第五話:傲慢なストリーマー
――あっけないものだった。
ついさっきまで耳障りな音を出していた“物”は、もう動かない。
そして今、チャンだったものは、二つ目の生け花になっていた。
鮮やか、と言うには少し違う。
どこか、歪んでいるのに整っている。
まるで最初から、
切り取られることだけを前提にしていたみたいだった。
短すぎる“配信”。
そう錯覚してしまうほどには。
「……っ。……ぁ。……おぇ。」
雨宮の喉がつまる。
胃の中身というより、“意味”が追いつかないまま外へ漏れていく。
足元が揺れる。
立っているのに、立っていない感覚。
「……で。君たちは、なんだい?」
藤堂の視線がこちらに向く。
値踏みをするようでいて、同時に“編集する側”の目。
空気が一瞬だけ、固定される。
それでも遠野は、なにも感じない。
少しだけ間を置いてから、口を開く。
「……水を探している。川とか知らないか?」
藤堂は一度だけ瞬きをした。
まるで、画面のノイズを処理するように。
「水を探している、ね。」
楽しそうでも、つまらなそうでもない声。
「いいね。目的があるのは嫌いじゃない。」
視線がゆっくりと周囲をなぞる。
森、斜面、空気の湿り。
まるで空間そのものを“編集素材”として見ているようだった。
「ちょうどいい。」
藤堂が、軽く手を上げる。
「この島、少しだけ“整えよう”と思っていたところだ。」
油断でも、反応でもない。
“前提”だけが切り替わったような静けさ。
次の瞬間。
半身があったはずの場所に、ブッシュナイフが刺さっていた。
空気だけが、遅れて意味を持つ。
「……げほっ……ごほっ……。」
雨宮が崩れるように膝をつく。
呼吸が整わないまま、視線だけが遠野を探す。
「……遠野さん……。」
一瞬、間が空く。
遠野はそれを見ていないようで、見ている。
崩れた意味には反応せず、ただ状況だけを拾う。
そして、ようやく動いた。
「水……知らないなら、もういい。いくぞ。」
短く言ってから、少しだけ視線を落とす。
「……立てるか?」
差しのべられた手に触れて、ようやく雨宮の震えが止まった。
正確には、止まったというより――止められた。
体のどこかが、まだ追いついていないまま。
それでも、指先だけは遠野の手を離さなかった。
「行くのかい?」
藤堂の声は軽い。
先ほどの出来事など、すでに“評価済みの素材”になっている響きだった。
「君たちは中々に素質があると思う。また会おう。」
自信に満ちたその言葉は、森に落ちていくように消えていく。
残響だけが、一拍遅れて追いかけてきた。
その残響すら、やがて森に吸われる。――
――無言のまま歩く二人。
足音だけが、一定のリズムで続く。
さっきまでの出来事が、まだどこか現実に馴染んでいない。
それでも、進むしかない形だけが残っていた。
そのときだった。
――聞こえた。
水の音。
「あったな。川。」
小さな清流だった。
音は確かにそこにあるが、森全体を洗い流すほどの力はない。
それでも今は、それで十分だった。
「そこ……しばらく拠点にするか。」
遠野が指差した先には、わずかな窪みがあった。
洞窟と呼ぶには浅く、身を隠すには頼りない。
それでも水の近くに“居られる”という条件だけが揃っている。
「清流釣りもできるしな。」
荷物を下ろし、窪みの中にテントを建てる。
その光景を見て、雨宮は少しだけ呼吸を整えた。
先ほどまでの出来事が、現実からずれていただけなのだと。
そう理解しようとしていた。
これが、日常であるべきなのだと。
――ピ。
《水域情報:小規模清流》
《水質:良好(飲用可・未検証)》
《流速:低》
《透明度:高》
《確認可能魚種》
・オイカワ(小型・群泳)
・ヤマメ(中型・警戒心高)
・アブラハヤ(低難度・捕獲容易)
・ウグイ(環境適応型・安定供給)
《備考》
・餌資源:昆虫類豊富
・夜間活動:ヤマメ活性上昇傾向
・一部個体:異常行動報告あり(未確認)
遠野は端末を見たまま、小さく息を吐いた。
「相変わらず便利だな、この時計は。」
少しだけ視線を落とす。
「濾過して煮沸すれば、普通に飲めそうだ。」
目標を達成したと判断する。――
――夜の帳が広がった頃、昨日も聞いた足音が聞こえてきた。
「おじさん。釣れてるかい?」
