第7話 「あたし、冒険の旅に出ます」
第7話 「あたし、冒険の旅に出ます」
庭先に、黄色い花がたくさん咲きはじめた。
海から吹く風が一段と暖かくなった。
春が来た。
あたしは今日、無事にコルニリアの学校を卒業した。
工房には丁寧に頭を下げ、工房の内定を取り消してもらった。
職人のみなさんには大変な迷惑をかけて心が痛かったが、これはあたしの人生だ。
いつかどこかで恩返しができるように、立派に成長していこうと心に誓った。
「そんなわけで、しばらくお仕事をお休みしますぅ。ご迷惑をかけて、本当にもうしわけありませーん」
その頃、ママはロナさんに頭を下げていた。
「いいのよ、エストさん。今までずっと働いてきたんだもの。でも、帰ってきたら、またよろしく頼みますね」
ロナさんは、ママを退職ではなく「休職扱い」にして、またコルニリアに戻ってきた時に復帰できるようにしてくれたようだった。
「……それにエストさんは、いつまでもここにいていい人じゃないですしね」
ロナさんは、ママの他に誰にも聞こえないように小さく呟いた。
「あらー、ギルド長、やっぱり知ってましたかぁ」
「15年前に魔王を倒した勇者テオフィリン。その仲間のひとり、謎の暗黒騎士。『闇の牙』とか、『漆黒の翼』とかいろいろ異名があったみたいね。みんなは伝説の中で知ってるけど、その本名も、正体も誰も知らない…って」
「あははー。そんな昔の話もありましたねぇ。イキってましたねぇ、私」
ママは恥ずかしそうに笑った。
うん、あたしがその場にいなくて良かった。
やべーだろ、この二つ名。『闇の牙』だって。イテテッ!『漆黒の翼』だとさ。イテテテッ!字ヅラだけでも身体がかゆい。もし、この話を聞いていたら、あたしはサムさとクサさと恥ずかしさで白目を剥いて卒倒していただろう。
マジで親の激痛エピソードは子供の心に深々とぶっ刺さる。今、こんなに可愛くなってるママの話なら、なおさら。あたしには絶対に聞かせないでほしい。お願いだから、隠したままで墓場まで持って行ってくれ。
「旅に出る前に、言っておかなけければならないことがあります」
不意に真剣な顔になって、ロナさんは言った。
「もうずいぶん昔に出たとはいえ、エストさんの首には金貨10000枚の賞金がかかってる。魔王を倒したからってこの賞金額は消えない。その名声は伝説になりつつあり、むしろ上がってるくらいです」
「うーん。いい加減、諦めてくれませんかねぇ?」
ママは困ったように苦笑して、整った眉を少し下げた。
ロナさんは小さく頷いて、続けた。
「ですから、絶対に本気を出しちゃダメですよ。あなたの強すぎる『暗黒の波動』は、一流の魔導士ならすぐに探知されます。大陸中の賞金稼ぎが集まって来ちゃいますからね」
「はーい、わかってますぅ」
「せっかくのアプリちゃんとの楽しい旅が、そこで終わっちゃいます。エストさんの平和でのんびりしたご隠居暮らしもそこでおしまい」
「……それは、困りますねえ」
まるで人ごとのようにママは言ったが、その目には一抹の『寂しさ』と『不安』が宿っていた。
「でしょう?だから力を抑えて旅をしてください」
ロナさんは優しく微笑んだ。「各地のギルドとは話をつけておきます。困った時は冒険者ギルドに立ち寄ってください」
「ありがとうございますぅ、ギルド長」
ママはぱあっと花が咲いたような笑顔を振りまいた。
「エストさんいなくなっちゃうのかぁ。ここも寂しくなるなあ」
「だなー。俺たちの天使が…」
その笑顔をぼんやり眺めつつ、ボヤく常連の冒険者のおじさんたち。その声が聞こえたのかどうかはわからないが、カウンターで作業をするミーアさんが彼らをギロッと睨んでニヤリと笑った。
彼女の腕の筋肉がパンパンに張っている。
「…なにか不満でもあるのか?いつでも聞くぞ?」
おじさんたちはあわてて目をそらし、黙ったまま苦いエールを流し込んだ。
出発の日を明日に控えた夜、ママとあたしはお家で荷物と格闘していた。
正確には格闘してるのはあたしだけで、ママはあっちをうろうろ、こっちをうろうろして何をしているのか全くもって意味不明だった。どー見ても遊んでるとしか思えない。
「アプリちゃん、出発の準備は出来てるー?」
緊張感が1ミリもない、ママのホンワカした声が聞こえた。
「とっくにできてるよ。必要なものは、あらかじめまとめてカバンに入れてあるんだ」
「さすが、アプリちゃんねぇ。ママもバッチリよー」
ママが指さした先には、大量の荷物がテキトーに並んでいるだけだった。
「…コレのどこがバッチリなの?」
「えー。ダメかなぁ?」
これもお酒、あれもお酒、こっちもお酒。お酒の瓶しかない。食べ物とか服とか、救急箱とか、旅の途中で必要と思われるモノは何一つ用意されていない。なにこれ?お酒の輸送業者?商隊なのか?キャラバンでもはじめるつもりなのか?
