第11話 プリンの助祭
二、助祭モーリスが、私のプリンを食べた。
「……これ、どういう話なんだ」
朝、洗い台の横で帳面を開いて、俺は聞いた。
小屋の外ではアルヴィドが石に腰かけたまま眠っていた。夜通し見張ると言って、明け方に力尽きたらしい。剣は膝に載せたまま、背筋だけはまっすぐだった。
「そのままの話よ」
イーダが言った。
「月に一度、施療院の慰問のあとに、大聖堂の厨房でプリンが出るの。私の分だけ。一年でいちばん楽しみな日」
「一年で?」
「聖女は甘いものを食べちゃいけないの。体が重くなるから。月に一度のプリンだけ、特別に許されてた」
イーダの顔がだんだん険しくなっていく。
「それを、あの助祭が食べたの。三回。慰問から帰ってきたら、器だけが空っぽで置いてあるの。口のまわりにカラメルをつけて、『おいしゅうございました』って。三回よ」
「……しょうもな」
「しょうもなくない!」
聖女さまが本気で怒鳴った。床下の鍋ががたがた鳴った。
しょうもない怨みほど、よく燃える。本当らしい。
「で、その助祭が、この窪地の受け持ちなんだな」
「坂の上の、小さい聖堂にいるわ」
俺は帳面を閉じた。
ペールじいさんのことを考えていた。三日間、一度も来なかった死体車のことを。
◇
死体車の御者は坂の途中の酒場にいた。
朝から飲んでいる。顔見知りの、痩せた中年の男だ。俺を見ると、露骨に目をそらした。
「ペールじいさんのとき、なんで来なかった」
「忙しかったんだよ」
「三日も?」
「……助祭さまの言いつけだ。俺は言われたとおりに回ってるだけだ」
御者は杯をあおった。手が震えていた。
「言いつけって、何だ」
「知らねえよ」
俺は黙って、御者の杯を取り上げた。中身を床にぶちまけた。
「おい!」
「次は、あんたの顔に澱をぶちまける。黒いやつを」
御者の顔が青くなった。窪地じゅうがもう知っている。黒い雷を撃つ屍洗いの噂を。
御者はぼそぼそと話し始めた。
「……窪地の死体は、すぐに運ぶなって言われてる。『三日置け』って。三日目の朝に回収して、屍洗いの小屋じゃなくて、助祭さまの聖堂の裏に運ぶんだ」
「裏?」
「地下の、倉だよ。俺は中は見てねえ。見るなって言われてる。運んで置いて、銀貨もらって帰るだけだ」
「ペールじいさんは」
「あのときは、倉がいっぱいだった。だから、そのまま……」
そのまま放っておかれて、澱鬼になった。
御者は顔を覆った。
「俺だって、嫌だったんだよ。でも銀貨一枚だぜ。一回で」
イーダが俺の後ろで言った。
「三日置くと、澱が一番濃くなるの。鬼になる直前がね」
酒場を出て、坂を上った。
途中の辻に、木の箱が置いてあった。表に紙が貼ってある。「聖女さまの遺志を継ぎ、窪地に祈りを。助祭モーリス」。箱のふたには、銅貨を入れる細い穴が開いていた。
窪地の子どもがひとり、箱の前に立っていた。握りしめた銅貨を一枚、穴に落とした。それから手を組んで、目を閉じた。
「何を祈ったんだ」
聞くと、子どもは目を開けた。
「母ちゃんが、ちゃんと天国に行けますようにって。先週、教会の人が連れてってくれたの」
先週。
三日置いて、地下の倉。
俺は何も言えなかった。子どもは坂を駆け下りていった。
箱の中で、銅貨がちゃりんと鳴っていた。
◇
坂の上の聖堂は小さな石造りの建物だった。
窪地を見下ろす位置に建っている。表には花が飾られて、聖女さまの肖像画に黒い布がかけてあった。喪中の飾りだ。
裏に回った。
地面に、鉄の扉があった。地下へ続く扉だ。鍵がかかっている。窪地育ちの俺には、針金一本で足りた。
扉を開けた瞬間、においが来た。
知っているにおいだった。毎日嗅いでいるにおい。三日目の死体のにおいだ。
階段を下りた。
地下はひんやりと広かった。壁ぎわに、木の台がずらりと並んでいる。
台の上に、死体が寝かされていた。
十、いや十五。窪地の人間だった。顔を知っている奴もいた。先週死んだ鍛冶屋の婆さん。井戸に落ちた子ども。咳で死んだ洗濯女。
みんな家族には、「教会が弔ってくれる」と言われていたはずだ。
死体の手足は鎖で台に縛りつけてあった。
首の付け根には、管が刺さっていた。管の先は台の下の樽につながっている。樽の中に、黒い澱が溜まっていた。
樽の横腹に、焼き印があった。
油の雫の形をした紋。その下に、文字。聖油商会。
「……聖油って」
「貴族が買う、あれよ」
イーダの声が冷たかった。
「祈りを込めた油、って教会は売ってるの。お守りにしたり、澱術の瓶に使ったり。一瓶で銀貨十枚」
祈りなんか込もっていない。
窪地の死体を三日置いて、いちばん濃くなった澱を抜いて、樽に詰めて売っている。
家族には何も言わずに。名前も呼ばずに。
死体の顔を見た。誰も、拭かれていなかった。泥も、涙の跡も、口の端の黒いものも、そのままだった。
手が勝手に震えた。
そのとき、奥の暗がりで、かちゃりと音がした。
鎖の音だった。
いちばん奥の台で、死体の指が動いていた。三日目を越えたんだ。首がゆっくりと持ち上がる。白く濁った目がこっちを向く。
同時に、階段の上から声が降ってきた。
「おや、おや」
甘ったるい声だった。
振り向くと、丸い男が階段の上に立っていた。白い法衣がはちきれそうなほど太っている。頬がつやつやしている。片手に、小さな器を持っていた。
器の中身は黄色くてぷるぷるしていた。
プリンだった。
「屍洗いの坊やではありませんか。こんなところで、何を」
助祭モーリスは匙でプリンをすくって、口に入れた。
「ここは、神聖な場所ですよ」
背中で、イーダが歯を食いしばる音がした。
「……私のプリン」
「違うだろ、たぶん」
「同じ店のよ。私の好きだった店の」
奥の台で、鎖が引きちぎれる音がした。
第11話 了




