第19話 大聖炉
聖女さまの遺体は、白い花で埋めた輿に乗せられて、窪地を出ていった。
担いだのは聖騎士が八人。先頭に、アルヴィドがいた。目の下が真っ黒だった。通夜で一睡もしていないらしい。
小屋の前を通るとき、アルヴィドは焼け焦げた壁を見て、足を止めかけた。俺を見た。何か言いたそうな顔をした。
でも、何も言わずに歩いていった。
俺は少し離れて輿のあとをついていった。
影の中で、イーダが言った。
「見送りに来てくれるの?」
「見届けに行くだけだ」
「同じことよ」
「違う」
◇
大聖堂の前の広場は、人で埋まっていた。
昨日の行列の何倍もいた。屋根の上にまで人がいる。窓という窓から顔が出ている。都じゅうの人間が集まっていた。
大聖堂の正面の扉が、大きく開け放たれていた。
その奥に、赤い光が見えた。
大聖炉だ。
大聖堂の床の下に、巨大な炉がある。昼も夜も、一度も消えたことがない。この火が燃えている限り、灰都の城壁は澱鬼を寄せつけない。そう教わってきた。
炉の火は民の祈りで燃えている。
そう教わってきた。
輿が大聖堂の階段の下に止まった。
鐘が鳴りやんだ。広場がしんとした。
扉の奥から、ひとりの男が出てきた。
白と金の法衣。背の高い帽子。六十を少し過ぎたくらいの年だった。
大司教グラウス。
遠くからでも分かった。この男は疲れている。肩が落ちている。目の下のしわが深い。人の前に立つ仕事を長く続けすぎた人間の顔だった。
大司教が口を開いた。
「灰都の民よ」
声は優しかった。
「今日、私たちは八人目の聖女を、天にお送りする」
広場のあちこちで、すすり泣きが起きた。
「聖女イーダは、十九年の短い生涯を、すべて民のために捧げた。一度として不平を口にせず、一度として祈りを怠らず、ただ微笑みを絶やさなかった」
影の中で、イーダが小さく鼻を鳴らした。
「言えなかったのよ」
「……」
「言わせなかったのよ」
「聖女の魂は、この大聖炉に宿り、都の壁を永遠にお守りくださる。先の七人の聖女がそうであったように」
大司教は両手を広げた。
「さあ、聖女イーダを、炉へ」
◇
まず、瓶が運ばれてきた。
小さな瓶が盆に並んでいた。見覚えがあった。俺が毎朝、下男に渡していた瓶だ。ほかの死体から抜いた、灰色の、薄い澱。
司祭たちがそれを「清めの聖油」と呼んで、ひとつずつ炉の中に注いでいった。
炉の火は何も変わらなかった。
次に、輿が運ばれていった。
聖騎士たちが輿を肩から下ろした。白い花の中から、聖女さまの遺体を抱き上げた。アルヴィドが頭のほうを支えていた。
炉の縁まで運んだ。
アルヴィドの手が止まった。
ほんの一瞬だった。遺体の顔を見下ろして、止まった。それから、ゆっくりと手を離した。
聖女さまの遺体が、炉の中へ落ちていった。
白い衣が赤い光の中で揺れた。
広場じゅうが息を止めた。
年寄りたちが話していたのを聞いたことがある。五十年前、先代の聖女さまが炉に入ったとき、火が黒く変わったそうだ。黒い炎が大聖堂の屋根より高く噴き上がった。金の火の粉が三日三晩、都じゅうに降った。
聖女の魂が壁に宿った印だと、みんなが泣いた。
広場の全員がそれを待っていた。
火がぱちりと鳴った。
遺体の衣に火が移って、白い衣が、赤い火に包まれていった。
それだけだった。
黒い炎は上がらなかった。金の火の粉も降らなかった。ただ普通の火が普通に遺体を焼いていた。薪を足したときと同じくらいの、控えめな炎だった。
広場がざわついた。
「……黒い火は?」
「まだか?」
「おかしくないか、これ」
大司教の顔から、血の気が引いていた。
さっきまでの、疲れた優しい顔じゃなかった。炉の中を凝視していた。唇が何か言いかけて、止まった。
大司教はゆっくりと横を向いた。
控えていた司祭たちの中に、痩せた黒い法衣の男がいた。
セルジュだった。
セルジュは炉を見ていなかった。広場の群衆のほうを見ていた。何千人もの顔を、ひとつずつ、なめるように。
目が合った。
人混みのずっと後ろの、俺と。
セルジュは表情ひとつ変えなかった。ただ、懐から例の小さな帳面を取り出して、何か書きつけた。
◇
影の中で、イーダが震えていた。
「……聞こえる」
「何が」
「声。炉の中から。さっきより、ずっと大きい」
俺には何も聞こえなかった。火のはぜる音と、群衆のざわめきだけだ。
「探してるの、私を」
イーダの声がかすれていた。
「『どこ』『どこにいるの』って。何人も。女の人が。炉の中で、手を伸ばして、私の体の中を探ってる。私の怨みを探してる」
「……」
「見つからなくて、怒ってる」
炉の火が一瞬だけ揺れた。
風もないのに、ごう、と。低い音を立てて、赤い炎が、ほんの少しだけ黒ずんだ。
すぐに元に戻った。
大司教が両手を上げた。
「……聖女イーダは、天に昇られた」
声がわずかに震えていた。
「あまりにも清らかな魂であったため、炉に留まることなく、まっすぐに天へ。これもまた、神の御心である」
群衆の中から、ぱらぱらと祈りの声が上がった。ほっとしたような、納得したような。
「そうか、清らかすぎたのか」
「さすが聖女さまだ」
泣き女たちがまた一斉に声を上げて泣き始めた。
イーダが影の中で笑った。乾いた笑いだった。
「清らかすぎて、ですって」
「……」
「私、あんたの腹の中にいるのに」
炉の前で、アルヴィドが膝をついていた。
肩が震えていた。泣いていた。光らない剣を握りしめて、声を殺して泣いていた。
群衆の誰も、それを見ていなかった。
俺は見ていた。
葬儀は昼前に終わった。人が散っていった。
俺は広場の端で、大聖堂の尖塔を見上げていた。
大聖炉の赤い光は、今朝より、ほんの少しだけ暗くなっている気がした。
第19話 了




