第2章 存在しない記憶
第2章 存在しない記憶
「一度、この石碑の写しを取って、今日は出直しましょう」
局長はそう言うと、研究員たちに石碑の写しを取るよう指示した。
そして、その日の夜。
「……なんだろう」
俺は研究室で、一人、石碑の写しを眺めていた。
「何だ、この違和感……」
あの文字。
俺は、あの文字をはっきりと見たことがある。
間違いない。
写しを手に取る。
果たして、俺はどこでこの文字を見かけたのだろうか。
そもそも、ここまで意識としてはっきりしているのに、俺は「見たことがある」としか言えない。
自分の記憶には存在しない。
なのに、知っている。
まるで記憶よりも深いところに、何か本能的なものとして刻まれているような感覚だった。
「……なんなんだよ、これ」
俺は写しを見つめ続けた。
――次の日。
「本日は、石碑の解読と現地調査の二手に分かれましょう」
「はい!」
研究員たちが返事をする。
俺は昨日から気になっていたことを、局長に聞いてみることにした。
「結局、あの文字なんなんですかね?」
「それは私にも分からないわ」
「局長にも?」
「ええ。見たこともないし、文献にも載っていなかった。昨日はいろいろ漁ったんだけどね」
「徹夜ですか?」
「えぇ、まぁ、そんなところね」
局長は少し疲れたように笑う。
「さ! 作業しましょう」
「はい!」
俺たちは再び石碑の調査を始めた。
しばらくして、局長が石碑の裏にある棺へ視線を向ける。
「さてと……この棺をどうしたものか」
局長は少し考える。
「とりあえず、開けてみる?」
「え!」
俺は思わず声を上げた。
「昨日あんだけ『まだ触らないで』って言ってたじゃないですか!」
「そうだけど」
局長は平然と答える。
「分からないものは、答えを見るしかないでしょ?」
「天才って、とことん発想が飛んでるよな……」
俺は小さく呟いた。
「何か言いました?」
「いえ! 何も言ってないです!」
「そぉ。まぁ、悪口じゃなさそうだから、記憶から消しとくわね」
「いや、ちゃんと聞かれてるじゃん……」
「じゃあ、早速開けましょうか」
「え! 本当に開けるんですか?!」
「いや、さっきからそう言ってるじゃない」
局長は呆れたように笑う。
「早く。ぼーっと突っ立ってないで、こっち手伝って」
「あ、分かりました」
俺は棺の横へ移動する。
「……ホントに開けるんだ」
「開けるわね」
「はい!」
俺たちは棺に手をかける。
「せーのっ!」
――ギィ。
棺の蓋が開く。
「……ん?」
局長が棺の中を覗き込む。
「何もないわね」
「ですね」
中には何もなかった。
供え物もない。
魔除けのようなものもない。
ただ、空っぽの棺があるだけだった。
「誰かに先越されちゃいました――」
俺がそう言いかけた瞬間。
「待って!」
局長が割り込むように声を上げた。
「はるか君。一回離れな」
「あ、はい」
俺は慌てて棺から離れる。
「何かあったんですか?」
「何かってレベルではないのは確かね」
「……?」
局長は棺の中を見つめている。
「はるか君には見えないと思うけど」
「はい」
「この棺、一見すると何もない空っぽの棺でしょう?」
「そうですね」
「でも、私にははっきり見えている」
局長の表情が変わる。
「魔力が――人の形をして、仰向けで寝ている」
「……え?」
俺は思わず棺を見る。
当然、何も見えない。
「ごめんなさい。言ってる意味が、ちょっと分からないです」
「えぇ」
局長は困ったように笑う。
「私にも、何を言ってるのかさっぱりだわ」
「局長にも分からないのか……」
俺は棺を見る。
「俺に分かるわけもないけど……そんなのって、あり得るのか?」
その瞬間。
『ありえません』
「まーた勝手に出てきやがって」
頭の中に響く声。
アクティビティスキル。
「というか、ありえないなら、現にこの状態はどうなってるんだよ!」
『分かりません』
「え?」
思わず聞き返す。
「アクティビティスキルでも分からないの? 世界の辞書なのに?」
少しの沈黙。
そして――
