第2話 「ママのヒミツ」
第2話 「ママのヒミツ」
あたしはもうすぐ学校を卒業する。
コルニリアの子供が通う学校は15歳で終わり、そこから自分で仕事をするようになる。商人になる子、職人になる子、都会に出て兵士になる子も中にはいる。でも一番多いのは漁師になる子だった。コルニリアでは漁師は一番ポピュラーで、実際儲かる。でもあたしは漁師になるつもりはない。ママみたいにギルドで働くつもりもない。
あたしには夢があった。それは、『冒険者になって、世界を旅する』こと。
そのために、あたしは剣と魔法を練習した。修行の甲斐もあって、14歳にしてはそこそこの剣の技術を手に入れた。男子にだって負けてない。魔法だって、ちょっとした擦り傷くらいなら治せるくらいできるようになった。学校の先生にも「ロゼッティさんは筋がいいね」って褒めてもらった。
でも、ママはふんわり笑顔であたしに言った。
「アプリちゃん、そんなに無理して修行しなくてもいいのよぉ。アプリちゃんが怪我でもしたら、ママ心配でお仕事行けなくなっちゃうわぁ。焦らないで一緒にお昼寝でもしましょうねぇ」
そんな暇あるかい。あたしは心の中で強烈にツッコんだ。
「ママ、あたしそろそろ卒業だよ。自立してママを助けないと。うちはパパがいないんだし、あたしもがんばらないとでしょ?」
「えー、パパ?あの人ねぇ…?いったいどこで何をしているのやら…?どっかで元気に野垂れ死んでるんじゃないかしらぁ?うふふ」
実の夫でしょうが。『元気に野垂れ死んでる』って何よ?でも不思議とパパを憎んでるとか、パパを恨んでるとか、とかそういうニュアンスをママからは感じなかった。結局のところ、ふたりとも『変』なんだな、たぶん。あたしの両親なんだけど。
「とにかく、あたしにはあたしのやりたい事があるから。ママにもあとで相談する!」
あたしはママにそれだけ言って、学校へ向かった。
そんなある日、あたしは友達とふたりで山に薬草を取りに行った。
薬草摘みは、あたしは大好きだ。山の中のさわやかな風、薬草のいい香り。今日も、籠いっぱいに貴重な薬草が採れた。これだけあればお小遣いにもなるし、貴重なポーションだって作れる。楽しくて、嬉しいひとときだった。
でも、その楽しさは長く続かなかった。
森の中で、背の低い、緑色の肌を持ち、粗末な革鎧と武器で武装したゴブリンと遭遇してしまった。3匹もいる。
あたしは、友達に言った。
「先に逃げて、コルニリアのギルドに知らせて」
「でも、アプリちゃんが…」
「あたしは大丈夫。何とか食い止める。お願い、早く」
救助が来るまで、およそ30分くらいってところだろう。そのくらいなら、なんとか粘ってみせる。
ゴブリンの数匹程度が倒せなくて、何が冒険者だ。初戦闘にはちょうどいい。あたしは愛用のショートソードを抜いて、構えた。
やれる。
絶対、やれる!
友達がコルニリアに向かって走ると同時くらいに、ゴブリンがあたしに襲い掛かってきた。
あたしは落ち着いて最初の一撃を避けた。それからカウンターで一匹のゴブリンに斬りつけた。もんどりうって倒れるゴブリン。
倒せた。いける!
あたしの剣術は、こいつらにも通用する。
あたしはじりじりと街に向けて後退しながら間合いを図った。ほんの少しでも時間を稼ぎたかった。
耳障りな奇声を発しながら、2匹のゴブリンが同時に飛びかかってきた。あたしは剣を両手で持って、右のゴブリンの腹に剣を突き立てた。ゴブリンの血がばしゃっとあたしの顔にかかった。うげ、気持ち悪い。
でも、これで2匹仕留めた!勝てる!
