幕間 侵略者たち
鷲がアストリエ王城周辺の上空を旋回し、その一つの屋敷に向けて翼を傾ける。上品な装いのその屋敷はコンドライト伯爵家の邸宅であり、その伯爵が領地でラジアの侵略に備えている今、一人娘のクラリス令嬢が切り盛りしていた。
鷲はその窓の一つを覗き込む。頼みの綱の老婆は既に寝入ってしまったようだ。翼を開くと今度はまだ明かりの灯っているクラリス令嬢の部屋の窓をその頭で叩いた。
鷲が胸にかけているネックレスを見て、執務中の令嬢は人払いをする。クラリスが窓を開けると鷲は部屋に飛び込んでその大きな翼を畳む。
「お帰りなさいませ、お姉様。」
鷲は器用にもクラリスの声に返事をした。少ししゃがれているがリリアナのもので間違いない。
「おばあさまが寝ていて、窓が開かなかったの。服がないからその。」
「では、部屋にお連れします。」
リリアナは小さな文鳥に姿を変えて、クラリスの肩の上に止まった。クラリスは執務室を出ると、リリアナの部屋に向かう。
文鳥になったリリアナは、廊下に誰もいないことを確認してクラリスに耳打ちした。
「火山が噴火して、エルドラ領の殆どが溶岩の下に沈んだ。今後ラジアの兵隊はそっちの対応をするために撤退していく可能性が高いと思っている。」
「本当ですか!?良かった……!良かったです本当に……。」
クラリスは気が抜けたようで、廊下の壁にもたれかかった。潰されかけた文鳥は飛び立ってクラリスの反対側の肩に乗る。
「あ、ごめんなさい!!」
「万一潰しても生き返るから気にしないで頂戴。」
こともなげにいうリリアナにクラリスは語尾を沈ませた。
「生き物は死んだら生き返らないんですよ。」
「そういえばそうだったわね。一回しか死ねないくせに何故殺し合いをするのか、本当に意味不明だわ。」
クラリスはその一言に頷いて同意する。クラリスは戦が嫌いだ。父の命により戰場に赴いたことはないが、その悲惨さは伝え聞いている。
「同感です。それに、お姉様が痛そうなのは見たくないのです。例え何度だって黄泉帰るとしても。」
「ありがとう。」
文鳥はクラリスの騎士服の襟に頭を擦り付けた。クラリスは微笑ましげにそれを見つめてから、リリアナの自室の扉を開け放った。文鳥が肩から飛び立って、ベッドの上に畳んで置かれている白いワンピースの中に潜り込む。もぞもぞと身動きしたあと、文鳥は変身を解いた。
そこには薄いワンピースを来たリリアナがベッドの縁に腰を掛けている。リリアナは立ち上がると、ドレスの裾をつまんで美しい淑女の礼をした。
「送ってくれて感謝いたします、クラリス伯爵令嬢。」
「こちらこそ、誰よりも早く情報を伝えてくれてありがとう。」
クラリスは騎士の礼を以て返す。
「恋人さんはどうでした?元気にしていました?」
ピリッとリリアナの纏う空気が凍りつく。
「恋人じゃ、ないッ!」
「え〜?でもキスして押し倒したのでしょう?それって、」
楽しそうに話すクラリスとは裏腹に、リリアナ挙動不審になる。クラリスから顔を肘で隠す。
「か〜わ〜い〜〜」
ふふふっとクラリスが笑ってリリアナの頬をつつく。
「で、何してきたのです?」
「溶岩に飲み込まれそうになっていたので、竜に変身して助けました。」
「は?」
「噴火中の火口に行きたいというので連れていきました。」
「え……?」
「山の端の方に逃げるっていうから逃げたら、そいつ私から飛び降りて全魔力投入して魔法使ってました。」
「……は?」
「私も急降下してそいつ捕まえて地面に降りるまで保護してやりました。」
「へ……?」
「ぶっ倒れていたそいつのために水場を探しに行って戻ってきてみれば、そいつがいつの間にか消えてて……って、どうしたの?」
