第10話 「ママが主役のマスクド・カーニバル」
第10話 「ママが主役のマスクド・カーニバル」
ヴェネルーナ名物、マスクド・カーニバルが盛大に幕を開けた。
夜明け前から街の中心に鳴り響いていた大砲の祝砲が、ヴェネルーナの空へ三発、轟音を上げた瞬間、サンティ・マルク広場に集まった数千人の人波がいっせいに沸いた。
「わぁあ…」
あたしは群衆の中で、思わず口を開けたまま立ちすくんだ。
何もかもが、あたしの知っているお祭りとは違った。
コルニリアにも夏祭りはある。漁師たちが豊漁を祈って松明を掲げ、広場で魚料理をふるまって、楽団が踊り曲を弾く。楽しいお祭りだ。あたしも大好きだった。
でも、これは規模が違った。
広場をぐるりと囲む石造りの建物は、深紅と金色の布と生花で飾り付けられていて、二階三階の窓という窓から無数のリボンや花びらが降り注いでいる。地面の石畳には色とりどりの絵具で描かれた幾何学模様が施されていて、人々がその上を踊りながら歩くたびに模様が擦れて、まるで生きているみたいにうごめいて見えた。
音楽が、まるで生きているみたいだった。
アコーディオンとマンドリンだけじゃない。チェンバロ、フルート、太鼓、それから弦楽器のカルテット。それぞれが別々の場所で別々の曲を演奏しているのに、広場全体では不思議なほど調和していた。耳を澄ますと遠くのほうから合唱も聞こえる。ヴェネルーナの民族音楽は陽気で早くて、聴いているだけで足が動きたくなる。
そして何より、行き交う人たちが全然違った。
老いも若きも男も女も、全員が仮面をつけていた。
あたしと同じ、ペストドクターを模した長い嘴のマスクをつけた人。道化師のコロンビーナに極彩色の衣装を合わせた人。目の周りだけを覆う繊細なバウッタに三角帽を合わせた人。獣の頭蓋骨を模した白い仮面に黒いマントを羽織った人。黄金色に輝く太陽の仮面に白いドレス。銀色の月の仮面に紫の外套。
全員が別々の世界から来たみたいに違っていて、でも全員が同じカーニバルの一部だった。
「わあ……」
あたしはもう一度、驚きと感動で声にならない歓声をあげた。
そんなあたし自身の衣装も、コルニリアにいた頃には考えられないようなシロモノだった。
頭から顔半分を覆う長い嘴のペストマスク——黒漆塗りで、嘴の先端に金の彫刻が施してある。その上に被せた黒い三角帽は幅が広く、つばにびっしりと黒い羽根飾りがついていた。衣装は上から下まで黒一色で、肩に短いケープが重ねてある。腰に巻いたベルトにアルディラを差している。鞘がまだないので、黒い布でグルグル巻きだ。
警備員なのでド派手な格好は控えたけれど、それでも普段のあたしには絶対に選ばない格好だった。
「……なんか、自分じゃない気分がする」
『嘴がおかしいぞ。ちょっと上向いてる』
「自分じゃわかんないや。こう?ヘンかな?」
『まあ、そんなもんだろ』
あたしは手で嘴の角度を直した。
ヴェネルーナのギルドから依頼を受けたあたしとママは、朝からカーニバルの警備に就いている。依頼人はこの街の最高権力者、ドージェ——ヴェネルーナ総督のフランチェスコ・コルヴィーノ卿。カーニバルの期間中、毎年のように起こるという何者かの妨害行為を防ぐのが目的だ。
そしてやっぱり先日の広場での説明の通り、あたしとママでは担当が違った。
ママは、あたしや他に依頼を受けた冒険者とは完ッ全に別枠だった。
まあ、あれを見てよ。
広場の中央に、一段高く設えられた石造りの祭壇。
カーニバルの初日に総督が公式に姿を現し、民衆に挨拶をするための場所だ。彫刻の施された手すりに、深紅のビロードが巻かれ、金の燭台が並んでいる。
その祭壇に、ママがいた。
あたしは人垣の向こうに祭壇を見つけた瞬間、一瞬だけ、誰だかわからなかった。
