第14話 澱喰いの一座
北の広場は人で埋まっていた。
聖女さまの喪中だというのに、祭りみたいな騒ぎだった。広場の真ん中に、派手な天幕が張られている。赤と紫と金の縞模様。天幕の周りには、馬車が五台並んでいた。どの馬車にも、同じ絵が描いてあった。
大きく口を開けた、道化の顔。
その口の中に、黒い雫が落ちていく絵だ。
澱喰いの一座。
馬車の荷台に、樽が積まれているのが見えた。樽の横腹の焼き印に、見覚えがあった。
油の雫の紋。聖油商会。
「……ここにも」
「坂の上の地下にあったのと同じね」
イーダが俺の肩越しに言った。
どん、どん、と太鼓が鳴った。
天幕の入り口が開いて、男がひとり、飛び出してきた。
背が高くて、痩せていた。手足が異様に長い。つぎはぎだらけの外套を着て、顔を白く塗っている。口の両端から耳のほうまで、赤い線で笑った口が描いてあった。
「やあ、やあ、灰都のみなさん!」
声がよく通った。広場の端まで、楽しそうに響いた。
「泣いてるかい? 泣いてるよね! 聖女さまが死んじゃったもんね! かわいそうに、かわいそうに!」
男はくるりと回った。
「座長のザザだよ。今夜は泣いてるみなさんに、とびきりの見世物を持ってきた」
ザザは懐から小瓶を出した。
中身は濁った緑色だった。
「これはね、東の町の粉屋の婆さんの澱。隣の家の嫁が自分より美人なのが、四十年ずっと悔しかったんだって」
笑いが起きた。
ザザはそれを一気に飲んだ。
「ヴェザ・ルゥ・ガラン・ド!」
ザザの口から、緑の炎が噴き出した。
火柱だった。広場の上空まで届く、巨大な緑の火柱。夜空が緑に染まった。群衆がわっと声を上げる。
ザザは炎を吐きながら、次の瓶を開けた。赤。飲む。ザザの体が赤い霧に溶けて消えた。群衆がどよめく。次の瞬間、ザザは広場の反対側の屋根の上に現れていた。
次は金。ザザが屋根の上で、家二軒ぶんの大きさにふくれ上がった。
次は青。巨大なザザの手から青い鎖が何百本も噴き出して、広場の上に網を張った。
全部、違う人間の澱だった。
全部、ひとりで使っていた。
「……ありえねえ」
俺は呟いた。
普通、澱術師が使えるのは一種類だけだ。カティアの青い鎖みたいに。ほかの色を飲めば、澱酔いが混ざって頭がおかしくなる。
ザザは四色を続けて飲んで、けろりとしていた。
「酔ってないわね、あいつ」
イーダが目を細めた。
「酔わないように、喰ってるのよ」
「喰ってる?」
「見てて」
◇
ザザは屋根から飛び下りた。元の大きさに戻っていた。
舞台の上に、一座の芸人たちが並んだ。太った女。双子の少年。片腕の男。みんな、顔にザザと同じ赤い笑いを描いている。
「さあ、ここからが本番だよ!」
ザザは両手を広げた。
「今夜は、みなさんの怨みを買い取ります!」
群衆がざわめいた。
「家族の澱を持ってる人、いるでしょ? 教会に内緒で、ひと雫だけ取っておいた人。死んだ旦那の。死んだ母ちゃんの。その怨み、ザザが高く買うよ!」
しばらく、誰も動かなかった。
それから、人混みの中で、ひとりの女が手を挙げた。
手には小さな小瓶。
「……夫のです。酒場で、殴られて死にました。殴った男は貴族の息子で、何のお咎めもなくて」
「かわいそうに!」
ザザは女から小瓶を受け取った。女の手に、金貨を一枚握らせた。
そして、小瓶の中身をひと息に飲んだ。
ザザの顔が一瞬、ぐにゃりと歪んだ。
怒りの顔だった。殴られて死んだ男の、最後の怒り。
ザザは口を大きく開けた。塗った口の線よりももっと大きく。顎が外れたみたいに。
その口の中に、黒い何かが見えた。
ザザは自分の口の中の怒りをもう一度噛んだ。噛んで、飲みこんだ。
怒りの顔が消えた。
ザザはにっこり笑った。
「ごちそうさま」
群衆がしんとした。
女は金貨を握ったまま立ちつくしていた。夫の怨みが目の前で消えた。晴らされたんじゃない。誰にも向けられずに、ただ喰われた。
女の目から、涙が落ちた。
女は、しばらくザザの顔を見上げていた。
「……あの人の怒り、どこに行ったんですか」
小さな声だった。
「貴族の息子に殴られて、あの人、最後まで怒ってたんです。死ぬ前の晩もずっと。あの怒り、どこに行ったんですか」
「ザザのお腹の中」
ザザは、自分の腹をぽんと叩いた。
「もう、どこにも行かないよ。安心して」
女は、金貨を握ったまま、人混みの中に消えていった。
影の中で、イーダが、ひどく静かな声で言った。
「……喰われた怨みは、どこにも届かないの」
「晴れないのか」
「晴れないわ。消えるだけ。殴った男は、何も知らないまま、明日も酒場で笑ってる」
俺は、舞台の上の白塗りの顔をもう一度見た。
「怨みってのはさ」
ザザは舌で唇をなめた。
「他人のやつが、いちばんうまいんだよ」
◇
見世物の最後に、ザザは言った。
「ひとつ、お知らせ!」
声が一段高くなった。
「今、都で噂になってる聖女さまの澱。本物を持ってきた人には、ザザが金貨百枚出すよ! 一滴でも!」
群衆が爆発した。
金貨百枚。窪地の人間が一生働いても、見ることのない金だ。
「偽物はだめだよ! ザザには、においで分かるからね!」
ザザは大げさに鼻をひくひくさせた。
笑いが起きた。
ザザの顔がゆっくりとこっちを向いた。
群衆の中の、俺のほうを。
目が合った。白塗りの顔の中で、黒い目だけが笑っていなかった。
ザザは鼻をひくつかせた。一度。二度。
そして、舞台の上から、まっすぐ俺を見たまま、にいっと口を広げた。
「いい匂いがするね、きみ」
声は大きくなかった。なのに、人混みを抜けて、俺の耳にだけはっきり届いた。
周りの誰も、ザザが誰に言ったのか気づいていなかった。
イーダが俺の袖を引こうとして、すり抜けた。
「帰るわよ、ヴィム」
「……ああ」
俺は人混みをかき分けて、広場を出た。
背中に、ずっと視線が張りついていた。
広場の出口で、振り返った。
舞台の上に、ザザはもういなかった。
代わりに、俺のすぐ後ろの暗がりで、甘ったるい声がした。
「明日の晩、もらいに行くよ」
振り向いた。
誰もいなかった。石畳の上に、赤い霧の名残がうっすら漂っているだけだった。
第14話 了