『これは紛れもなく、世界の遺物ではありません』
「……は?」
俺は固まった。
世界の遺物ではない。
その言葉の意味が、俺には理解できなかった。
俺は局長を見る。
「局長、これは一体なんなんですかね?」
「分からないわ」
局長は棺から目を離さない。
「でも、確かに魔力は存在している」
「どんな魔力なんですか?」
「……気味が悪いほどに、清らかな魔力」
「清らか?」
俺は首を傾げる。
「この魔力って、見たことあるんですか?」
「いいえ。一度も見たことがない」
局長は少し考える。
「でも、似たものに出くわしたことはある」
「それって、一体なんなんですか?」
「私が以前、日本に調査へ行った時と同じ感じなの」
「え! 局長、日本に行ったことあるんですか?」
日本から出てきた俺には、少し嬉しい言葉だった。
「でも、どこで?」
「出雲大社ね」
「出雲大社……?」
「以前、調査に行った時も同じ感じだった」
局長は俺を見る。
「ほら、はるか君は日本人だから、私より詳しいと思うけど――普通、神宮とか神社とか大社って、神様を祀るでしょう?」
「はい。それがどうかしたんですか?」
「出雲大社。大社って名前が付いていたのに、調査結果では神様ではなかったの」
「……え?」
「一般的に、大社――要するに神社ね」
局長は淡々と続ける。
「参道は、神様を見下ろさないために平坦か、上り坂のどちらかになっていることが多い」
「はい」
「でも、出雲大社だけは下り参道なの」
「……」
「その時点では、私は初めて日本に調査へ行ったから、何も感じ取れなかった」
「ちょっと待ってください」
俺は話を遮る。
「日本でも、一応、祟り神を鎮めるための神社は存在しますよね?」
「えぇ、そうね」
局長は頷く。
「でも、その場合は御霊神社と名前が付くはずよ」
「そ、そうなんですね……」
俺は少し引きつった笑顔を浮かべる。
「流石だ……」
「話を戻すわね」
局長は再び棺を見る。
「要は――怨霊」
「怨霊……」
「私が出雲大社に行った時、そこにあった魔力が、今ここにある棺の魔力と限りなく近かった」
「……」
「さっき、調査結果では神様ではなかったと言ったでしょう?」
「はい」
「細かく言えば――神様ではなく、怨霊だった」
俺は言葉を失う。
「だから、本殿のしめ縄も逆じめ。そして下り坂。まっすぐではない参道」
局長は一つずつ思い出すように話す。
「御霊神社の特徴に、かなり似ていたの」
「……じゃあ、この棺にある魔力も怨霊ってことですか?」
「まだ分からないわ」
局長は首を横に振る。
「ただ、一つだけ確かなことがある」
「何ですか?」
「そもそも、神様ですら魔力の流れには少し粗さがあるの」
局長は棺を見つめる。
「でも――この棺には、それが全くない」
「……」
「まるで、何の不純物も存在しないみたいに」
俺は空っぽの棺を見る。
そこには何もない。
なのに――
局長には、人の形をした魔力が見えている。
そして、アクティビティスキルは言った。
――これは、世界の遺物ではない。
「……一体、何なんだよ」
俺は誰にも聞こえないように呟いた。
「とりあえず、一度フタを閉めましょう。
今日も持ち帰って、解読になりそうだわ」
「わ、分かりました」
俺たちは棺のフタを閉めた。
その後、局長は研究員たちと何か話をしたあと、どこかへ行ってしまった。
気づけば、俺だけがその場に残っていた。
「結局、これはなんなんだろうか?」
俺は閉じられた棺を見る。
「怨霊? それもエジプトに?」
そして、アクティビティスキルのことを思い出す。
「アクティビティスキルは、これが何なのか分からないんだろ?」
『はい』
「踏んだり蹴ったりだな……」
何も分からない。
世界の遺物ではない。
そもそも、神だって地球で生まれたわけじゃないだろうし。
『少し違います』
「ん?」
『神とは、崇められた結果が神であるなら、宇宙から飛来した何かを神と定義することもあります』
「へぇ〜」
俺は少し驚く。
「よくある都市伝説じゃないんだから」
『答えを出すことは可能です』
