エピローグ
「それじゃあ、あんた達。世話になったね」
「絶対、王都の舞台も見に来てよ!」
「切符なら、あたしらが団長に掛け合うからさ」
また観客用の豪奢なドレスに身を包んだ三姫が、口々にそう言いながら女子寮前に停められた馬車に乗り込んでいく。本来ならこの辺りまで馬車の乗り入れは禁止されているのだが、三姫の警備の為特別に許されていた。
「うふふ、ありがとうございます! 絶対にお呼ばれしますわ!」
「またはしたない事を、遠慮という言葉を知りなさいな」
「いいだロ、アタシらも頑張ったんだしサ」
三姫を送るため、ラヴィリエ達も玄関まで出ていた。カリヨン演劇団の春祭り公演はどうにか成功し、色々と面倒事はあったものの団長代理は胸を撫で下ろしているそうだ。脚本家はすっかり満足した上で、次の脚本を書く! と既に執筆を開始しているらしい。
また、スチュアートは何故自分があのような事故を起こしたか全く覚えていないと主張し、神官が調べたものの身体や精神に全く異常は無かったらしい。結局は現行犯で捕らえられたのだから、警備兵に引き渡され、ちゃんと王都で裁かれるだろう。売れっ子役者の一人が問題を起こしたとなれば、演劇団にも影響はありそうだが、それもいずれは忘れられるだろう。
「元気で――あっ、ほら、アイツ来たわよ」
「え? あらあらまあ!」
馬車の幌から顔を出していたラーナが、道の先を指差す。それを視線で追ったラヴィリエが真っ先に喜びの声を上げた。
白い髪に白い肌、白い服。瞳だけが鮮やかな赤紫。走ってきたのか、少し息を乱していた。彼の乗る馬車はもう出発している筈なのに、わざわざ一人で戻ってきたらしい。
三姫達が気を遣ったように馬車の中に引っ込み、声を上げようとしたグラナートを紫花が引っ張る。好奇心と不安とその他諸々の視線が集まる中、表情を変えないヒヤクと満面の笑みのラヴィリエが向かい合った。
「わざわざご挨拶に来てくださったの? ありがとうございます!」
「……、」
こくりと頷き、ヒヤクは口を開いて――閉じる。何かを言わなければならないと思っているのに、声が出せないようだ。ラヴィリエは黙って、彼を待つ。
「……また――」
そこまで口に出して、また黙ってしまった。それが、果たされない約束だと理解しているが故に。嘘になって、しまうが故に。
彼は平民で、劇団員だ。曲がりなりにも貴族子女のラヴィリエと、今後直接顔を合わせることは出来なくなるだろう。逆にヒヤクがこれから名を売り、一流の役者になったとしたら、今度は貧乏男爵家のラヴィリエの方が会いたくても会えなくなる。
それをヒヤク自身も、文字を読み、理解しているのに、声を出してしまった。そんな自分に葛藤しているようで、ほんの僅か眉間に皺が寄っている。
「ええ、いつかまた」
それなら、自分で言おうと思った。驚いたように顔を上げるヒヤクから視線を逸らさずに。彼ならば、声にならない言葉もきっと見えているだろう。
「うふふ。ヤズローからお父様の、片眼鏡を借りておけば良かったわ」
「……?」
ちなみに、ヤズローは水銀の真魔を退けたものの、四肢を自力で修復できない程に壊されてしまった為、急ぎで王都へ戻る事となった。そのついでに、男爵の片眼鏡も持って行ってしまった。ちなみにその間、ラヴィリエの面倒はドリスが見ると息巻いており、今は彼女の部屋へ要塞の如き植物の守りを植え付けている。
恐らく自分に書かれている文字を読んだのだろう、首を傾げてから成程と小さく頷くヒヤクに、安心して言葉を続ける。全部、彼に届いて欲しいことを。
「いつかまた、お会いできるのを楽しみにしているわ」
例え叶わなくても、己の素直な気持ちを。そして、声にならないもう一つの想いも。
【願わくばもう一度、舞台の上で】
解っている、貴族子女、しかも男爵家の一人娘が役者として、これ以上舞台へ立てるわけがない。そして自分自身、男爵家を継いで、父の呪いを解くために生きていきたい。あの舞台は偶然の産物で、もう二度とは叶わない。それも間違いない、けれど。
「――内緒にしてね?」
そう言って、きっと自分の想いが伝わったと信じている瞳で、ラヴィリエは告げた。
【貴方も同じ気持ちなら、とても嬉しい】
【だからこそ、ごめんなさい】
【この願いは、叶わないから】
【貴方は嘘を吐かなくていいのよ】
書かれている文字を全部読んだらしく、ヒヤクの視線が揺れて――やはり彼は、答えを返せなかった。ただ、それでも、
「――手、を」
「あら、まあ。うふふ、どうぞ?」
僅かに震える指先を伸ばされて、握手をしてくれるのかと、笑顔で差し出すと。
彼はその、小さいけれどちゃんと剣胼胝がある手を、掬い上げるように取る。そしてもう片方の、僅かに光が灯った手指で、掌の上に何かを記した。
当然、ラヴィリエには神代文字など読めないので、何を書いたのかも解らないし、痛みも何も感じず、ただ見守るしか出来ない。
【俺の願いも、同じだ】
ヒヤクは初めて、父の教えを破り、己の指で新しい文字を、彼女の掌に刻んだ。
それは世界を変えることも壊すことも無い、読まれることも決して無い、ただ自分の想いを彼女に刻みつけるだけの、一方的な恋文でしかなかったけれど、彼もどうしても、我慢が出来なかったのだ。
×××
煌びやかな馬車がゆっくりと去っていくのを見送り、ラヴィリエはふう、と息を吐いた。全ての祭りが終わった後に残るのは、晴れ晴れとした寂しさだ。
「ねぇ、グラニィ、紫花」
「どうしました?」
「何だイ、改まって」
改めてくるりと友人達に向き直ると、二人とも同じような顔をしていた。辛いわけでも、悲しいわけでもないけれど、すっきりとして、満足して、けれど何処か寒々しいような。
「……この学院を卒業したら、私達はどうなっていくのかしら」
シャラトの学院に在籍が出来る期間は、最長で三年。もう、去年の秋に入学してから、一年の半分以上が過ぎてしまった。
卒業すれば、グラナートは北国ビェールィの侯爵家を継ぐだろう。紫花は、本人は嫌がっているけれど、南方国に帰ることになるだろう。そしてラヴィリエも、ネージの王都に戻って男爵家を継ぎ――三人の生きる道は、ばらばらになってしまう。
目の前の別れから、いずれ訪れる別れにまで思いを馳せると、ちょっとだけ目頭が熱くなってしまう。そんな自分がおかしくて、ラヴィリエは笑った。
「うふふ、まだまだ先の話なのに、戦神が怒ってしまうわね」
「……そレ、来年のことを喋ると戦神が笑ウ、じゃなかったっケ」
「まずは貴女のその頼りない知識で、進級が出来るかどうかに思いを馳せなさいな。今回の舞台で、勉学も遅れてしまったでしょう」
「あらまあグラニィ、ヤズローがいない今、きちんと指摘してくれてありがとう! 大丈夫よ、忘れていないわ、今度こそ必ず不可は取らないと誓うわ……!」
「ケッケッケ! まずはそっからだよナ」
誤魔化そうとしたラヴィリエに、グラナートがしっかりと釘を刺し、紫花が笑う。全員、いつもの調子に戻り――意識的にそうした、という自覚も全員にあった。
いつか必ず来る別れだと解っていても、今は見ないふりをしたいのは、三人とも同じだったからだ。




