第32話:予兆(よちょう)
アミティエの定休日。雄介はおやっさんとくみと共に、少し足を伸ばして穏やかな海辺へと来ていた。
雲一つない青空の下、寄せ返す波の音と、遠くで遊ぶ子供たちの無邪気な声が響く。おやっさんが淹れた水出しコーヒーを飲みながら、三人は砂浜に座り、贅沢な時間を過ごしていた。
「いい休日だな、雄介。たまにはこういう風に、何もしない時間も必要だ。……なあ、聞いてるか?」
「えっ、あ、はい。……本当に、いい場所ですね。……俺、この街に来て、アミティエで働けて、本当に良かったです」
「何改まって。雄介さんがいないと、お店回らないんだから。これからもビシバシ働いてもらいますからね!」
えりが拾い集めた色とりどりの貝殻を太陽に透かして笑う。雄介はその横顔を、記憶に深く刻み込むように静かに見つめていた。
(……どうか、この笑顔が、明日も明後日も続きますように……)
その瞬間、世界から音が消えた。
海鳥が鳴き止み、波の音さえも遠ざかる。空の色が、中心からドロドロとした禍々しい紫色に変色し、太陽が毒々しい光を放ち始めた。
「な、何……? 空が、腐っていくみたいだわ……!」
おやっさんとくみが立ち上がる。
紫の空に、鏡が割れるような音と共に巨大な亀裂が走った。そこから現れたのは、皇都全域を見下ろすナヤーの巨大な幻影だった。その声が、皇国の空気を震わせ、人々の鼓動を直接掴むように響き渡る。
『皇国の人々よ。余の名はナヤー。今この時、世界の終焉を告げる』
ナヤーの指が、皇城を中心とした四方の地点——「龍穴」を指し示す。
『皇城を囲む四方に、我が精鋭——四天王を配置した。これより24時間以内に、すべての魔人を排除してみせよ。さもなくば、四方の龍穴が連動し、地震、洪水、火事、竜巻……すべての災厄が同時に皇都を襲い、この地を跡形もなく消滅させる。……これは、神を迎えるための、わずかな余興だ』
宣戦布告。皇都全域がパニックに陥り、遠くの街並みから悲鳴が聞こえ始める。
「……雄介さん、あれ、一体……! 夢を見てるの……?」
震えながら空を見上げるくみの肩に、雄介は静かに手を置いた。その瞳には、すでにアミティエの店員としての穏やかさはなく、冷徹なまでの「覚悟」が宿っていた。
「おやっさん、くみちゃん。ごめん……アミティエに、忘れ物をしたのを思い出した。……俺、戻らなきゃ」
「えっ、雄介さん!? こんな時に何を言ってるの! 一緒に避難しないと!」
「すぐに行くから。……大丈夫。必ず、後で合流しよう」
雄介は一度だけ二人を見て、優しく、だが決別を告げるように微笑んだ。
そして、二人を振り返ることなく砂浜を走り出す。
物陰に隠しておいた**『天の鳥船』**に跨り、フルスロットルで加速する。
「……行こう。お前を倒せるのは、俺だけだ」
漆黒のマシンが咆哮を上げ、紫に染まった空の下、戦場へと化す皇都の中央へと突き進んでいった。