「それって、ビッグバンで適当に法則を作るだけだろ?」
俺は棺を見る。
「意味ないじゃないか」
『では、一度ラプラスの悪魔について調べてきてください』
「へ?」
思わず声が出る。
「なんか喧嘩腰だな。初めてだ」
俺は少し考える。
「まぁ、俺がやれることも少ないし……暇つぶしに調べてみるか」
――その日の夜。
「えっと……ラプラスの悪魔っと」
俺はパソコンを操作する。
「おぉ、出てきた」
画面に表示された文章を読む。
「えっと?」
『ラプラスの悪魔とは、すべての原子や粒子の「位置」と「運動量」を完全に把握し、計算できる存在がいれば、未来や過去のすべての現象を完全に予測・決定できるという、古典力学に基づく仮説上の超越的知性のことです』
「まぁ、ネットだとこんなもんだよな」
『もう少し深く考えてみてください』
「はぁ?」
俺は眉をひそめる。
「なんで夕方頃からずっと喧嘩腰なんだよ。意味分からん」
少し考えてから、俺は画面を閉じた。
「もういいよ。どうでもいいし」
そして、机の上に置いていた石碑の写しを見る。
「とりあえず、石碑の写しでも眺めよ」
俺は写しを広げる。
「どっかで見たことあるんだけどな〜。思い出せないな」
『深く考えてみてください』
「なんだよ。どんだけ考えさせるんだよ」
『そこに答えがあります』
「はいはい、そうですか」
俺はため息をつく。
「どうでもいい。どうでもいい」
「まだ起きてたんですか?」
「え?」
振り返る。
そこには局長が立っていた。
「局長?」
「えぇ」
局長は俺の机の上を見る。
「まだ起きてたんですかって」
「えぇ、はい。一応、石碑の写しを見てました」
「一応?」
局長が少し呆れた顔をする。
「真面目にやる気はないんですか」
「はい……すみません」
「別に謝ることでもないですけど」
局長は写しを手に取る。
「ところで、写しを見て思ったんだけど……多少なりとも法則がないかな?」
「法則?」
「特に、ここ」
局長は写しの一部を指差す。
「一行目と八行目のところ」
「まぁ、確かに……」
俺も写しを見る。
「でも、これ全く同じ模様というか、文字ですよ?」
「だからよ」
局長は別の紙を取り出した。
「ほら。これは私がスラッシュを付け足したものなんだけど……日本で言う母音みたいなものがない?」
「言われてみれば、確かに……」
俺は文字を眺める。
「ですが、僕には何も分からないですよ」
「そっか……」
局長は少し残念そうにする。
「何か手がかりになればと思ったんだけど、はるか君でも分からないか」
「はい……すみません」
「いや、気にしないで」
局長は紙を机に戻す。
「夜遅くにごめんね」
「いえいえ! 全然大丈夫です!」
「そう。じゃあ、私は戻るよ」
局長が立ち去ろうとする。
「……あ、局長!」
「ん?」
局長が振り返る。
「あの……ラプラスの悪魔について、詳しいこと知らないですかね?」
「ラプラスの悪魔?」
局長は少し懐かしそうな顔をした。
「懐かしいな。そこまで詳しくはないけど、何が知りたい?」
「えっと……全部?」
局長は一瞬、黙った。
「はるか君。君は本当に、どうやってここの研究員になれたのかな?」
「あ、そんなヤバいこと言ってますかね?」
「まぁいいや」
局長はため息をつく。
「ラプラスの悪魔とは、すべての原子や粒子の『位置』と『運動量』を完全に把握し、計算できる存在がいれば、未来や過去のすべての現象を完全に予測・決定できるという、古典力学に基づく仮説上の超越的知性のことだね」
「あ、さっきネットで調べたことを、一文字も間違わずに……」
「ただ、面白い話もある」
「あるんですか!」
「えぇ」
局長は椅子に腰掛ける。
「ラプラスの悪魔を提唱したのは、18世紀から19世紀頃に活躍した数学者、ピエール=シモン・ラプラスだよね」
「はい」
「これに似た考え方を持っていた思想家たちがいる」
「思想家?」
「3世紀頃まで続いた古代ギリシャのストア派の人間たちだよ」
「ストア派……」
「創設者はゼノン。この人たちの考えも、ある意味では似たようなものだったらしい」