声の方向は、昨日と同じだった。
一定でもなく、不規則でもない。
ただ、“そこに居る”ことだけを知らせる歩き方。
遠野は振り返らない。
その代わりに、声が続いた。
「やっぱりここにいたか。」
昨日よりも少しだけ近い距離。
「釣果は、順調みたいだね。」
レンが、自然な動作で腰を下ろす。
まるで最初から、この場所に居る予定だったみたいに。
「ヤマメ、食うか?」
遠野が火を見たまま言った。
「……誰……ですか?」
雨宮の声は細い。
問いかけというより、“確認”に近かった。
その言葉は、清流の音に半分ほど溶けて消える。
「篠崎レンだよ。よろしくね、雨宮さん。」
レンが笑う。
刺激しないように、空気の温度を崩さない程度の柔らかさ。
「昨日はもう寝てたから、挨拶できなかったんだ。僕も参加者だよ。」
そう言いながら、手元のPDAを軽く指先で叩いて見せる。
コツ、コツ、と小さな音だけが鳴った。
ヤマメを返しながら、遠野が言う。
「悪い奴じゃない。今は。」
その一言だけで、雨宮の肩から少し力が抜ける。
完全に安心したわけではない。
それでも、“遠野が気にしていない”という事実は、今の雨宮にとって十分な材料だった。
「ヤマメ……食うなら今だ。」
昨日と同じやり取り。
少なくとも遠野にとっては、もう特別なことではない。
「もちろん、いただくよ。」
レンはためらいもなく受け取った。――
――雨宮が寝静まった後。
焚き火の音だけが残る。
清流の音は昼よりも近く、夜の森に溶けていた。
しばらく火を見ていたレンが、不意に口を開く。
「ここまで来る途中、おかしなものを見なかったかい?」
遠野の視線は、火の上に置かれたヤマメへ向いたままだ。
炎の揺れだけを見ているみたいに。
「さぁ……。どれの事だ?」
その返答を聞いて、レンは小さく笑った。
焚き火の向こう。
炎に照らされた横顔が、一瞬だけ楽しそうに見える。
「……なるほど。」
それだけで、十分だったらしい。
焚き火を見たまま、レンは少しだけ間を置いた。
「おじさんには、難しいかもしれないし、意味はないかもしれない。」
声色がわずかに変わる。
それでも表情は崩れない。
「雨宮さんには、きっと重すぎるから。」
そして、視線だけが遠野に向いた。
「おじさんには、藤堂誠司がどう見えた?」
遠野の手が、わずかに止まる。
焼きかけのヤマメから、視線だけが外れる。
右胸に入っている物の形を指で確認する。
「どういう……意味でだ?」
炎越しに、真っ直ぐレンを見る。
目が合った、その事実に応じるように、レンの笑みがわずかに深くなる。
「どう感じた? どう思った?」
一拍だけ置いて、言葉が続く。
「なんでもいい。彼から受け取ったものを教えてほしい。」
遠野は少しだけ視線を上げる。
星が無数に散っている夜空を見たあと、また焚き火へ戻す。
タバコに火をつけ、一度だけ吸う。
「好きじゃない……な。」
煙を吐き出してから、続ける。
「あのチャンって奴も。」
少し考えるレンが、短く一言。
「なるほどね。」
その声は軽いのに、視線だけがわずかに変わる。
まるで、どこかの点が繋がったように。
「今日は、ここまでかな。ごちそうさま。川魚なんて普段食べること無いから新鮮だったよ。」
一呼吸置いて続ける。
「臭みもなくて、甘い香りがするんだね。」
去り際、レンが一度だけ振り返る。
「おじさん、気をつけてね。」
それだけ残して、森の中へ消えていった。――
――翌朝。
水音が昨日より近く聞こえる。
薄い霧が川の上に残っていて、地面はまだ湿っていた。
騒がしい声で目が覚めた。
雨宮も気付いたらしく、眠たそうにテントから出てくる。
「この水めっちゃ綺麗じゃね!?そのまま飲めるだろこれ!!飲みまーす!!」
いつも通りの、耳障りな声。
それに重なるように、もう一つ声があった。
「確かに綺麗。洗顔しとこうかな。」
雨宮の動きが止まる。
「……え?」
視線の先にいたのは、見覚えのあるはずの“記憶と一致しない二人”だった。
「……狂犬チャンと……ミレイ?」――
――観測記録:対象A
――及び:対象B
――状態:対象Bの依存傾向を確認
――環境異常への反応:対象A 変化なし
――補足:再接触・再確認完了
――備考:対象Aの重要度を再評価(上昇)
――観測継続




