第30話:日常(にちじょう)
四方諸神の配備により、皇都には表面上の静寂が戻っていた。喫茶アミティエの朝は、いつも通りコーヒーを挽く柔らかな音から始まる。
「雄介さん、おはよう! 今日もいい天気ですね」
くみが元気に店に入ってくる。雄介はエプロンを締め直し、いつもの穏やかな笑顔で応えた。
「おはよう、くみちゃん。本当だ、絶好の洗濯日和だね」
昼時、店は常連客の笑い声で溢れていた。雄介は厨房で手際よくフライパンを振り、おやっさんはカウンターで客と世間話に花を咲かせている。
「……おい雄介、ちょっと。さっきから手が止まってるぞ、疲れが出てんじゃねえか?」
おやっさんが小声でからかうように言うが、その瞳には心配の色があった。
「あ、すみません。……ちょっと考え事をしてて」
雄介は笑って誤魔化すが、調理場の奥で袖を捲ったその左腕には、鏡の力の代償である「漆黒の紋様」が、血管を這うように肘の近くまで広がっていた。
その頃、【科学技術研究所・地下ドック】。
薄暗いドックに、四体の金属の巨躯が鎮座していた。小野寺所長は徹夜の疲れも見せず、メインコンソールに向かってキーを叩き続けている。
「……これで、すべてのアップデートは完了した」
背後に立った霧島冴子が、モニターを見上げる。
「四大元素……水、火、風、土のエネルギー、ですか」
「そうだ。だがこれは諸刃の剣だ。機体への負荷も、それを使う警察官たちの精神的プレッシャーも、これまでの比ではない」
「……構いません。あの方だけに、この国の命運を背負わせるわけにはいかないんです」
霧島は、かつてモニター越しに見た漆黒の背中を思い出し、拳を強く握りしめた。
夜、閉店後のアミティエ。
「おやっさん、くみちゃん。……明日、お店の休みだし、久しぶりに海にでも行かない? ほら、前に行ったあの静かな浜辺」
雄介の突然の提案に、くみは目を輝かせた。
「賛成! お弁当、豪華に作っちゃおうかな」
雄介は、窓の外の月を見上げた。その月が、どこか赤く、不気味に潤んでいることに、彼だけが気づいていた。




