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第3話 彼女との出会いの始まり②

 少なくとも、俺は彼女のことを少しは知っていた。


 彼女がヴァレンハルトさんの幼なじみであることは知っている。なぜなら、ヴァレンハルトさん自身が何度かクラスでそのことを話していたからだ。


 白銀色のウルフカットの髪と、すらりと伸びた綺麗な脚を持つナイトヴェイルさんは、実際のところ男子生徒たちからもそれなりに注目を集めていた。


 ただ、ヴァレンハルトさんがどこへ行っても常に注目の的になるせいで、ナイトヴェイルさんの存在はしばしばその陰に隠れてしまう。


 彼女のあだ名は――。


『アルカナクラスで二番目に人気があって可愛い女の子』


 俺はその呼び方はナイトヴェイルさんに対してかなり失礼だと思う。


 だが、いつの頃からか、アルカナクラスであまり目立たない男子生徒たちが彼女をそう呼ぶようになっていた。


 その日の放課後。


 アルカディア魔法学院での授業がすべて終わり、俺はいつものように家へ向かって歩いていた。


 いや、正確には家というよりアパートだが。


 そして、ちょうどナイトヴェイルさんのことを考えていた時――。


「ハルトくん?」


 聞き覚えのある声が、不意に後ろから俺を呼んだ。


「えっ?」


 俺は反射的に足を止め、ゆっくりと後ろを振り返る。


 夕焼けの橙色に染まり始めた道の向こう。


 一人の少女が数メートル先からこちらへ歩いてきていた。


 白銀色の髪が夕方の風に揺れる。


 細いフレームの眼鏡は沈みかけた太陽の光を反射し、その奥にある穏やかな青い瞳がまっすぐ俺を見つめていた。


「ナイトヴェイルさん?」


 俺は驚きを隠せなかった。


 何しろ、ほんの数時間前に図書館で初めて言葉を交わしたばかりなのだ。


 それなのに、今度は帰り道で再び顔を合わせることになるとは。


「同じ方向に帰るなんて思わなかった」


 ナイトヴェイルさんは学院の鞄を持ちながら、俺のほうへ歩み寄ってくる。


 その声色は相変わらず落ち着いていた。


 まるで、帰り道で偶然クラスメイトに会うことなど、ごく当たり前の出来事だと言わんばかりに。


「俺もまさかだと思ったよ」


 俺も正直にそう答えた。


「ナイトヴェイルさんの家もこの辺なの?」


「うん」


 ナイトヴェイルさんは小さく頷く。


「ハルトくんは?」


「もう少し真っすぐ行ったところかな」


「そうなんだ」


 そうして俺たちはそれぞれの家へ向かい、そこで別れることになった。


 そして、それから間もなくして俺も家へと到着した。


 今の俺が住んでいる家は、それほど大きくはない。


 学園都市の外れにある、ごく普通の一軒家だ。


 それでも住むには十分快適だった。


 もっとも、前の世界で住んでいた場所と比べれば、こちらのほうがずっと広いのだが。


 俺は玄関の扉を開けて家の中へ入る。


「結構疲れたな……」


 こうしてアルカディア魔法学院での初日がようやく終わった。


 リビングに鞄を置き、そのままソファへ体を預ける。


 だが、まだそれほど休んでいないうちに――。


 コンコン。


 突然、玄関の扉を叩く音が聞こえてきた。


「ん?」


 俺は顔を上げる。


 だが扉へ向かう前に、一体誰だろうと少し考えた。


 この辺りで俺が知っている人間はほとんどいない。


 というより、知り合いの数は片手で数えられるほどしかいなかった。


 不思議に思いながら玄関へ向かい、扉を開く。


「……え?」


 一瞬、思考が止まった。


 そこに立っていたのは、ほんの数分前に別れたばかりの少女だったからだ。


 白銀色の髪。


 細いフレームの眼鏡。


 そして穏やかな青い瞳。


「ナイトヴェイルさん?」


「あ……やっぱり」


「やっぱり?」


 エララ・ナイトヴェイルは静かに頷いた。


 その手には大きめの箱が抱えられている。


 もう片方の手には、俺が見たことも飲んだこともない大きな瓶入りの飲み物が握られていた。


「さっきまでは、あまり確信がなかったから」


「何が確信できなかったの?」


「私が向かっていた家が、本当にハルトくんの家だったこと」


「……は?」


 俺は思わず何度か瞬きをした。


 するとナイトヴェイルさんは、この家からそれほど離れていない場所にある一軒の家を指差す。


「私の家、あそこ」


 俺は彼女が指差した方向へ視線を向けた。


 そして、すぐに理解する。


 確かに俺の家と彼女の家はかなり近かった。


 歩いて行ったとしても、ほとんど時間はかからないだろう。


「……近すぎない?」


「うん」


 いつも通りの短い返事。


 それきり、しばらく沈黙が訪れた。


 夕方の風が静かに俺たちの間を通り抜けていく。


 やがてナイトヴェイルさんは、自分が抱えていた大きな箱を少し持ち上げた。


「よく考えたら……」


「本を読みながら食べようと思って買ったんだけど」


「さすがにLサイズのフラモラを一人で食べるのは少し多すぎるから」


「だから――」


 そこで彼女は小さく首を傾げる。


「少しだけ、お邪魔してもいい?」


「えっと……とりあえず、どうぞ」


 さすがに、わざわざ家まで来てくれたクラスメイトを追い返すわけにもいかない。


 だから、とりあえず中へ入ってもらうことにした。


「あ、うん……お邪魔します」


 ナイトヴェイルさん。


 いや――。


 正確には、同じクラスの女子生徒が今この瞬間、俺の家の中にいる。


 クラスではほとんど話したこともない相手だ。


 今日の昼休みに図書館で少し話して、帰り道で偶然会った。


 それだけだったはずなのに。


 どうして今、俺たちは二人きりで俺の家にいるんだ?


