第8話 「夢みたいな街、ヴェネルーナ」
第8話 「夢みたいな街、ヴェネルーナ」
酔った。
お酒に、じゃないぞ。
船酔いだ。
最初の半日は元気だったのに、初日の夕方くらいから頭がふわふわして、お腹あたりがモヤモヤして、目が回る。口から何か出そう。
「め、メチャクチャ気持ち悪い…」
『お前な…。冒険者見習いがこんなデカい船で船酔いしてどうする』
「だってー。あたし船に乗ったことないもん」
『港町育ちのくせに、情けねえな』
あたしはアルディラに言い返すこともできず、船室のベッドに頭から突っ込んだ。ママは、もう完全に出来上がっていて、グースカとゴーカイなイビキをかいて寝ていた。
顔は天使のようにカワイイのに、どっからこんな音が出るんだ。
あたしは虚ろな目でママを見た。
そんなあたしが哀れになったのか、アルディラはやたらとあたしに優しかった。
『船の真ん中に行け。揺れが少ない。それと窓から遠くを見ろ。眩暈が軽くなる』
「あ、ありがとう、アルディラ…」あたしは素直にお礼を言った。
『べ、別にお礼を言われるほどじゃない。お前の具合が悪いと俺がつまらんだけだ』
宝玉がぽわぽわと照れたように赤く光った。
その時、眠っているはずのママがちょっとだけ目を開け、ニヤニヤと笑っていたことに、あたしとアルディラは気づかなかった。
船旅6日目。
つらかった船酔いも、3日目くらいから楽になってきた。
「船足がつく」っていうんだろうか。ご飯もちゃんと食べられるようになったし、デッキで潮風を浴びながら、日光浴を楽しめるくらい回復した。
船での生活に慣れてきたころ、だんだんと空を優雅に舞う海鳥が増えてきて、マストのあたりに集まってきた。
「もうじき陸地に着きそうねぇ。ママもう飽きちゃったわぁ。お酒もないしぃ」
ママは持ってきていたお酒を全て飲んでしまったらしい。完全に船旅に飽きてゴロゴロしている。まだ旅が始まってもないのに飽きるの早すぎるだろ。
デッキで遥かな水平線の先を見ていると、どこまでも平らな青い海の上に、緑の絵の具を薄く垂らしたような陸地がぼんやりと浮かび上がってくるのが見えた。
「ママ、見て!陸地が見えるよ!」
あたしはひとりで興奮していた。
着いた!ついに着いた!
最初の目的地、ヴェネルーナ。
陸地が近づくにつれ、あたしは思わず息を呑んだ。
その街は、まるで海の上に街が浮かんでいるようだった。
白い大理石の建物が水面に立ち並び、その下の迷路のような運河を小さい船が縫うように走っている。
石でできた大きくて立派なアーチ状の橋が、太陽の光でキラキラと輝いて見えた。コルニリアのとは全然違う。
ここが、ヴェネルーナ。アルディラが教えてくれた、水の都。
あたしの胸は希望と期待で大きく膨らんでいた。
コルニリアの港と比べると、ヴェネルーナの港はだいぶ大きかった。
接岸している客船も漁船も一回り大きくて、数もかなり多いように見えた。
桟橋を降りて上陸したあたしが最初に思ったのは、「結構寒い」だった。
「コルニリアよりずいぶん涼しいんだね。ここ」
『あの街よりかなり北の方にあるからな。北の街の方が寒いんだぜ』
「あ、それは聞いたことある。北の果てには氷でできた川とか山があるんでしょ?それもいつか見てみたいなぁ」
あたしがそう言うと、アルディラはまたぽわぽわと自慢そうに宝玉を光らせた。
『ま、俺は行ったことあるけどな。氷の国』
「そういうマウント取ってくるの、ウザ」
『…』
あたしが一瞥すると、アルディラは大人しくなった。
「わぁあ、ホントに街の中を船が走ってるー!すごーい!」
あたしは身を乗り出して、目の前の光景に目を輝かせた。
ヴェネルーナ、その街は、道路のよりも水路の方が多いんじゃないかと思うほどの、不思議な水上都市だった。そこをゴンドラと呼ばれる黒くて細長い船がゆったりと優雅に流れてていく。
『元々ここは湿地帯で、小さい島がいっぱいあったらしい。そこに他の民族の襲撃を受けた今のヴェネルーナの先祖がここに逃げ込んで、街を形成したって話だ。俺が初めて来たときは、こんなに栄えてなかったな。今は海上交易でずいぶん儲けてるみたいだな』
「あんた、ガイドとしてマジ優秀じゃん。そういうウンチク、もっと聞かせてよ」
あたしはめずらしくアルディラを褒めた。すると照れくさそうに彼は言った。
『…ふん。あとは自分の目で確かめろ。せっかくここまで来たんだろ』
「そうだね。ありがと、アルディラ」
あたしは腰に下げた剣の赤い宝玉をそっと撫でて、後ろにいるママに振り向いた。
「ママ、一緒にゴンドラ船に乗ろう!」
「あらあら、楽しそうねぇ。ママも一回乗ってみたかったのー」
真っ黒い、バナナみたいな形のゴンドラ船に乗り込むあたしたち。船頭さんが何か歌いながらゆっくりと船を進める。うわぁ、案外早い!外から見た感じでは、のんびりゆったり動いているように見えるが、視点の低さと水面の近さから、結構スピードが出ているように感じた。
「すごいすごい!楽しいー!」
