第13話 闇市の値札
灰都の闇市は、南の古い石橋の下にある。
川が干上がってできた広い空き地に、夕方になると屋台が並ぶ。盗品、密輸の酒、どこから来たのか分からない薬。そして、横流しの澱。
バルボ婆の店は橋の柱の陰にあった。
屋台というより、穴ぐらだ。柱にへばりつくように板を立て、布を垂らし、奥に瓶の棚がある。棚の瓶は全部色が違う。赤、青、緑、灰色。
「おや、ヴィム坊。気が変わったかい」
婆さんは奥の椅子で煙管をふかしていた。
「売りに来たのはこれだ」
俺は懐から、首飾りを出した。
伯爵夫人の首から落ちた、大粒の石がずらりと並んだやつだ。
婆さんの煙管が止まった。
首飾りを手に取った。ランプにかざした。石をひとつずつ、指でなぞった。それから、にたりと笑った。
「こりゃあ、ドルカ伯爵家の『夜の雫』だね。ふうん。そうかい、そうかい。黒い雷ってのはやっぱりあんたかい」
「値段」
「金貨二十枚」
「五十」
「二十五」
「四十五。出どころを聞かない代金込みで」
婆さんはけらけら笑った。
「三十五。出どころなんか、この町じゃみんな知ってるよ」
「……四十」
「三十八」
イーダが俺の横で腕を組んでいた。
「そのうち九割は施療院よ」
「三十八だ、婆さん」
「毎度」
金貨三十八枚。
手のひらに載せると、ずっしり重かった。生まれてこのかた、こんな大金を持ったことはない。
九割は三十四枚と少し。
四枚。俺の取り分は四枚。
「三枚」
イーダが言った。
「端数は施療院」
「……ちっ」
◇
「ところで坊や」
婆さんが煙管をくわえ直した。
「表の値札、見たかい」
「値札?」
婆さんは顎で、闇市の通りを指した。
店を出て、屋台の並びを見た。
澱を売る屋台がいくつもある。どこの屋台にも、同じような札が下がっていた。
聖女の澱、あり〼。
一滴、金貨五枚。
隣の屋台の札。聖女の澱、入荷予定。予約受付中。
その隣。聖女さまの涙(本物)。
「……何だこれ」
「伯爵家に黒い雷が落ちたろう。坂の上の聖堂も吹っ飛んだ。噂じゃ、あれは聖女さまの澱で撃った雷だってさ。聖女さまの澱には、天罰の力があるってね」
婆さんは煙を吐いた。
「で、こうなる。偽物だらけさ。墨を溶かした水に、金粉を浮かせただけのもんまである」
「誰が買うんだよ」
「買うやつはいるよ。怨みのある人間は、この都にいくらでもいる」
婆さんの目が俺をじっと見た。
「それにね、本物を探してる連中もいる。昨日から、変な一座が都に来てるだろう。あいつら、闇市じゅうの澱を買い漁ってる。聖女さまのはいくら出しても買うそうだ」
「一座?」
「澱喰いの一座さ。今夜、北の広場で見世物をやる。行ってみるといい。あんたみたいな匂いのする子は、気をつけたほうがいいけどね」
婆さんはにたりと笑った。
「本物の聖女の澱なら、あたしも今の十倍で買うよ。一滴、金貨十枚」
「売らねえ」
「今はね」
◇
窪地へ下りる坂の途中で、子どもに呼び止められた。
「黒雷の兄ちゃん!」
鼻を垂らした、七つか八つの男の子だった。手に、ぴかぴかの銀貨を一枚握っていた。
「これ、空から降ってきたの! 坂の上の聖堂が吹っ飛んだとき!」
「……ああ」
「これで、母ちゃんの薬、買ったの! お釣りで、パンも買ったの!」
男の子は、銀貨を空にかざした。夕日が当たって、きらきら光った。
「まだお釣りがあるから、とっといてるの。母ちゃんがまた咳したときの分」
男の子は、銀貨を大事そうに懐にしまって、坂を駆け下りていった。
影の中で、イーダが言った。
「……あれ、助祭のお金よね」
「窪地の死人の金だ」
「じゃあ、戻っただけね」
俺は、懐の金貨の袋を持ち直した。さっきより、少し重く感じた。
施療院は窪地の入り口にある。
古い木の建物で、いつも咳の音が聞こえる。俺は金貨を三十五枚入れた袋を、受付の机に置いた。
受付の修道女が目を丸くした。
「こ、これは」
「寄付」
「どなたから」
俺は少し考えた。
「聖女さまから」
修道女は口を開けたまま、俺と金貨を交互に見ていた。
俺は背中を向けて、施療院を出た。
「……名前、言わなかったのね」
イーダが横を歩きながら言った。
「俺の金じゃねえし」
「あんたが取ってきたお金よ」
「取ってきたのは首飾りだ。首飾りは香水ババアのだ。香水ババアの首飾りは、あんたの寄付で買ったもんだ」
「……」
「だから、あんたの金だろ」
イーダは何か言いかけて、やめた。
しばらく黙って歩いてからぽつりと言った。
「ありがと」
「いらねえ」
「感謝は燃えないもんね」
「腹も膨れねえ」
◇
長屋に帰ると、ネリが起きていた。
窓のそばに座って、外を見ていた。咳をしていない。
「おかえり、お兄ちゃん」
「咳は」
「ぜんぜん出ない。あの薬、すごいね。四日で、こんなに楽になるなんて」
ネリは枕元の瓶を持ち上げてみせた。伯爵家の倉庫から持ち出した咳止めだ。もう半分に減っている。
「施療院にも、薬がたくさん届いたんだって。坂の上で聞いたよ。黒い雷の人が悪い貴族をやっつけたんだって」
「ふうん」
「お兄ちゃんでしょ」
「……」
「窪地じゅう、知ってるよ」
ネリはくすくす笑った。
それから、窓の外に目を戻した。窓の向こうに、東の丘が見える。丘のてっぺんに、大聖堂の尖塔がそびえている。まだ弔いの鐘が鳴っていた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ」
「聖女さまって、次は誰がなるの?」
俺は上着を脱ぐ手を止めた。
「知らねえ。なんで」
「なんとなく」
ネリは窓枠に頬杖をついた。
「どんな子がなるのかなって。貧乏な子でも、なれるのかな」
「なりたいのか」
「まさか」
妹は笑った。咳の出ない、明るい声で。
俺はそれ以上聞かなかった。上着を掛けて、床下から小さな缶を出した。錆びたブリキの、手のひらくらいの缶だ。
ふたを開ける。底に、折りたたんだ紙切れが一枚入っている。
その上に、金貨を三枚置いた。ふたを閉めた。床下に戻した。
イーダがそれを見ていた。
「何それ」
「金庫だって言ったろ」
「紙が入ってた」
「借用書だ」
嘘だった。
イーダはそれ以上何も言わなかった。窓の外の尖塔を、ネリと同じ目で見ていた。
鐘が鳴った。
北の広場のほうから、太鼓の音がかすかに聞こえ始めた。
第13話 了