局長は続ける。
「彼らは、宇宙には『ロゴス』という理性的な原理が存在し、宇宙全体が合理的な法則によって秩序立っていると考えていた」
「……」
「そして、人間もまた宇宙の一部」
局長は指を立てる。
「宇宙、ロゴス、自然法則、人間。一見すると、それぞれが自立して動いているように見える私たちですら、宇宙という大規模な視点で見れば、法則の一部となる」
「……なるほど」
「人間もよく、『因果関係』って言葉を使うでしょう?」
「はい」
「それは内容だけを見ればバラバラに見えても、結果だけを見れば、法則に基づいて行動しているとも考えられる」
局長は少し笑う。
「面白い例を出そう」
「例え?」
「石が落ちる」
「はい」
「そうすると、石が落ちる原因がある。その原因にも、さらに原因がある。そして、その後にも原因がある」
「……キリがないですね」
「えぇ」
局長は頷く。
「そう考えていけば、宇宙全体が巨大な因果関係のネットワークになっているとも考えられる」
「……」
「でも、ラプラスの悪魔は、その計算をすべて100パーセント行える存在。あるいは、そこに働く法則を完全に知る知性が存在するなら――過去も未来も計算できる」
「……たしかに」
俺は考える。
「普遍的な因果関係があるとすれば、その因果にも法則がある」
「そういうこと」
局長は立ち上がる。
「どう? 満足した?」
「あ、はい」
「夜も遅いし、そろそろ寝なきゃね」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
局長は部屋を出ていった。
「……」
やけにぶつ切りな立ち去り方だったけど、しょうがないか。
「因果関係か……」
俺は一人、呟く。
「ラプラスの悪魔。俺の持ってるスキル。なんでクラスがラプラスなんだ?」
そんなこと、考えたこともなかった。
《無秩序》。
《ビッグバン》。
《ラプラス》。
勝手にこの流れで納得していた。
だけど――
「全てを計算できたら……知ることができたら、か」
俺は石碑の写しを見る。
「でも、ラプラスの悪魔を知ったところで、石碑の文字が読めるわけじゃないだろうし……」
どうしたものか。
その瞬間。
『それは違います』
「ん?」
俺は顔を上げる。
「なんで?」
『今回の石碑の文字は、ラプラスの悪魔と深い結び付きがあります』
「なんでだよ」
俺は思わず声を荒げる。
「お前、分からないって言ったじゃないか」
少し考える。
「ん? それとも、俺の聞き間違いか?」
「分かってるなら教えてくれたっていいだろ」
『それはできません』
「なんで?」
『存在しない法則が絡むからです』
「……あ」
俺は黙る。
「そういうこと?」
少し考える。
「でも、自分で法則を作ったところで、分からなくないか?」
「それとも……別の方法がある?」
俺は石碑の写しを見る。
「どちらにせよ、今日は夜も遅いし、一旦寝て明日考えるか」
――次の日。
「本日の現地調査はなし」
局長が研究員たちに告げる。
「ひたすら解読に打ち込むこと」
「はい!」
「ありゃま」
俺は机に座る。
「どこかでフラフラしてたら、何かアイデアが浮かぶと思ったんだけどな」
俺は石碑の写しを見る。
「まぁ、仕方がない。文字の解読でもするか」
昨日、アクティビティスキルが言っていた。
――存在しない法則が絡む。
「結局、なんなんだろうな……」
意味がありそうではある。
だが、どうしたものか。
そのときだった。
「局長! 大変です!」
研究員の一人が駆け込んできた。
「どうしましたか?」
「現地のカメラを確認したところ――棺が見当たりません!」
「……何ですって?」
局長の表情が変わる。
「全員、今すぐ現地に向かいなさい!」
「はい!」
俺たちは急いで現地へ向かった。
――そして。
「……たしかに、見当たらない」
局長が辺りを見渡す。
「でも、あんな中身もない棺を持って行って、何するんですかね?」
「分からない」
局長は棺が置かれていた場所を見る。
「でも……何か嫌な予感がする」
その瞬間。
――シュッ!