クラリスはリリアナが座っているベッドにある枕をポカポカ殴り始めた。
「ほんわか休日デートエピソードとか来るかなって期待してたのが心臓に良くなかっただけです。一つ聞いてもいいでしょうか。」
クラリスはリリアナの顔に顔をずいと寄せて迫った。
「そのお方の好きなところを教えてください。」
リリアナは頬に手を当てて考え込む。
「私より抱えている闇が深いのに、私より優しいところ。」
クラリスは何度も頷いて咀嚼しようとしたが、難しかったらしく頭を抱え込んだ。
「……何と言って良いのか分かりませんが、私は家が決めた婚約でクズ男に引っかかったんで、仲睦まじいのは正直羨ましい……本当に仲睦まじいんですよね?」
リリアナは半眼になって窓の外を眺めた。ギルドリリアナの過去を思い返してみてほしい。仲睦まじいと言えるだろうか?確かに仲は良かったかもしれないが、常にどちらかが秘密を抱えているのだ。
最初はギルドの出生を。
今はリリアナの生存を。
本来であればなるべく早く、出来れば今回伝える予定であったのだ。だがその試みはギルドの部下に邪魔をされたのだ。リリアナは忌々しげにため息を一つつくと、クラリスに「おばあさまは?」とだけ尋ねる。
「解呪は順調に進んでいます。ただ、」
クラリスは困ったように眉根を寄せて言った。
「ただ、時折セノイ様が顔を見せにいらっしゃっているようなので解呪が露見しないか心配で。」
「待って、それ一言も聞いていない。」
「時折お土産を持って様子を見に来ていらっしゃっているようです。」
リリアナは少し考え込む。その時、寝室の扉が空いて老婆が顔を出した。
「おや、リリー帰ってきていたのかい?今リリーの好きな紅茶を出すからね。」
「セノイがここに来たって本当?」
老婆は明らかに狼狽える。それを見て、リリアナは冷たく詰問した。
「どうして黙っていたの?」
「お前が嫌がるかと思って。」
「確かに気に食わないけど、報告を怠られた不機嫌に比べればどうってことないわ。」
老婆は暫く口を噤んでから、おもむろに切り出す。
「あのな、リリアナ。その、セノイは、リリアナが言うほど悪い奴ではないと思うんだが。」
膝の上で白いワンピースを握ったリリアナの手が怯えたように震え出す。そんな事を気にすることなく、ハンナという名の老婆は語り出す。
「鑑定の結果はシロだ。あいつはリリアナと同じくらいの年だが、真面目に仕事をこなしているし部下をいびったりはしない。体罰もだ。昔の情報室なんか本当に酷かったんだ……」
そのまま語り出す老婆の目の前で、リリアナは額に手を当てる。セノイは意図して老婆を懐柔したはずだ。その違和感のなさとテリトリーが徐々に侵されていく感覚を、リリアナは飲み下せるはずがなかった。
「そうなのね。よーく分かったわ。」
含まれている苛立ちの矛先は、セノイだけでなく老婆にも向いている。リリアナは大股で歩み寄ると、窓を勢いよく明け放った。そのまま不安定な窓の桟に足をかけて登る。
「リリー!!」
「頭冷やしてくるだけだから。ほっといて。」
窓の桟の上に立ったリリアナは、冷たい紫の目で老婆を睨んで黙らせる。銀の髪を靡かせると、窓の桟から弾みをつけて飛び降りた。鷲が夜空に大きな翼を広げ、空中に舞った白いワンピースを咥えて飛び去る。
行先はリリアナと老婆が住んでいた二階建ての下宿。リリアナは人の姿に戻って家の鍵を開けると、手探りで自室へと戻る。そこは、連れ出されたときのまま変わらず存在していた。リリアナは苛立った足音のまま机に近付くと、連れ出されたときのまま放置されていたコップを掴み上げる。老婆が心を込めて作った、蜂蜜と砂糖がちょっぴり足されたミルクが入っていたものだ。
