第12話 「ボローネンのボロネーゼ」
第12話 「ボローネンのボロネーゼ」
商隊は南へ進む。
最初の日は平野が続いた。ヴェネルーナの水の街を離れると、地平線まで広がる農地が現れた。麦畑、ぶどう畑、オリーブ畑。どれも丁寧に手入れされていて、春の光の中でみずみずしく揺れていた。
二日目には丘陵地帯に入った。なだらかな丘の斜面にも畑が続いていて、丘の頂に古い石造りの村が点在していた。夕暮れになると、オレンジ色の光の中に浮かぶ村の輪郭が、絵の中の風景みたいに見え、黄金の海原みたい!
三日目の夕方、オレンジ色のレンガに覆われた街並みがゆっくりと地平線のかなたに浮かんできた。夕焼けに照らされ、一層幻想的に見える。丸いドーム型の屋根のある聖堂の隣に、のっぽの二本の塔がシルエットになって長い影を作り出していた。そのうち短い方の塔はちょっと曲がっているように見えた。
『ガリセンダとアシネッリの塔だな。昔はもっといっぱい塔が建ってたけど、しばらく見ねえうちにずいぶん減ったな。塔は当時の権力者が、自分の力の誇示のために建てたものだ』
「なんで力の誇示が『塔』なんだろうね?」
『わからん。いまいち人間のやることは理解できねえな』
アルディラが懐かしそうに宝玉をぽわぽわと光らせた。
『そういえば最近、ガリセンダの塔が傾いてきてるらしいな。近いうち倒れるかもしれんぞ』
「物騒なこと言わないでよ。縁起でもない」あたしは眉をひそめた。ママは何も言わずにニコニコした笑顔でずっと、あたしたちを優しく見守っていた。
それから間もなく、あたしたち商隊は拍子抜けするほどあっさりとボローネンに到着した。無事に任務完了。特に何のトラブルもなく、野盗の襲撃とか荷車の故障とかもなかった。あたしはちょっとだけほっとして、ギルドに報告する書類を商隊のエライ人から受け取った。
「さーて、ギルドに報告したらご飯食べに行こうよ、ママ」
「いいわねぇ。何を食べようかしらぁ」
「そりゃやっぱり、ボロネーゼでしょ!ひき肉いっぱいのパスタ!」
『俺は食えないんだかな』
「うるさいな。あとでなんか食べさせてあげるわよ」
あたしたちは街のギルドに立ち寄って、商隊の護衛任務の完了を報告して報酬を受け取った。それから街の中心近くにある宿を確保した。
宿の女将さんはふくよかな体格のおばちゃんで、ママの顔を見た瞬間「まあ、きれいな人ねえ!何処かのご令嬢かしら!」と声を上げた。それから宿で一番いい部屋にしてくれた。どこへ行ってもこうだった。見た目で得してる。
荷物を置いて、お腹がペコペコのあたしたちはすぐに街に繰り出した。
ボローネンの大通りは、ポルティコのアーチが続く回廊になっていた。アーチの天井には古い壁画が描かれているものもあって、見上げながら歩いていると首が痛くなった。アーチの下には露店が並んでいて、チーズ、生ハム、パスタ、それからあたしには名前のわからない加工食品が所狭しと並んでいた。
「いい匂いがする……」
『お前、さっきから食べ物の話しかしてないぞ』
「ここ食の都だもん。そりゃ食べ物の話するでしょ」
あたしは露店でひとかけらのチーズをもらって口に入れた。
塩気が強くて、ほろほろと崩れて、口の中で旨味がじわっと広がった。
「なにこれ、うまっ……!」
「そうでしょそうでしょ」と露店のおじさんが誇らしそうに笑った。「それがパルミジャーノ・レッジャーノ、本物よ。二十四ヶ月熟成させたやつだ」
「二十四ヶ月……二年間?」
「そうよ。手間がかかるから値段も張るけど、その分だけうまい」
あたしは値段を聞いて少し目を丸くしたけど、小さめの塊のものを一つ買った。ヴェネルーナのコルヴィーノ卿にもらったやつもまだあるけど、食べ比べてみたかった。
夕食は街で一番人気という、赤レンガの壁のトラットリアに入った。
観光客も多いけど、地元の人も多い。テーブルがひしめき合っていて、店員のおじさんが大声で注文を飛ばしている。
「えーとぉ、ボロネーゼ、三つ。アプリちゃんは?」
ママが迷いなく言った。
「え、三つ?」とあたしは首を傾けた。「あたしもボロネーゼにしようと思ってたけど、ひとつ多くない?」
「ママが三つ食べるからー」
「三人前を?」
「三人前をー」