一人の男が、突然攻撃を仕掛けてきた。
「断絶!!」
「――っ!」
一閃。
一人の研究員が吹き飛ばされる。
「大丈夫ですか!」
局長が駆け寄る。
研究員は苦しそうに呻いている。
「ぐっ……」
「断絶!!」
「避けて!」
再び斬撃が飛んでくる。
局長が叫ぶ。
俺たちは咄嗟に身をかわした。
――ズガァン!
斬撃は石碑をすり抜け、その後ろにあった岩へと激突した。
「……どういうこと?」
局長は目を見開く。
「石碑をすり抜けて、岩に当たった?」
《百眼》。
局長には、はっきりと見えていた。
敵が放った斬撃が、間違いなく石碑をすり抜けた。
「トンネル効果……?」
局長は目を細める。
「そんなの、どの数学理論でも二回も連続で起こり得るわけがない」
その間にも、敵は動く。
「――!」
もう一撃。
斬撃が飛んでくる。
局長は目を凝らす。
「……!」
そして――
「そういうことね」
「何?」
男が笑う。
局長は敵を見据えた。
「あなた、飛ばした斬撃を極限まで振動させてるでしょ?」
「ほぉ」
男が口角を上げる。
「よく分かったな。目がいいだけじゃない。頭も切れるのか」
局長は斬撃を観測する。
「斬撃を振動させて、ミクロ粒子を無理やり振動させている」
「……」
「そして、ポテンシャル障壁を越えるのではなく、トンネル効果が起こる確率を意図的に高めて、物質をすり抜けさせている」
「そんな理論的な話までは知らねぇーよ」
男は笑う。
「俺の攻撃は、指定した一点に『通り抜ける』という事象を強制させただけだ」
「……なるほどね」
局長は理解する。
「それが世界の法則に従った場合――トンネル効果が起きるのね」
「何をブツブツ言ってるんだよ」
男は局長を睨みつける。
「人の親父の墓荒らしといて、よく平気で被害者ヅラできるなぁ」
「……親父?」
俺は思わず聞き返す。
「おいおい、待てよ」
俺は男を見る。
「今、俺たちが調査してるのは、古代エジプト文明の石碑だぞ?」
「それが親父だと?」
局長も困惑している。
「私には何を言っているのか、さっぱりだわ」
「だーれも理解してくれと思って言ってねぇーよ!」
男が再び構える。
「死ねぇ!」
――そして、再び斬撃が放たれた。
斬撃が、俺の身体を掠めた。
「――っ!」
次の瞬間、肩に焼けるような痛みが走る。
「いってぇ! なんだよ、通り抜ける斬撃って! 理不尽すぎるだろ!」
「はるか君、大丈夫!?」
局長が駆け寄る。
「大丈夫です! 少しかすった程度です!」
「そう……なら、よかった」
局長は周囲を見渡した。
「みんな、戦闘に入って」
「はい!」
研究員たちが一斉に構える。
俺も身構えながら、状況を整理する。
まずい。
今ここで回復魔法を使えるのは局長だけ。
それなら、局長にはできるだけ魔力を使わせない方がいい。
けど――あの斬撃をどう防げばいい?