それを感情に任せて投げようとして、諦める。彼女は物に当たっても状況が変わらないのをよく知っている。リリアナはコップを机の上に戻すと、布団の中に潜り込んだ。リリアナは眠らない、眠れないのだ。それは【眠り姫】の基礎スキルの副作用でもある。
「流浪の旅に出た女神様」
今は亡き母が子守歌代わりに歌ってくれていた讃美歌を口ずさむ。眠りの魔術を込めて歌う。だが、とっくの昔に耐性の付いてしまったリリアナには効かない。リリアナはぽろぽろと涙をこぼした。
「竜と別れ大海を一人で……げほッ」
部屋を開けていた数日のうちに、たまってしまった埃にむせる。リリアナは布団の上に座って、顔を両手で覆って嘆いた。
「ねぇギルド。」
指の隙間から紫の目が、机の上の瓶におさまった黒百合を見て、涙が耳に流れていく。
「あの日あの遺跡で、時間が止まればよかったね。」
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リリアナがエルドラでの調査任務から撤退した数日後、セノイは情報室にてエルドラの報告書を読み上げる。
「『昨日、エルドラの最奥の山にある活火山で巨大な噴火が発生した。ラジア国エルドラ領に住んでいた人々は傀儡の魔術を掛けられ、噴火の前々日から噴火当日にかけて住民約50万人がエルドラからラジア領へと徒歩で走破した。ラジアは同事象に対し、避難所等の開放や各地方に受け入れの要請を発布した。だが、急な対応が間に合わず餓死者が発生。一部が暴徒化し行政機関の攻撃に走る。その沈静化のため、アストリエに侵攻中の軍隊の三分の二が撤退。残りも引き上げを検討している。』なかなかやるじゃんエルドラの王子サマ。俺の頭痛の三分の二は王子様が吹き飛ばしてくれたよ。」
セノイは目の前に立つリリアナと報告書を交互に眺めた。
「で報告書の最後に書いてある『エルドラの王太子はギルド=フォン=エルドラン、リリアナの逃亡に手を貸した本人である。』ってマジ?」
「嘘言って私が何か得する?」
リリアナは冷たくセノイを睨む。長い沈黙の後、セノイは「そうか」とだけ言った。
「道理で見つからないわけだ。」
セノイは書類の中にがっくりと頭をうずめた。やがてその肩が揺れ始める。
「……くくっ、はははは。」
「騙されて残念でした。」
リリアナは机を叩きながら爆笑するセノイを見ても、表情を僅かにも動かさなかった。
「ふふふ、いや、いや。最高。ホントお前ら見てると飽きねーわ。バカップル最高。そっかーギルドがねぇ。ふふふ。で、リリアナは竜に変身して彼を助けて来たんだ。」
「アストリエの害にならないならやっていいって言った。」
「うん、今回はこれで正解。」
含みを持たせたセノイの言葉に、リリアナは眉を顰めた。
「ちょっと困ったことが発生しててさぁ。これ、見て。」
セノイが持ち出してきた水晶玉、それは監視装置のようで、とある風景と音を映し出していた。その光景はアストリエ王国の地下牢の様子だ。
「収監されていたのはギルドが捕まえてきた奴隷商人の親玉だよ。撮影された時期は、昨日の夜だ。」
牢屋の中では一人の男が処刑を待っていた。頭のてっぺんの毛をぶっちりと毟り取られたこの者は、リリアナに出会う前のギルドに捕獲された奴隷商人の一味である。女神はその男の前にふっと姿を現した。
『だだだだだだ誰だてめぇ!!』
宙に浮く美女、半透明に透けた姿、金色の後光を帯びる姿はどこからどう見ても女神そのものである。
『私は女神よ。』
驚く男に、女神は自信たっぷりにそう言うと男の手を取った。真剣に男を見つめ、涙混じりに訴える。
『お願いがあるの。【魔王】を倒して世界を救って。』
『魔王……って誰の事だ?』
つばを飲み込み尋ねる奴隷商人に、女神は幼子に言い聞かせるように答えた。
