第24話 足を踏む徴収人
三十七、教会税の徴収人ホッブが、施療院の慰問のたびに私の足を踏む。わざと。
「わざと?」
「わざとよ。毎回、同じ右足の小指。聖女は裸足で祈らなきゃいけないの。あいつ、それを知ってて、固い靴で」
イーダは影の中で、自分の右足をさすっていた。
「痛いって言えないでしょ。聖女だから。笑って『お気になさらず』って言うの。そうするとね、あいつ、にやっと笑うの」
「……しょうもな」
「しょうもなくない! 小指よ! 一番痛いところ!」
怨み帳の三十七件目を、俺は指でなぞった。
ホッブ。聞いたことのある名前だった。
窪地に、月に一度来る男だ。教会の聖油代を集めに来る。大聖炉を燃やすための油代、ということになっている。一家で銅貨五枚。払えない家には、聖堂兵を連れてくる。
ちょうど、今日が集金の日だった。
◇
昼過ぎ、坂の上から、小太りの男が下りてきた。
黒い上着に、教会の紋章の腕章。固そうな革の靴。後ろに聖堂兵がふたり。手に分厚い帳面を抱えている。
ホッブだった。
窪地の住人たちが、しぶしぶ家から出てきた。銅貨を握りしめて。
「はい、はい、並んで。聖油代だよ。大聖炉の火はみんなの油で燃えてるんだからね」
ホッブはひとりずつ銅貨を受け取って、帳面に書きこんでいった。
井戸端のおかみさんの番になった。
「先月の分、まだもらってないよ」
ホッブが帳面を見ながら言った。
おかみさんの顔がこわばった。
「払ったよ。先月、あんたに。銅貨五枚」
「帳面に書いてない。書いてないってことは、払ってないってことだ」
「払ったって言ってんだろ!」
「じゃあ、証拠は?」
おかみさんは黙った。窪地の人間は受け取りなんかもらわない。もらっても、字が読めない者も多い。
「先月の分と、今月の分。銅貨十枚ね」
後ろの聖堂兵が槍の石突きで地面を突いた。
おかみさんは唇を噛んで、懐から銅貨をもう五枚出した。
次の家も、同じだった。その次も。
「先月の分、書いてないねえ」
影の中で、イーダが歯ぎしりしていた。
「あいつ、施療院でも同じことしてたの。寄付の受け取り、わざと書き忘れて。二回払わせて」
「わざと?」
「足と同じよ。わざと」
◇
俺はポケットから小瓶を出した。
白い澱だ。
三日前に洗った、詐欺師のサイラスじいさんから抜いた。口八丁で商人から金をだまし取って、最後は自分がだまされて、借金まみれで死んだじいさんだ。死に顔が笑っているのか泣いているのか分からなかった。
澱は乳みたいに白かった。
「白は、嘘」
イーダが言った。
「隠したものを映す鏡になるわ。ただし、酔うと本当のことが言えなくなるの」
「どうなるんだ」
「全部、逆になる」
「……めんどくせえ」
一滴、舐めた。
冷たかった。舌がつるつるになった気がした。
「ティ・リ・フェス・エ・トゥ」
ホッブの目の前の空中に、白い光が走った。
光は四角く広がって、鏡になった。大きな、人の背丈ほどもある鏡だ。窪地の路地の真ん中に、ぽっかりと浮かんでいる。
住人たちがどよめいた。
ホッブが鏡を見て固まった。
鏡に映っていたのはホッブじゃなかった。
ホッブの上着の内側だった。
内ポケットに、もう一冊、薄い帳面が入っている。鏡の中で、その帳面が勝手に開いた。ページがめくれていく。
窪地の家の名前が並んでいた。井戸端のおかみさん。鍛冶屋。死体車の御者。どの名前の横にも、先月の日付と、銅貨五枚の印がついていた。
払った、という印だ。
鏡の中の帳面の、最後のページに、数字が書いてあった。
教会に納めた額。自分の懐に入れた額。
後者のほうが多かった。
「な、なんだ、これは!」
ホッブが鏡に飛びついた。手がすり抜けた。鏡はホッブが動くたびについてきた。背中に回っても、横に回っても、ホッブの目の前に。
住人たちがじわじわとホッブを囲み始めた。
「……払ってたじゃねえか」
「先月の分、ちゃんと書いてあるじゃねえか」
「二重に取ってたのかよ!」
ホッブが聖堂兵のほうを振り返った。
「お、おい、こいつらを――」
聖堂兵たちは鏡を見ていた。鏡には、ホッブの帳面の別のページが映っていた。「兵の手当て、半分に削る」と書いてあった。
聖堂兵たちは槍を下ろした。
「……副業に忙しいもんで」
「帰るわ、俺たち」
ふたりはさっさと坂を上っていってしまった。
◇
ホッブが俺を見つけた。
「き、貴様か! 黒雷の屍洗い! 教会の徴収人に手を出したら、どうなるか――」
「知らねえ」
口が勝手に動いた。
「俺はあんたを尊敬してる。立派な男だ。足の小指なんか、一回も踏んだことがない、優しい人だ」
ホッブがぽかんとした。
住人たちも、ぽかんとした。
しまった。白い澱の酔いだ。全部、逆になる。
「あんたみたいな正直者は、窪地に来てくれてありがたい。これからも、毎月来てくれ」
「……」
「二度と来るな、って意味よ」
イーダが影の中で解説した。誰にも聞こえない。
ホッブはじりじりと後ずさった。逃げる気だ。
俺は腹の底の石に手を伸ばした。
一滴だけ。ほんの少しだけ。
「イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――ホッブ」
黒い雷が細く、細く落ちた。
糸みたいな稲妻が、一本だけ。
ホッブの右足の、固い革靴の、つま先に。
ばちん。
「ぎゃああああああっ!!」
ホッブが飛び上がった。右足を抱えて、片足でぴょんぴょん跳ねた。
「こ、小指! 小指がああっ!」
つま先の革が小指のところだけ、きれいに焦げていた。
影の中で、イーダが転げ回って笑っていた。
「そこ! そこよ! 小指! あはははは!」
ホッブは右足を引きずって、坂を這い上がっていった。
その上着の内ポケットから、薄い帳面がぽとりと落ちた。鍛冶屋の息子が拾い上げた。
住人たちが帳面を囲んだ。字の読める者がひとりずつ名前を読み上げた。先月払った分が全部書いてあった。
「これ、衛兵に持っていけば、取り返せるかな」
「取り返せるさ」
おかみさんが俺のほうを振り向いた。
「ヴィム、あんた、ありがと――」
「礼なんか、いくらでも言ってくれ。嬉しいから」
言ってから顔が熱くなった。白い酔いだ。逆だ。逆になってる。
おかみさんはにやりと笑った。
「はいはい。いらないってことね」
窪地の人間は俺の嘘に慣れていた。
夜、帳面を開いた。三十七件目が灰色になっていた。
影の中で、イーダが右足を伸ばした。
「小指、ちょっと軽くなった気がする」
「死んでるのに?」
「死んでても、痛いものは痛いの」
俺は死人帳のほうも開いて、サイラスじいさんの欄に、小さく書き足した。
白。鏡。役に立った。
第24話 了