「……トンネル効果」
局長が呟いた。
「はっきり言って、魔法による身体強化じゃ全く意味がないわね」
その瞬間。
局長の視線が、敵へ向いた。
「とりあえず――!」
術式が展開される。
「シーエイチサード・コマンドセカンド・エイチジー」
「――!?」
聞き慣れない術式。
次の瞬間、空間に一瞬だけ異様な魔力が膨れ上がった。
「ジメチル水銀……!」
俺は思わず声を上げる。
「いきなり上級魔法!? それも脳や神経をピンポイントで破壊する式……!」
魔法が敵へ向かって飛んでいく。
――だが。
何も起こらない。
「……なんだ?」
敵は自分の身体を軽く見回した。
「全く効果ねぇじゃねーか」
そして、笑った。
「ほんとに戦う気あるのか? お前」
局長の表情が変わる。
「……効かないか」
一拍。
「ということは――あなた、人間じゃないでしょ」
「……あ?」
男が首を傾げる。
「何当たり前のこと言ってるんだ?」
そして、口角を上げた。
「ここら辺に人間なんているわけねぇじゃねぇか」
「……え?」
「お前、頭切れるとか言ったけど――」
男は剣を構える。
「やっぱアホか?」
――斬撃。
「来る!」
局長の声と同時に、俺たちは散開した。
斬撃が地面を抉る。
「くそっ……!」
俺は息を整えながら考える。
人間じゃない?
それなのに――固有スキルを持っている?
「どういうことだ……?」
「ん?」
男がこちらを見る。
「お前ら、まだ知らねぇのか?」
「何を……?」
男は楽しそうに笑った。
「固有スキルってのはな――」
一歩。
踏み込む。
「お前らが思ってるほど、単純なもんじゃねぇよ」
「……!」
「固有スキルは、生まれた瞬間に世界から与えられる」
俺は知っている。
それは、この世界では常識だ。
そして――
「所持者が死ねば、その固有スキルは世界へ還る」
「……そうです」
局長が答える。
「だからこそ、あなたが人間ではないというなら――」
男が笑った。
「だからこそだよ」
「……え?」
「お前ら人間は、ちと勘違いしてる」
男は剣を振るった。
「そもそも――世界が保有する固有スキルには、数が決まってる」
「……数が?」
俺の頭が追いつかない。
固有スキルに……数がある?
男は続ける。
「戦争やパンデミックが、なんで起こるか知ってるか?」
「……」
「人口調整だよ」
男の声が低くなる。
「世界の固有スキルが減った時に起こる――ただの人口調整だ」
「なっ……!」
背筋が凍る。
そんなものが、この世界の常識だったというのか?
「人口調整……?」
局長も驚きを隠せない。
「どうして、あなたはそんなことを教えてくれるんですか?」
「ん?」
男は肩をすくめる。
「お前らが無知で可哀想だからな」
そして、笑った。
「それに――」
剣先をこちらへ向ける。
「今から死ぬ相手に、隠し事なんていらねぇだろ?」
「……そうですか」
局長は不思議なほど冷静だった。
「では、今から死ぬと言われている私から質問です」
百眼が、男を捉える。
「あなたは――この世界について、どこまで知っているんですか?」
「はっ」
男は笑った。
「お前ら、ほんとに何も知らないんだな」
「まぁいいだろ」
「冥土の土産ついでに教えてやるよ」
男は剣を肩に乗せた。
「この世界には固有スキルがある」
「それは増えることもなく――減ることもない」
俺は息を呑む。
「お前ら人間ですら、魔力のせいで寿命ってもんが存在しない」
「……」
「死ななきゃ固有スキルは世界に還らない」
男は笑った。
「だから――殺すんだよ」
空気が凍った。
「より良い固有スキルを手に入れるためにな」
「でも……」
局長が口を挟む。
「生きている私たちは、そんなスキルを手に入れられないじゃない」
「……お前ら人間は」
男が呆れたようにため息を吐く。
「無知もいいところだな」
「アホか!」
男が突然叫んだ。
「だから――転生するんだよ!」