「……ま、まあいいけど」
あたしは一人前のボロネーゼを頼んで、アルディラは壁にかけておいた。
待っている間、あたしはグラスのレモネードを飲みながら店内を見まわした。壁にはワインの瓶がずらっと並んでいて、天井からソーセージと生ハムがぶら下がっていた。客たちはみんな大きな声でしゃべって笑っていた。楽しそうな声が重なって、独特の賑やかさだった。
しばらく待つと、もわーっと湯気を立てたボロネーゼが四皿、来た。
平たい幅広の麺に、深い赤茶色のソースがたっぷりとかかっている。湯気と共に立ち上る、牛肉の濃厚な香り。さらにその上には白い削ったパルミジャーノが、まるで雪のように散らしてあった。赤と白のコントラストが印象的な一皿だった。
「——うわぁ、美味しい…!」
一口食べて、また声が出た。しょうがない、本当にうまかったから。
平打ち麺がもちもちしていて、ソースがよく絡んでいた。ひき肉の旨味がじっくり出た煮込み汁が麺に染み込んで、食べるたびに口の中で味が変わった。長時間煮込んだ赤ワインの甘みと香味野菜の酸味。思ったよりトマト味は少なく、すさまじく肉々しい。パスタよりも、肉が主体な『肉料理』だった。
いわゆる普通のミートソースのスパゲティとは段違いの風味だ。
あたしは夢中で食べた。
夢中で食べて、ふと顔を上げた瞬間。
「……」
ママが三皿を前に、涼しい顔で食べていた。
きれいだった。見惚れるほどに。
食べ方が上品で、赤いソースが一滴も跳ねていなかった。パスタを口に運ぶたびに、どういうわけかソースはお皿の上にだけあって、テーブルクロスにも、ママの白いワンピースの胸元にも、顎にも、どこにも跳ねてない。
三人前を、完璧に、きれいに、静かに、食べていた。
ハッとしてあたしは、自分の白い革鎧を見下ろす。
案の定、胸の部分に赤いシミ。
いつの間にか、べったりとついていた。
「……な、なんで?」
「どうしたの、アプリちゃん」
「どうしてあたしだけシミになるの?ママは一滴も跳ねてないのに」
「あらぁ、食べ方よぉ」
「食べ方ってそういうもんじゃないでしょ。三人前食べてて一滴も跳ねないって、おかしいでしょ」
「アプリちゃんは元気に食べすぎなのねぇ。もう少しゆっくり食べると、跳ねなくなるわよー」
「ゆっくりって、じゃあどう食べるの?」
「こうよぉ」
ママはパスタをフォークでゆっくりと巻いて、口元まで運んで、静かに食べた。それだけだった。それだけのことなのに、どこにも飛ばなかった。
「……ちゃんとやってるつもりなのに、なんであたしだけ……」
『センスの問題だな』
「あんたは黙ってて」
あたしは革鎧のシミを見ながら、残りのボロネーゼを少しだけ慎重に食べた。
それでも一か所、跳ねた。
新しいシミができた。
「革鎧、洗うの大変なんだからね……」
ボヤくあたしの目の前で、ママは涼しい顔で三皿目を食べ終えた。
食後、ママはチーズに合う地酒を頼んだ。店員のおじさんが「これがボローネン名物のピニョレットだよ」と言って持ってきたのは、白くて少し甘みのある発泡酒だった。
ママは一口飲んで目を輝かせた。
「あらぁ、おいしい」
「でしょう。ボローネンのチーズと一番合うんだ」
おじさんが誇らしそうに言った。
テーブルに出てきたパルミジャーノの塊をかじりながら、ママはピニョレットを飲んだ。それからまたチーズをかじって、また美味しそうにピニョレットを飲んだ。無限ループだ。
「ママ、ペース早くない?」
「美味しいんだもの、しょうがないでしょー」
「しょうがなくない。ちゃんと水も飲んで」
「アプリちゃん、ここのピニョレットをお代わりしてもらえるかしらぁ?」
「えー、自分で頼んでよ」
「メニューが遠いわぁ。ママ届かなーい」
「近いでしょうが」
結局お代わりを頼んであげたのはあたしだった。
ピニョレットとパルミジャーノの組み合わせがよほど気に入ったらしく、ママは宿に戻るまでにピニョレットを四杯飲んだ。翌朝ちゃんと起きられるか、あたしはすでに心配だった。
翌朝、案の定。
「ほらぁ、ママ!起きて!!」
「……んー……ピニョレット、もう一杯……」
「ゆ、夢でも飲んでる……。もー!起きて!」
ボローネンでも、朝は戦争だった。