少しだけ油断したその時だった。何かがあたしの頭に向かって飛んできた。目に火花が飛んだ。凄まじい衝撃と激しい痛み。
あたしの後ろの茂みに、もう一匹ゴブリンが隠れているのが見えた。スリングか何かで、石を投げたらしい。脳みそが揺さぶられ、あたしは膝をついた。
頭から血が出ていた。ものすごく痛い。話を聞いただけじゃわからない、本を読んだだけじゃわからない、それは、初めて受けたリアルな痛みだった。
流れ出した血が視界に入る。
背筋に氷の柱を突っ込まれたように、身体の奥底から震えがきた。
……怖い。
あたしはそこでハッキリと恐怖を感じた。
殺される。
殺されちゃう!
今まで味わったことのないあまりの痛みと、本物の殺意の恐怖に、たったの石ころ一個であたしの心はポッキリと折れた。
怖い、怖いよ…。
ママ…。
膝が震えて、視界が涙で滲んだ。
2匹のゴブリンがじりじりと間合いを詰めてきた。あたしはふらつく足を押さえて何とか立ち上がった。しかし、恐怖と涙で焦点が合わない。襲い掛かるゴブリンの攻撃を避ける事ができず、粗末な短剣があたしのふとももに突き刺さった。真っ赤な血が噴き出す。
「あああーーッ!」
ゴブリンは、あまりの痛みで叫びうずくまるあたしの顔を思いっきり蹴ってきた。鼻の奥がツンとして、鉄の味が広がった。痛みと衝撃で目がチカチカする。溢れ出る血で息が詰まった。
痛い。苦しい。
ゴブリンは泣いて叫ぶあたしを見て、ゲラゲラと笑った。
その声は、さらなる恐怖となってあたしの心臓をワシ掴みにした。
怖い!
殺される!!
あたしはゴブリンに引き倒され、手足を押さえつけられた。ゴブリンの獣のような臭いが血まみれのあたしの鼻にもわかった。耳障りなゴブリンの笑い声が頭に響く。その臭いと声があまりにも気持ち悪すぎて、あたしは吐き気を催した。
「イヤ、やめて!やだ、やだ!」
ゴブリンがあたしの革鎧を服ごと引きはがす。あたしのちいさな胸があらわになった。
「ママ、ママ!たすけて!」
あたしは情けない声で、叫んで暴れようとしたが、無駄だった。ゴブリンは容赦なくあたしの身体を押さえつけ、あたしに馬乗りになった。
絶望して、目を強く閉じた。
その時だった。
ヒュッ、と風の音がして、あたしを押さえつけていた力がふっと消えた。
え…?
今の…なに…?
固く閉じていた目を、おそるおそる開けると信じられない光景がそこにあった。
「あらあら。ママの大事な、だーいじなアプリちゃんに、なんてことしてくれるのかしらぁ」
ママだった。
冒険者ギルドの制服を着たママが、そこにいた。
そして、首のない2匹のゴブリン。切り口からまだ血が噴き出している。
ゴブリンは立ったまま絶命していた。
ママの手には、そこらへんで拾ったと思われる一本の木の棒。
あたしは一気に現実に戻った。
え?木の棒?木の棒でなんで首が斬れるの?木の棒でぶん殴ったって、首は斬れないよ?
「マ、ママ…それ、木の棒だよね…?」
「もお。ママ、慌てて来ちゃったから、サンダル脱げちゃったわー。新しいの欲しいわねぇ。今度はピンクにしようかしら」
いつもと変わらない笑顔のママは、あいかわらずのんきな事を言って、はだしの片方の足をぷらぷらさせていた。
ちょ、ちょ、ちょっと待って?…木の棒で、ゴブリンの首を、カミソリみたいに、スパッと…?あたしは自分が助かった事より、ママの奇行に理解が追い付かなかった。
「あらー。もうひとり、お客さまみたいねぇ」
すると、森の奥から何か重いモノが、ずしんずしんと歩く音が聞こえてきた。ママの背後に現れたのは、山のように巨大な影だった。
「うそ、アレって…、そんな!?なんでこんな街の近くに!?」
あたしは初めて見る「上級モンスター」の巨躯に、完全に怯え、竦んだ。
そいつは、トロールだった。いわゆるB級に属する、凶悪な大型モンスター。3メートルを超える巨体に、丸太のような太い腕、やわな剣では歯が立たない堅い肌。そして最も危険な鋭い牙と爪。熟練の冒険者パーティでも手こずるような、強力なモンスターだ。
トロールは、ゴブリンの血の臭いに敏感に反応し、こちらを睨みつけている。
「ま、ママ!逃げて!ママも死んじゃう!」
あたしの目にまた涙があふれ、あたしは泣きながらママに叫んだ。
「大丈夫よぉ、アプリちゃん。すぐにママがやっつけてあげますからねぇ。あ、この剣、ママにちょっと貸してね」
ママはいつものようにのんびりと言って、あたしの使っていた剣をひょいと拾った。
無茶だよ!あたしの剣なんてその辺で買った銀貨3枚の安物だよ?刃こぼれもしてるし、トロールの肌なんて斬れないよ!