『金眼のエルドラ人のことよ。』
奴隷商人はエルドラの名を聞くと恐怖に震え上がり、女神を突き放した。
『エルドラ人だと!お断りだ!!肌が浅黒くて野蛮な戦闘民族だろ!下手すりゃ殺される!絶対に嫌だ!!』
女神は当初男の怯えようをきょとんと眺めていたが、やがて長い溜息をついた。
『あーあー、こんなへなちょこでは無理ね、仕方ないわ、あんまりこの手は使いたくないんだけれど。人格ごと入れ替えてしまいましょう。えい!』
女神が力を男に注ぎ込むと、男は気絶した。待つこと数秒、男は目を開け周囲を興味深げに眺める。
『ここは……?俺は一体……確かスクランブル交差点にいて……トラックがぶつかってきて……それで、ここは日本じゃない……もしかして、転生……とか?』
目の前に佇む女神を完全に無視して独り言を呟く男に女神は痺れを切らした。
『お〜い!!』
『お!!』
男は満を持して女神の前に仁王立ちする。
『女神様……つまり、ここは異世界……?!ネット小説とかによく出てくる中世ヨーロッパを基調とした異世界か!』
『……ごめんなさいね、ちょっとしたトラブルで貴方を死ぬ運命にしてしまったの。話が早くて助かるわ、この世界の魔王を倒して欲しいの。』
『魔王?』
『そう。世界を滅ぼそうと企んでいる男がいるの。その男は金眼を持ったエルドラ人よ。そいつを倒せば』
『世界が救われるんだな。』
トントン拍子に進む話に満足したのか、記憶の形成が上手くいって安堵したのか、女神はにっこりと頷く。男は一息つくと、女神を上目遣いで見上げた。
『なぁ女神様。チートスキルとかはなんかない?女神の手違いで死んだと言うならそこら辺色付けてくれないと。』
『いいわよ。』
女神はまったり微笑む。女神は未来の知識を使い、奴隷商人の身体や顔、魔力器官を組み替える。
『貴方のチートスキルは【時間停止】。頑張ってね。』
女神は金のカードに滑り込むと、眠りにつく。男はーいや、新たな主人公は魔王を倒すべく拳を突き上げたのだった。
女神は早速牢を抜け出していった勇者を見送った。水晶玉の映像はそこで途切れた。
「なにこれ、こんな頭の悪い女神とかいう存在を受け入れてやらなければならないの?」
「そ。」
セノイは髪を手で梳きながら、暫く黙する。そして、言った。
「ねぇ、一つ確認したいんだけど、ギルドの目って今何色?」
「少しくすんだ、金色。」
セノイは深刻そうな目つきになって考え込む。そして、リリアナに頼み込んだ。
「老婆、ハンナの能力を借りてもいいか聞いてほしい。さっさとこいつの正体を解明して、必要なら捕縛する。国の十分の一でも記憶を書き換えられたら国は亡びる。」
セノイは卓上の記録用水晶玉をいくつかの報告書と共に箱に入れて移動準備を始める。
「おばあさまなら勝手に呼べばいいじゃない。繋がっているのでしょう?」
「思ったより気が付くのが早かったね。ハンナならもう少し黙っていてくれると思ったのに。」
リリアナの不満げな顔に、セノイは物を整理する手を休ませる事無くにこやかに言葉を継ぐ。
「妬いてるの?」
「勝手にすれば?あなたが何をしようと知ったこっちゃないわ。」
セノイはリリアナに笑みを返す。リリアナはあきれ果てたように顔を背けた。セノイは書類の入った箱を抱えると、振り返って書類の山に埋もれた部下に声を掛ける。
「セマンゲロフのところに行ってくる。」
部下の返事は、以前より威勢に欠けるものだった。
クラリスリリアナ二名を書こうとするとどうしても百合っぽくなってしまいますね。
二人で永遠にきゃっきゃうふふしてほしい。そしてセノイは老婆を陥落……セノイやっぱお前怖い、怖すぎよ。
後半もがんばりますぅ。




