消えていった。
第26話 了