あたしの目からはさらに涙がこぼれた。あんなのに襲われたら、ママが、ママが死んじゃう!
「さあて、ちょっとだけ本気、出しちゃおうかな。私の可愛いアプリちゃんを泣かせた罪は、重いわよぉ」
あたしの心配をよそに、ママは右手にあたしの剣を持ち、空いている左手を天に掲げた。すると、ママの左手に『血の塊』みたいな真っ赤な光の玉が現れた。
な、なにあれ!?
あたしの目はママに釘付けになった。
ママはその真っ赤な玉を自分の左胸、──心臓の部分に押し込んだ。するとママの青くて大きな瞳が、真っ赤に染まった。ママの身体から紅いオーラが噴き出し、あたしのなまくらなショートソードが、まばゆいほどの紫色に輝いた。
南の国の港町のぬるい風が、一気に凍り付いた。
トロールが異変を察知し、凄まじい咆哮と共に、ママに鋭い爪で斬りかかってきた。とんでもない速さだ。それなのにママは、ちょっと楽しそうに呟いた。
「うふふ。遅いわねえ」
ママはその一撃を剣で受けた。細くて白い腕で軽々と、受け流した。
そして目にも止まらない速さで、トロールとの間合いを詰めた。まるで、影が走ったようだった。
「『パッソ・デッロンブラ(影の足取り)』…あーん、ひさしぶりにやったけど、できたわぁ。案外、覚えてるものねぇ」
ママは薄く微笑みながらのんびりと言って、ショートソードを閃かせた。
「我が漆黒の刃、受けてみるがいい」
ママの顔が、そして声が一瞬だけ変わった。いつもと全然違う、低い声だった。
「ラ・フォッサ・デッラ・モルトゥアーリア !(霊安室の墓穴)」
あたしの剣が纏った紫色の光が大きく弾け、軌跡が走ったと思った刹那、トロールの両腕と頭の半分が吹き飛んだ。
え?え?あんな剣で、トロールを、斬った?一撃で?
しかもなんか言った!よくわかんない言葉!なに?何て言ったの!?
ドオン、と地響きを立てて崩れ落ちるトロールの巨体。
ママはそれに目もくれず、トテトテとあたしの脇に小走りで近寄ってきた。
「アプリちゃん、大丈夫ぅ?怖かったでしょう?今、ママが治してあげますからねぇ」
ママの右手が青く光って、あたしの体を包み込む。
ママの目は、いつもの青く澄んだ目になっていた。身体から噴き出す禍々しいオーラも完全に消え、いつものゆるーい雰囲気に戻っていた。
「マ、ママ。い、今の何?なんで一撃で倒せるの?なんで回復魔法まで使えるの?」
あたしは完全にパニックになって喚き散らした。でもママはいつものようにおっとりとした口調で答えた。
「なんのことかしらぁ?さあ、アプリちゃん、お家に帰りましょうね。今日はアプリちゃんの好きなエビフライにしましょうねぇ」
は?エビフライ?そんなことより、質問に答えてよ!
あたしはいろいろ聞こうとしたが、頭が混乱しすぎて口が回らなかった。水揚げされた魚みたいに、ただ口をパクパクさせただけだった。
……もう、無理だ。
……情報量が多すぎる。
あたしの脳みそは、完全にオーバーフローを起こした。
「…きゅう」
あたしは、ママの柔らかい膝に頭を預けたまま、深い闇の中に落ちていった。




