第12話 喰われる金庫
奥の台から、死体が起き上がった。
でかい男だった。腹が樽みたいにふくれている。首の管が抜けて、黒い澱がぴゅうっと噴き出した。
顔を見て、分かった。
荷担ぎのドゥーゴだ。窪地でいちばんの大食い。パン屋の裏の残飯を毎朝あさって、それでも足りないと嘆いていた男。三日前に、腹を押さえて倒れたと聞いた。
ドゥーゴは鎖を引きずって歩き出した。
白く濁った目が階段の上を見ていた。
助祭のほうを。いや、助祭の手の中のプリンを。
「ひっ」
助祭が一歩下がった。
「だ、誰か! 用心棒!」
階段の上で扉が開いて、男がふたり駆け下りてきた。黒い上着。腰に硝子の小瓶を下げている。聖油商会の人間だ、と直感で分かった。
ドゥーゴが唸った。狙いを変えた。いちばん近くにいる俺に向かって、腕を振り上げる。
俺はポケットの小瓶を開けた。黒いやつだ。一滴。
腹が立つ味が喉を焼く。
「悪い、ドゥーゴ。イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――ドゥーゴ!」
地下の天井を這うように、黒い雷が走った。
ドゥーゴの胸に落ちた。巨体がのけぞる。首の傷口から、澱が噴き上がった。
紫色だった。
ぶどう酒を煮つめたみたいな、濃い紫。雨みたいに降ってくる。俺はとっさに手のひらで受けた。
「紫よ、ヴィム! 食い意地!」
イーダが叫んだ。
「なんでも食べる牙が出るわ!」
ドゥーゴがどさりと台の上に倒れた。ただの死体に戻った。
用心棒のひとりが、小瓶の中身をあおった。
「ヴェザ・ルゥ・ガラン・ド!」
緑の炎が渦を巻いて噴き出した。地下が一気に明るくなる。熱い。炎は台の上の死体たちを舐めながら、まっすぐ俺に向かってくる。
俺は手のひらの紫を舐めた。
腹が鳴った。
ぐうう、と地下じゅうに響く音で。
腹が減った。死ぬほど減った。三日食べていないみたいに。目の前のものが全部うまそうに見える。緑の炎さえ。
「ハグ・ザ・ネ・モゥ!」
口の前に、紫の光が集まった。
牙になった。
人の背丈ほどもある、紫色の牙。上と下に二本ずつ。それががちんと噛み合った。
緑の炎を噛んだ。
炎が噛みちぎられた。牙がもぐもぐ動いて、炎を飲みこんだ。最後の火の粉まで。
「な……」
用心棒が口を開けたまま固まった。
牙は止まらなかった。
腹が減っている。まだ減っている。牙は地下の壁に食いついた。石の壁が焼き菓子みたいにばりばり砕ける。壁の向こうに、隠し部屋があった。
鉄の箱が並んでいた。
金庫だ。ひとつ、ふたつ、五つ。
「そ、それは!」
助祭が悲鳴を上げた。
牙は金庫に噛みついた。鉄が紙みたいに裂けた。中から、金貨と銀貨がどっとあふれ出た。帳面も一冊、ばさりと落ちた。
牙がそれを全部くわえた。
「待ちなさい、それは教会の――」
「教会のじゃねえだろ」
腹が減りすぎて、声が低くなった。
「窪地の死人の金だ」
俺は小瓶を傾けた。黒い澱を、もう一滴。
「イドゥ・ネッサ・ゾゾム・ラ・ガルヴァ――モーリス!」
◇
黒い雷は地下の天井を下から突き破った。
聖堂の床が抜けた。屋根が抜けた。石と瓦と一緒に、助祭の丸い体が空に吹き上がった。
紫の牙がくわえていたものを放した。
金貨が空に散らばった。
朝日を受けて、きらきら光った。何百枚、何千枚。坂の上から、窪地に向かって、雨みたいに降っていった。
窪地の路地に、金貨が降った。屋根に当たってちゃりんと跳ね、洗濯物にひっかかり、井戸に落ちた。
人が家から出てきた。
「……金?」
「空から金が降ってる!」
子どもが走り回って拾った。おかみさんが前掛けを広げた。
聖堂の跡地に、人が集まり始めた。
床が抜けた聖堂の真ん中に、地下の台が丸見えになっていた。鎖でつながれた死体が十五。首に管を刺されたまま。
人だかりの中で、誰かが声を上げた。
「……母ちゃん?」
鍛冶屋の息子だった。台の上の婆さんを見て、よろよろと下りていく。
「母ちゃん、教会で弔ってもらったって……」
ほかにも声が上がった。
「うちの子が」
「なんで、こんな」
助祭は瓦礫の上に転がっていた。法衣が破れて、腹が丸出しになっていた。気絶はしていない。目を白黒させて、起き上がろうとしている。
その周りを、窪地の人間が囲んでいた。
誰も、何も言わなかった。
ただ、黙って助祭を見下ろしていた。手に拾った金貨を握ったまま。台の上の家族と、助祭の顔を交互に見ていた。
助祭が這って逃げようとした。
鍛冶屋の息子がその前に立った。
帳面が瓦礫の上に落ちていた。俺はそれを拾い上げて、開いた。日付と名前と、樽の数と、商会から受け取った金額。
窪地の死人ひとりにつき、金貨二枚。
俺はそれを、鍛冶屋の息子に渡した。
「衛兵に」
息子は黙ってうなずいた。
◇
それから俺は台の上の十五人を洗った。
腹は減ったままだった。紫の酔いが抜けない。目の前にあるもの全部がうまそうに見える。それでも手は止めなかった。
ひとりずつ、顔を拭く。家族が横に立っているなら、名前を教えてもらう。いないなら、俺が知っている名前を呼ぶ。
「鍛冶屋のマーヤ婆さん。洗います」
「ドゥーゴ。洗います。……腹、減ってたんだよな」
十五人。昼までかかった。
最後のひとりを拭き終えたとき、俺の腹が盛大に鳴った。
瓦礫の中に、プリンの器が転がっていた。助祭が落としたやつだ。中身がまだ半分残っている。
俺はそれを拾って、匙ごと口に突っこんだ。
甘かった。とんでもなく、うまかった。
「あっ」
イーダが声を上げた。
「私の!」
「あんたのじゃねえ」
「同じ店のだって言ったでしょ! ひと口! ひと口だけ!」
「死人は食えねえだろ」
「最低!」
俺は器の底までなめた。
イーダは涙目で俺をにらんでいた。
昼過ぎ、小屋に戻って帳面を開いた。
二、助祭モーリスが、私のプリンを食べた。
灰色に変わっていた。
ポケットの中には、拾い損ねた金貨が一枚だけあった。空から降ってきたやつの一枚だ。
「一割には、ぜんぜん足りない」
「それでいいの」
イーダは洗い台の縁で、まだ少しむくれていた。
「全部、窪地に降ったんだから」
俺は金貨を指で弾いた。ちゃりん、と小屋に響いた。
外で、アルヴィドの慌てた声がした。朝の交代で大聖堂に戻っていて、今しがた帰ってきたらしい。
「な、何があった!? 坂の上の聖堂が、ないぞ!」
第12話 了