ドレスの色は深い赤と黒——それ自体はわかった。でも、その全体量が、あたしの処理能力を超えていた。
スカートだ。まず、スカートが信じられないくらい大きかった。
フープパニエと呼ばれる骨組みを何枚も重ねて膨らませた構造で、裾の直径が三メートル近くある。生地はシルクのタフタで、光の角度によって深紅にも黒にも見える。その上に黒いレースのオーバースカートが重ねてあって、レースの隙間から下の赤い生地がのぞく仕掛けになっていた。スカートの裾には赤と金の刺繍が施されていて、風が吹くたびに金の糸がきらめいた。
コルセットで締められた腰は、信じられないくらい細かった。娘として見るにはちょっとあれだけど、あの細さは普通じゃない。ロープで締め上げているんじゃないかというくらい、ウエストが絞れていた。
袖が、また派手だった。
パフスリーブといって、肩のところだけ信じられないくらい膨らんでいる。シルクのたっぷりした生地が何重にも重なって丸く膨らんでいて、そこから肘のあたりで急に絞られて、手首まで細くなっていく。袖の全体にレースとリボンが重ねてあって、肘のあたりには大きなリボンが両腕についていた。
デコルテは少しだけ開いていて、上品だけど全然隠れていない。そこに深紅のジュエリーが首と耳に揺れていた。
そして、仮面。
コロンビーナという種類の仮面で、目の周りだけを覆う、いわゆるハーフマスクだ。口と顎は隠れない。でも、ただのコロンビーナじゃなかった。
金糸でびっしりと刺繍された生地に、宝石が散りばめてあって、さらにその縁に白鳥の羽根が放射状についていた。目のあたりには孔雀の羽の模様が施してあって、覗く瞳の青さをさらに際立てた。唯一見ることができるママの唇は、いつもの落ち着いたさくら色。派手な仮面と清らかさが相反するという何だか妖艶で、ちょっとだけ淫靡な雰囲気を醸し出していた。
帽子には、生花が半端じゃない数ついていた。
白いバラ、赤いバラ、紫のラベンダー、黄色のミモザ。その間に極彩色の鳥の羽根——クジャク、オウム、フラミンゴ——が垂直に高く差してあって、ママが少し頭を動かすたびに羽根が揺れた。
手に持った扇子は、べっ甲の骨に黒いレースを張ったもので、広げると扇面に金で絵が描いてあった。ヴェネルーナの水路と橋の風景らしい。
つまり要するに、ひとことで言うと。
完全に、目立ちすぎていた。
「……アルディラ、あのドレス誰が選んだの?」
『ドージェの衣装係だ。総督がエストリオールに似合いそうなもの、って言ったら半日かけてあれを用意したらしい』
「似合いすぎてるのが逆に腹立つんだけど」
『正直なところ、会場で一番目立ってないか?』
「……だよね。あたしもそう思う」
あたしは深くため息をついた。
警備対象の総督を守るために来ているはずなのに、ドレスの迫力だけでみんなの視線をぜんぶ持っていっていた。
一方、そんなあたしはママの脇役、つまり総督とその周辺の高貴なご婦人の警備——ペストマスクの衣装で群衆に紛れ、不審者を探す役だ。ギルドから派遣された他の冒険者さんたちと同じ、いわゆる「大勢のうちのひとり」。どう?この差。グレるぞ。
総督——フランチェスコ・コルヴィーノ卿は、ママの隣に座っていた。
年のころは四十代だろうか。彼もまた豪奢な衣装を身につけていた。総督の公式礼装で、深青の厚地のジャケットに金の刺繍、白の絹のシャツ、黒のキュロットに白タイツ、金の留め金のついた黒靴。頭には黒い山高帽。仮面はバウッタの変形で、頬と顎のラインに沿った立体的な形をしていた。
そのコルヴィーノ卿が、ものすごい熱量でママに話しかけていた。
「ああ、エストリオール。あなたは本当に美しい」
仮面越しでも伝わってくる熱視線だった。
「うふふ。そうですかぁ。ありがとうございますぅ」
ママは口元に柔らかな微笑みを浮かべながら、扇子をゆるやかに揺らした。