「……転生?」
俺が呟く。
男は、俺たちの背後にある石碑へ視線を向けた。
「あれば、エジプト文明が上下統一を果たす前の王の棺だ」
「……!」
「お前らがさっき覗いてたのも、転生に必要なもんだよ」
「なんだって?」
俺は石碑を見る。
「上下統一を果たす前……?」
その瞬間。
《アクティビティスキル》が反応した。
『エジプト文明が上下統一を果たす前の王は、ナルメルです』
「……ナルメル」
俺が呟く。
男の目が細くなった。
「ほぉ……」
「その名前を知ってるのか」
男はゆっくりと笑う。
「じゃあ、最後に俺の名前を教えてやるよ」
一歩。
こちらへ歩いてくる。
「俺の名は――」
男が剣を下ろした。
「エジプト第1王朝の王」
そして――
「メネス=ナルメル=ホル・アハだ」
「…………」
頭の中が真っ白になる。
局長はしばらく男を見つめ――
「……なるほど」
静かに呟いた。
「ありがたい情報を、どうもありがとう」
「……は?」
局長が俺を見る。
「はるか君」
「はい?」
「みんなを一箇所に固めてくれる?」
「え、あ……はい!」
俺は研究員たちを一箇所へ集める。
「これで全員です!」
局長が周囲を確認する。
「よし」
その瞬間――
局長の魔力が一気に膨れ上がった。
「……何する気だ?」
男が構える。
「アルクビエレ・ワープドライブ」
術式が完成する。
――次の瞬間。
視界が歪んだ。
「うわっ――!」
身体が引っ張られるような感覚。
そして。
「……え?」
気がつけば――
俺たちは全員、研究室に立っていた。
「…………」
俺は呆然とする。
「!? 局長、転移魔法使えるんですか!?」
「えぇ」
「幾何学魔法ですよ……!?」
「もちろん」
局長は淡々と答える。
「でも、今はそんなことを一から説明している暇はないわ」
そして、研究室の机へ向かった。
「ヨーロッパに戻って、報告書を作りましょう」
俺は、さっきまでいたエジプトの方角を見る。
あの男。
メネス=ナルメル=ホル・アハ。
そして――
転生。
固有スキル。
人口調整。
知らないことが、また増えた。
それでも一つだけ。
俺には、どうしても気になることがあった。
――あの石碑に書かれていた文字。
そして、あの棺の中にあったもの。
俺はまだ――
何一つ、理解できていない。
ヨーロッパへ帰国
俺は報告書を作成していた。
今回の出来事。
棺の中身。
そして――石碑に刻まれていた文字。
あの石碑には、第1王朝以前。
エジプトが上下に分かれていた時代の王について記されていた。
王――ナルメル。
俺は、石碑の文字を写しながら、その内容を整理していった。
⸻
――ナルメル王。
二つの地を結びし者。
偉大なる王、ナルメル。
彼の来たる以前、二つの地は分かたれていた。
南には、白き冠を戴く者あり。
北には、赤き冠を戴く者あり。
両者は互いを王と認めず、
ナイルは二つの意志の間を流れた。
その時、ナルメルは立った。
彼は白き冠を戴き、南を従え、
赤き冠を戴き、北を制した。
そして二つの冠は、
初めて一人の王の頭上に並んだ。
ゆえに彼は――
「二つの地の王」
と呼ばれた。
⸻
ナルメルは、剣のみを以て国を治めたのではない。
彼は乱れた土地に境を定め、
散らばりし民を王の名の下に置き、
神々の御前に秩序を立てた。
彼の名は石に刻まれ、
壺に刻まれ、
印に刻まれ、
遠き砂漠と海の彼方にまで運ばれた。
それは、王の名が、
王の死と共に消えぬことを示すためであった。
⸻
また、こう伝わる。
ナルメルはホルスの加護を受けし者。
その勝利は王自身の力によるものではなく、
天より与えられた秩序の顕現であったという。
彼が敵を打ち倒す時、
ホルスの鷹は彼と共に在った。
ゆえに人々は恐れた。
ナルメルを倒すことは、
王を倒すことにあらず。
天と地の秩序そのものに、
刃を向けることである。
⸻