「こんな大量の荷物持てるわけないでしょ!歩きだよ歩き!持てる分だけ持ちなさいよ」
「でもでも、このお酒、みんな貴重よ。とっても美味しいの」
「知るか、そんなの!」
「ううっ、アプリちゃん冷たい。ママ悲しい」
ママは本当に悲しそうな顔をする。
あ、これはヤバい。トンチキ空間が発動しそうだ。あたしは慌てて流れを断ち切ろうとした。
「っていうかママ、元・冒険者だったんでしょ。昔は荷物、どうしてたの?」
あたしはアルディラに聞いた。
『エストリオールはあんまりモノを食わなかったな。いつも小さな毛布にくるまって、僅かなチーズと水くらいしか食ってる記憶がない』
「あの頃はあんまりお腹減らなかったのー。不思議よねぇ」
「イキって小食アピールしてただけなんじゃないの?」
「そ、そんなことないもーん!」
「だって今はめちゃくちゃ食べるじゃん。バカスカお酒も飲むし」
あたしはジト目でママを見た。
「うふふふ。コルニリアのご飯おいしいんだもん」
「残ったお酒は冒険者ギルドに寄付しなさいよ。みんな喜ぶよ」
「えー。そんなぁ。じゃあ、このお酒なら持って行ってもいいかなぁ?」
「いやいやいや、新しい瓶を持ってこないで!」
ダメだ。ママのテキトーな荷造りに任せていたら出発が来年、再来年くらいまで伸びてしまう。あたしは猛烈な勢いでママの荷物を整理した。
そんな長い戦いの結果、無事にママの荷物は旅行カバン一つに入るくらい圧縮できた。これなら、何処へ行っても大丈夫だろう。
「ママ、今日は一緒に寝ていい?」
夜、あたしはママに言った。ママはぱあっとひまわりが咲いたような笑顔になった。
「ええ、いいわよぉ。こっちにいらっしゃい」
あたしはママの隣で毛布にくるまった。
ママの優しいにおいとふんわりとしたあったかさを感じた。
「ママ、あたしがんばるね」
「……ママは、アプリちゃんをいつまでも応援してますからねぇ。安心してね」
「うん。ありがとう、ママ」
あたしはママにしがみついて眠った。こうしてコルニリアの最後の夜は更けて行った。
出発の日の朝が来た。
あたしたちの出発を祝うかのように、南国の港町は快晴だった。
風も穏やかで、出港にはもってこいの陽気だ。
「よーし、準備完了ー!」
あたしはいつものように栗色の髪をポニーテールにまとめ、愛用の革鎧と手袋を身に着けた。短めの白いキュロットと黒いロングブーツ。鏡に映った自分の姿は、いっぱしの冒険者に見えた。腰には黒い布に巻かれたアルディラ=イグニス。
『馬子にも衣装ってヤツだな』
「失礼ね。似合ってる、可愛いよアプリトーンくらい言いなさいよね」
『ふん。俺はお世辞は言わねえ』
「ホントはあんたにも鞘くらい作ってあげたかったけど、間に合わなかったの。ゴメンネ」
『別に構わん。そのうちなんとかなるだろ。ところで、エストリオールはどうした』
「寝てる」
『嘘だろ?あんな盛り上がってて寝坊かよ』
「あたしも嘘だと思いたい」
あたしの視線の先にはふかふかのベッドで、幸せそうな顔でよだれを垂らして寝ているママの姿があった。
「……うーん。むにゃむにゃ。アプリちゃーん、待ってぇ…」
完全に寝ぼけてやがる。あたしはついにバクハツした。
「い、い、いい加減起きろおおお!!!」
港に着いたのは、大陸行きの船が出るわずか5分前だった。
あたしたちの乗る大きな船が、コルニリアの港をゆっくりと離れていく。
だんだん小さくなっていく、あたしの住んでいた街並み。
お家も、学校も、小さいころから遊んでいた広場も、みんな小さくなっていく。
あたしは船のデッキでそれをじーっと眺めた。
そして、ちょっとだけ涙が出た。
別に、もう帰ってこないわけじゃない。永遠の別れって訳でもない。
でも、15歳になった今のあたしには、少しだけ。
『おい、アプリトーン』
「…なによ。人がいるところで話しかけないでよね。変に思われるでしょ」
『エストリオールが一緒なのは、正直怖い。でも』
「でも?」
『お前が俺と契約してくれたのは、ええと、その……嬉しい。よろしく頼むぜ、相棒』
アルディラの宝玉が、ぼんやりと恥ずかしそうに少しだけ輝いた。
「なによ急に。急にいいこと言うとキモいわ」
『キモいとか言うな。俺は案外ナイーブなんだぞ』
「あはは。ごめんね、アルディラ。あたしからも、よろしくね」
黄色い南国の太陽が、あたしたちの乗る船をまぶしく照らす。
大きな海原はどこまでも青く澄み渡り、吹き抜ける風があたしを包んだ。
ゆるやかな海風を受けて大きく膨らむ船の真っ白い帆。
舳先で砕け散る白い波。
いよいよだ。
あたしの旅が、今ここからはじまる!
…あ、ママはもう船室で一杯やってまーす。




