第5話:不協(ふきょう)
皇都の片隅に佇む、古びたが居心地のいい喫茶店『アミティエ』。
ランチタイムのピークを迎えた厨房では、一条雄介が凄まじい手つきでフライパンを振っていた。
「……ナポリタン三つ、オムライス一つ上がり! クソッ、なんで今日に限ってこんなに混んでるんだ。おい、くみちゃん! おやっさんはまだか! 買い出しに行ったきり戻ってこないぞ!」
ウェイトレスの早瀬くみは、雄介の怒号を柳に風と受け流しながら、出来上がった皿を迷いなくトレイに載せていく。
「雄介さん、愚痴ってる暇があったら次のカレー、お願いしますね。マスターならさっき『銀玉の並びに身を任せてくる』ってメールが来てましたよ。今日は確変中なんですって」
「あのパチンコ親父……! 買い出しついでに何やってんだ!」
ようやく客足が途絶え、店内に静寂が戻ったのは午後2時を回った頃だった。
そこへ、能天気な鼻歌と共に、エプロン姿の白髪混じりの男——マスターこと「おやっさん」が帰ってきた。
「いやぁ、悪い悪い。買い出しの帰りにちょっと寄ったら台が唸りを上げちまってさ。ほら、これお土産の高級どら焼きだ」
「お土産で誤魔化されると思うなよ。……全く、少しは店のこと考えてくれ」
雄介が毒付きながらもどら焼きを受け取った時、おやっさんがカウンターのテレビをつけた。
『——はい! 今日の「ぶらり皇都」は、若者に大人気の展望スポット、スカイガーデンから中継でお送り……きゃあああ!?』
突如、テレビ画面から悲鳴が響く。
リポーターの背後で、楽しげに談笑していたはずの若者たちが、突如として獣のような唸り声を上げ、周囲の人々に飛びかかったのだ。
「なっ、なんだ……!? 喧嘩か?」
おやっさんの手が止まる。
画面の中は瞬く間に地獄絵図と化した。襲いかかっている若者たちは、泣き叫びながらも、その手足は残酷に他人の肉を突き立てている。
「やめてくれ! 身体が、身体が勝手に動くんだ!」
涙を流しながら、見知らぬ通行人の首を絞める若者の姿が大写しになった。
「……あいつら、自分の意志じゃないのか?」
雄介の目が、鋭くテレビを射抜く。
逃げ惑う人々の阿鼻叫喚が響く中、カメラの隅に一人の男が映り込んだ。
派手なスカジャンに、深い帽子とグラサンをかけた若い男だ。彼は逃げる人々を嘲笑うように、展望台の手すりに腰掛け、愉悦に肩を揺らしている。
現場にようやく皇都警察の機動隊が駆けつけ、暴徒化した若者たちを取り押さえようとした、その時だった。
グラサンの男の口角が、吊り上がる。
——ピィィィィィィィッ!
鋭い口笛の音が、マイクを通してテレビのスピーカーからも鳴り響いた。
直後、取り押さえられていた若者たちの瞳が、異様な赤色に染まる。彼らの筋肉が異常に膨れ上がり、数人がかりで抑えていた警官たちを紙屑のように投げ飛ばした。
「ヒッ……、ヒヒヒッ! もっと踊れ、もっと叫べ!」
グラサンの男の声が混じった瞬間、画面に激しいノイズが走り、映像は慌ててスタジオへと切り替わった。
「……何が起きてるんだよ、この街で」
くみが不安げに呟き、おやっさんも表情を強張らせている。
雄介は何も言わず、ただテレビ画面から消えた「男」がいた場所を凝視していた。
カウンターの下、彼が握りしめた拳には、いつの間にか漆黒の輝きを放つ「取っ掛かりの力」——変身デバイスが握り込まれている。
(……あの男、ただの人間じゃない。バカ騒ぎにしては、悪意が純粋すぎる)
「……おやっさん。ピークも過ぎたし、俺、ちょっと休憩入るわ」
「えっ? ああ、まあいいけどよ……。どら焼き食わねえのか?」
呼び止める声を背中に、雄介は店の裏口へと急ぐ。
誰もいない路地裏。そこに停められた、あの漆黒の大型バイクが、主人の帰還を待つ猛獣のように静かに佇んでいた。
雄介はヘルメットを掴み、バイクに跨る。
その瞳には、厨房で見せていた苛立ちはなく、邪神の尖兵を狩る「クロウ」の冷徹な熱が宿っていた。
「……待ってろ。今、ぶっ潰しに行ってやる」
爆鳴を上げ、黒い影が夜を待たぬ皇都へと走り去った。