大はしゃぎのあたし。すると何かを思いついたらしい悪い顔のママが、船頭のおじいさんに耳打ちをした。おじいさんはいたずらっぽく笑って、ゴンドラをゆらゆらと揺らし始めた。
「わわっ、揺れる!」
「あらー、体幹トレーニングね。アプリちゃん、がんばってぇ」
ママがニコニコと微笑みながら慌てるあたしを見ていた。
ちなみにママの体幹は微塵もズレていなかった。鬼め。
楽しかったけど、ちょっとだけスリリングなゴンドラから降りたあたしたちを待っていたのは、お楽しみのランチタイム。ヴェネルーナ名物のイカ墨パスタを食べに行く。
アル・ネーロ・ディ・セッピアっていう正式名称らしい。ネーロってのが「黒い」って意味で、セッピアがイカ。まあ、イカの黒いパスタってワケね。
やたらとムキムキのお店のおじさんが出してきたソレは、圧倒的に黒かった。
「黒い…黒すぎない?石炭か?」
あまりのビジュアルに怯むあたし。
「おいしいわよー。ママ、大好きだわぁ」
ママは物怖じせずにパクパク食べている。こんなに黒くて色の付きそうなものを食べているのに、ママのさくら色の唇は一切黒くなっていなかった。謎だ。
「…いただきます」
おそるおそる、意を決して食べてみた。わっ、濃厚!最高にクリーミー。その後から来るイカの香り。パスタもモチモチしてて、そのソースに負けてない。
「おいしい!」
あまりの美味しさに、口の周りのことなんか忘れてパスタを夢中で頬張ってしまった。
案の定、食べた後のあたしの口は、歯まで真っ黒だった。なぜだ。
『ククッ、お前、ドロボーみたいだな』
「もー。笑わないでよね!」
アルディラにバカにされ、思わず声が出てしまった。周りの人が「なんだ、あの子?」といった目であたしを見る。
「…まったく!ひとりごと言ってるヤバい感じの子供みたいに見られちゃったじゃん!」
あたしはアルディラに小さい声で文句を言った。
「この味はニンニクと白ワインだわねぇ。それとアンチョビも入ってるみたいね。だいたい覚えたわぁ。帰ったら作ってあげるわねー」
ママはムキムキの店主と仲良くお話をして、作り方のコツを仕入れてきたようだった。食に関して『だけ』はさすが抜け目がない、というか。
次の日は、ゴンドラに乗ってヴェネルーナのシンボルでもある、サンティ・マルク大聖堂に行った。ここの大聖堂のとなりに、ヴェネルーナの冒険者ギルドがあるのだ。
大聖堂はナベのフタみたいな五つの丸いドームの屋根がついてる立派なもので、白い大理石の壁には豪奢な彫刻と金の飾りがフンダンに使われていた。あたしの貧相なボキャブラリーではそんなもんしか言えない。
『古代ビザンティン様式の建築だな。あの壁のモザイク画を見てみろ。本物の金と宝石の粉で、古代の神の絵が描かれてる。尖塔に掲げられたあの飾りは、教会のシンボルの十字架だ。コルニリアの十字架とはちょっと違うだろ。様式がちょっと違うんだ』
アルディラが細かく解説してくれた。ホントこういうところはマジで助かる。
「すごいけど、細かすぎて目がチカチカするー…」
あたしとママは、大聖堂の中をたっぷり見学してからギルドへ向かった。
石造りの歴史を感じさせる広大なロビー。大きな窓に広いカウンター。ヴェネルーナの冒険者ギルドは、コルニリアよりだいぶ大きかった。やっぱり、大きい街ほどギルドも大きいようだ。
でも雰囲気は似ていた。カウンターに並ぶ列、テーブルでエールを飲む人たち、依頼掲示板をじっと見つめる人も同じだった。
「なーんか、何日か来ないだけで懐かしく感じちゃうわねぇ」
ママはニコニコと周りを見渡しながら言った。
今日のママは、胸元がカシュクールのデザインで、袖は7分になってるキレイめの白いワンピースを着ていた。どーみても15歳の子供を持つ母親には見えない。冒険者のおじさんたちの視線が、ママの豊満な胸に釘付けになっている。あたしは自分のヒンソーなまな板を眺め、唇を嚙んだ。
…い、今に見てろよ、あたしだって!
『ここにもあるぜ、金貨10000枚の賞金首。有名だな、エストリオール』
アルディラがぽわぽわと瞬いて呟く。ホントだ。掲示板の一番上に、金貨10000枚の暗黒騎士の手配書がでっかく誇らしげに飾ってあった。みなさーん、ここの上品なワンピースを着たお姉さんが金貨10000枚の凶悪暗黒騎士デース。あたしは喉元まで出かかった声を抑えて、小さく笑った。その苦笑に気づいたのかはわからないけど、ママは言った。
「アプリちゃん、冒険者登録をしておきましょう。できるわよねー?」
「ママのおかげで、契約のサインから解除の手続きまでぜーんぶできまーす」
棒読みで答えるあたし。あんだけ毎日手伝ってりゃ、何でもできるわい。そんなあたしにママはふんわりした笑顔で、極めてノーテンキに言い放った。
「うふふ。お役に立ててよかったわぁ」
「いやいやいや、褒めてないからね?」
こうしてあたしは冒険者ギルドの列に並び、冒険者としての第一歩を踏み出したのだった。
腰に下げたアルディラ=イグニスは、愉快そうに赤い光を瞬かせていた。