娘のあたしが見ても、ちょっとだけドキッとするくらい、大人の色気があった。
『……言っておくが、エストリオールは若い頃こんなんじゃなかったぞ』
「そうなんだ?」
『もっと地味で、ヘンな女だった』
あたしはママから目を離せなかった。あまりにも『絵』になりすぎていたから。
「私はあなたのような女性に会ったことがない。これは運命ではないだろうか」
「まあ、素敵なお言葉ですねぇ」
「あなたさえよければ、カーニバルが終わってもここにいてくれませんか。私の妻として」
「……へ?」
あたしは思わずうわずった声を漏らした。
出会ってほぼ一日だ。プロポーズするのが早すぎる。
「いきなり急ですねぇ、うふふ」
ママはにっこりして、扇子を少し大きく揺らした。
断ったのか受けたのかよくわからない返事だった。
「私のこの大きな愛が、一日ではとても収まらないのですよ」
「まあ。それは大変ですわねぇ」
会話がすごい。あたしは完全に聞かなかったことにして、広場に目を向けた。
今のところ、異状はない。ママ以外は。
カーニバルは最高潮に達していた。
広場の中央では、コロンビーナとアルレッキーノの衣装を着た道化師のペアが、人々の輪の中でコミカルな芝居を演じていた。アルレッキーノが嘘をついてコロンビーナに追いかけられ、転んで、また逃げ、また転ぶ。見物の人々が笑い声を上げるたびに、演じる二人のテンションも上がっていった。
楽団が演奏する曲が変わって、広場のあちこちで踊りが始まった。
ヴェネルーナの伝統舞踊は、男女がペアになって踊るものだ。男性が腰を大きく引いて女性を導き、女性は大きなスカートを翻しながらくるくると回る。石畳に叩きつけるヒールの音が規則正しくリズムを刻んで、見ているだけで心拍数が上がってくる。
露店が広場の外周に並んでいた。
焼き栗、揚げパン、砂糖をまぶしたナッツ。串に刺した肉と野菜。蒸したムール貝にレモンを絞ったもの。カラフルなマジパンで作った動物の置物。仮面と衣装と羽根を売る出店。香水売りが細長いビンを持って歩き回っていた。
「や、焼き栗…。うまそう……」
あたしの口によだれが溢れそうになった。
『お前、警備中だぞ』
冷たくツッコむアルディラ。
「わ、わかってるもん。見てるだけだし!」
あたしは気持ちを引き締めて、群衆を観察した。
不審な動きをしている者はいないか。武器を隠し持っていそうな者はいないか。祭壇のほうへ不自然に近づこうとしている者はいないか。
そしてその時、気になる影を見つけた。
そいつは、ピエロの仮面だった。
白地に涙の雫を一つ描いただけのシンプルな仮面。衣装も白と黒のシンプルなピエロ服。目立たない格好だった。でも、動きがおかしかった。
人の流れに逆らうように動いていた。踊る人たちの流れとは別の方向に、じりじりと、じりじりと、祭壇のほうへ近づいていた。立ち止まって、また動いて、立ち止まる。まるでこちらの警備の目を見極めるような、慎重な動きだった。
「……アルディラ、ちょっと」
あたしは低い声で言った。
「見て、あのピエロ。怪しい」
『ああ。俺も気がついた。右手に何か隠してる。腰のあたり』
「見える?」
『おそらくナイフか小型のボウガンだ。注意しろ』
「…わかった」
あたしはアルディラの柄に、そっと手をかけた。
ピエロは止まった。だけどすぐにまた動いた。
ちょっとずつちょっとずつ、確実に祭壇に近づいている。あと三十メートル。二十五メートル。
あたしはゆっくりと群衆の中を移動した。走ったら気づかれる。でも急がないと間に合わない。
二十メートル。
十五メートル。
ピエロが群衆の切れ目に出た瞬間、走り出した。
「——死ねッ! ドージェ!!」
叫び声が広場に響いた。
ピエロが短剣を高く掲げた。
あたしはダッシュした。間に合うか——!