ナルメルが何年統治したのか。
誰を父とし、誰を母としたのか。
いかなる戦に赴き、
いかなる場所で最後の息を引き取ったのか。
それらは、時の彼方へ失われた。
しかし――
彼の名だけは失われなかった。
後の王たちは彼の名を記し、
後の祭司たちは彼の時代を語り、
後の民は、二つの地が一つとなった始まりを、
彼の名と共に記憶した。
⸻
されど、古き石に残された言葉には、
さらに一つの伝承がある。
ナルメルは、最初の王ではなかった。
彼より前にも王はいた。
名を残した者も。
名を失った者も。
彼らの墓は砂の下に眠り、
その王冠は砕け、
その国境は消えた。
だがナルメルは、
それら失われた王たちの時代を越え、
二つの地を一つの名の下に置いた。
ゆえに後世の者は彼を――
「始まりの王」
と呼んだ。
⸻
そして石碑には最後に、
こう刻まれていたという。
『王は死す。
冠も砕ける。
宮殿も砂に還る。
されど、王の定めし秩序は残る。
南と北が再び分かたれるその日まで、
ナルメルの名は消えぬ。』
⸻
俺は、この石碑の文字を写していた。
まるで何かに取り憑かれたかのように。
意味を理解しているわけでもない。
解読したわけでもない。
ただ――
文字が、頭の中に浮かんでくる。
そして俺は、それをそのまま紙へ書き写していた。
何も思い出せないまま。
何も知らないまま。
⸻
次の日。
俺は、いつものように局長へ報告書を提出した。
「はるか君」
「はい。何か不備がありましたか?」
「いいえ。不備はないわ」
局長は手元の資料へ視線を落とした。
「でも、この石碑の文字……」
一瞬、間が空く。
「何時、どこで解読したの?」
「……え?」
俺は首を傾げた。
「石碑の文字?」
「そう」
「僕は、分からないまま昨日寝ましたよ?」
「……じゃあ、この資料は何?」
局長が報告書を持ち上げる。
「冷やかし?」
「え?」
俺は資料を見る。
そして――
「…………」
言葉が出なかった。
「え……?」
もう一度、資料を見る。
「これって……」
「うん」
局長は不思議そうに俺を見る。
「はるか君が提出したものでしょ?」
「……」
「自分で書いたんじゃないの?」
「えっと……」
俺は頭を掻いた。
「夢の中でも研究資料に目を通すっていう、社畜ぶりはかましましたけど……」
そこで言葉が止まる。
「……書いた記憶はありません」
「…………」
局長は何も言わなかった。
そして、静かに立ち上がる。
「はるか君」
「はい?」
「ちょっと、まっすぐ立ってもらえる?」
「あ、はい」
言われるまま、俺は姿勢を正す。
局長の瞳が――
一瞬、変わった。
《百眼》。
その視線が、俺の身体を捉える。
数秒。
「…………」
「局長?」
「うん」
局長は、何かを確認するように俺の身体を見つめ続ける。
そして――
「アルゴスで見ても、嘘はついてなさそうね」
「……?」
「どうかしました?」
「いいえ」
局長は視線を外した。
「仕事に戻って大丈夫よ」
「あ、はい」
俺はそのまま自分の席へ戻った。
「…………」
局長は、俺の背中を見つめていた。
「はるか君」
「はい?」
振り返る。
「……なんでもないわ」
「?」
俺は首を傾げながら、再び机へ向かった。
その背後で――
局長は、誰にも聞こえないほど小さく息を吐いた。
《百眼》には、見えていた。
ユイザキハルカの身体。
本来、人間が放つ魔力。
その流れに重なる――
もう一つの魔力。
それは、身体の内側を流れているのではない。
まるで――
ハルカ自身の魔力に、寸分の狂いもなく重なっていた。
別の何かが。
別の魔力が。
まるで最初からそこに存在していたかのように。
「…………」
局長は目を細める。
そして、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……あなた、一体何者なの?」