「あらあら」
ママの声がした。
静かな、穏やかな声だった。
「暗殺をするときに声を出すなんて、三流ねぇ」
ママは扇子を持ったまま、ほんの少しだけ手首を動かした。
扇子の飾りに埋め込まれた小さな宝石が、ママの細くて白い親指で弾かれて飛んだ。
音もなく宝石は、弾丸となって弾け飛んだ。
鈍い音。宝石がピエロの右手の親指に直撃した。
咄嗟の出来事に、ピエロが一瞬怯んだ。
あたしはその一瞬でアルディラ=イグニスを引き抜いて、下から斬り上げた。
ガキン、という金属音と同時に、ピエロの短剣が空中に弾き飛んだ。
石畳に落ちる金属音が、周囲の音楽に紛れて消えた。
「——ぐぅッ」
ピエロがうずくまった。あたしはすぐさまアルディラを突きつけて、ピエロの動きを封じた。
ピエロは動かなかった。
気がつくと、周囲の警備員が走り寄ってきて、あたしの代わりにピエロを取り囲んだ。あたしはアルディラをマントに隠した。
手が、震えていた。
緊張で、息をするのも忘れていた。大きく息を吐き、また吸った。
でも、やれた。
「見事だった」
しばらくしてから、コルヴィーノ卿が立ち上がってあたしに言った。
「エストリオールのご家族だと聞いたが、妹君もたいした腕だ」
あたしは帽子を少しだけ傾けて答えた。
「いえ。マ…じゃない、姉にはまだまだ及びません」
「うふふ。アプリちゃんは謙虚ねぇ」
ママが扇子で口元を隠して笑った。
さっきまでコルヴィーノ卿の猛アタックを涼しく受け流していた時と同じ顔で、でもその目だけは、あたしをちゃんと見ていた。
「…がんばったわね」
ママは扇子を少し下げて、静かに言った。
その声は、観衆には届かないくらいの小さなボリュームだった。
あたしはママの優しくて澄んだその声を聞いて、ちょっとだけ鼻の奥がツンとした。
こ、こんなことで泣かないぞ。あたしは強いんだ。強い。…たぶん。
「ど、どお、ママ。あたしもなかなかやるでしょ」
あたしは精一杯強がって胸を張った。
「ええ、立派な冒険者よー」
「ホントに?」
「ホントに。ママが保証しちゃう」
「…うん」あたしはママに背中を向けて、涙がちょっとだけ出ちゃったのを隠した。
広場では何事もなかったかのように、カーニバルが続いていた。
音楽が鳴って、人々が踊って、花びらが降り注いでいた。
「ううぅ、疲れたぁ…」
その夜。無事に初任務を終えたあたしは、宿のちょっと硬いベッドに倒れこんだ。
あたしの手の中には今日の依頼の報奨金、銀貨10枚が握られていた。たったの10枚。その気になれば一日で使い切っちゃうようなわずかな額。他の人から見れば、『たったこれっぽっち』かもしれないけど、あたしの中ではとても重く、価値のある10枚だった。
冒険者として、初めて自分で稼いだお金。
体は泥みたいに疲れている。頭も霧がかかったようにぼんやり重い。けれど、あたしは満足感と充実感でずっとニヤニヤが止まらなかった。
『ずいぶん嬉しそうだな、お前』
「そりゃもう、初任務成功だもん。あたしの黄金伝説がここから始まるってワケよ」
『ふん。さっさと強くなって、俺に魔物の血と肉を食わせろ』
そんな風にアルディラと喋ってる間にも、疲れ切ったあたしの瞼が少しづつ重くなっていく。ね、眠い…。まだお風呂にも入っていないのに。
「…そのうちドラゴンでも、デーモンでも斬らせて、…あげるわ…よ。ぐう」
あたしは銀貨を握りしめたまま、だんだん意識が遠のくのを感じた。いつしか気が付くとぐっすりと深い眠りに落ちていった。
「あらあらアプリちゃん、今日はお疲れさま」お風呂から上がって、いつものふんわりした恰好に戻ったママがいつの間にかあたしの隣にいて、寝落ちしたあたしにそっと毛布をかけてくれた。「本当に、よくがんばったわねぇ」
柔らかな春の陽射しのような暖かい表情で、ママは眠っているあたしの頭をそっと撫でる。その姿は、まるでこの前見たサンティ・マルク大聖堂に描かれた聖母様のようだった。その姿を見て、アルディラは赤い宝玉をぼんやりと輝かせて呟いた。
『エストリオール、お前ホントに変わったな。昔はそんなんじゃなかった』
「……昔は昔よ。今は可愛い娘がいて、とっても幸せだもの」
『大陸イチの最強最悪の暗黒騎士が変われば変わるものだな。…まあ、いい』
アルディラは一呼吸おいて、照れくさそうに言った。
『俺も今の生活は、……悪くない』
ママはふふっと優しく微笑んで、アルディラをあたしのベッドの脇にそっと立てかけた。