 一体何が起きているんだ……?


「フラモラとフィゾラは、とりあえずここに置いておくね?」


「う、うん。ありがとう」

 ナイトヴェイルさんは大きな箱をテーブルの上へ置いた。


 近くで見ているうちに、ふと気になっていたことを思い出す。


「あ、そうだ。ナイトヴェイルさん」


「ん?」


「実はフラモラとフィゾラって何なの?」


「その名前、初めて聞いたんだけど」


「え?」


 その瞬間、ナイトヴェイルさんが少し驚いたような表情を見せた。


 そんな反応をする彼女を見るのは初めてだった。


「知らないの?」


「うん」


「フラモラは、丸くて平たいパンの上に色々な具材を乗せた食べ物」


「それから、フィゾラは炭酸飲料」


「ああ……そうなんだ」


「全部説明してくれてありがとう」


「別に、そのくらいなら」


 もちろん、とでも言いたげな口調だった。


(元の世界に当てはめるなら……)


(フラモラはピザみたいなもので、フィゾラはコーラに近い感じか)


(異世界でも、似たような食べ物や飲み物はあるんだな)


 ナイトヴェイルさんが持ってきたフラモラは一番大きいLサイズだった。


 二人で食べるなら、ちょうどいいくらいの量かもしれない。


 本でも読みながらなら、十分食べ切れそうだ。


「ふーん……ハルトくんの家、結構きれいなんだね」


「母さんがすごく几帳面な人だから」


「ソファに座る? それともカーペットの上に座る?」


「ハルトくんは普段どこで食べてるの?」


「床かな。ご飯を食べたり、本を読んだりする時も大体そこで」


 俺の母さんは、本当に厳格で規律を重んじる人だった。


 母が仕事で遅くなる特別な日を除けば、俺たちはいつも食堂で一緒に食事をしていた。


 だから、食事をしたり本を読んだりする時に、カーペットの上へ座ることにもすっかり慣れている。


「それなら、私もハルトくんと同じでいい」


「本当に? ソファのほうが楽だと思うけど」


「フラモラを食べながら本を読むだけなら、床のほうが落ち着くから」


「なら、好きにして」


 俺たちはフラモラの箱とグラスを二つ、それに飲み物の瓶を持ってリビングへ移動した。


「はい、これ使って」


 俺はナイトヴェイルさんに座布団を差し出す。


 カーペットの上に座るなら、そのほうが少しは楽だろうと思ったからだ。


「ありがとう」


 ナイトヴェイルさんは小さく微笑みながら受け取った。


 そして二人で向かい合うようにカーペットへ腰を下ろす。


 そこで俺は、ふとあることに気付いた。


 もしかすると――。


 女の子を家に招いたのはこれが初めてかもしれない。


 しかも、ただの女の子じゃない。


 エララ・ナイトヴェイル。


 アルカディア魔法学院でも、それなりに有名な生徒の一人だ。


 そして考えれば考えるほど――。


 どうしてこんな子が俺の家にいるんだろう。


「ハルトくんって、本当に本を読むのが好きなんだね」


 ナイトヴェイルさんの視線が、本棚の近くに積まれた魔法書の山へ向けられる。


「まあ、それなりに」


「『属性共鳴基礎理論』、『魔法陣基礎論』、『アルカディア魔法学院史』……」


「気軽に読む本にしては、結構重い内容ばかり」


「外へ遊びに行くより、こうして過ごすほうが好きなんだ」


「本の世界に入り込むみたいな感じで」


「ふふっ、私たち少し似ているかもしれないね」


「似てる?」


 俺は彼女のほうを見る。


 ナイトヴェイルさんはフラモラの箱を開き、一切れ手に取った。


「私も、外の賑やかな場所へ行くより、こうして静かに過ごすほうが好きだから」


「そうなんだ」


 なぜだろう。


 その言葉を聞いて、俺は少し意外に思った。


 ナイトヴェイルさんは見た目だけなら、誰とでもすぐに仲良くなれそうなタイプに見える。


 休日も王都へ遊びに行ったり、大勢の友達と過ごしたりしているものだと勝手に思っていた。


 だが、どうやらそうではないらしい。


「だから、家が近いって分かった時、少し気になったんだ」


「気になった?」


「うん」


 ナイトヴェイルさんは小さく微笑む。


「今みたいな、学院の外でのハルトくんの生活がどんな感じなのか知りたくて」


 そんなことを言われて、俺は思わず苦笑いするしかなかった。


 そして気が付けば、俺たちの会話は自然と続いていく。


 本のこと。


 魔法の授業のこと。


 学院での生活のこと。


 そしてもちろん――。


 予想以上に大量のニンニクが入っていたフラモラのことも。


 結局、Lサイズのフラモラはほとんど食べ尽くしてしまった。


 残ったのはほんのわずかだけだった。


 そして、不思議なことに――。


 最初は一人で本を読みながら過ごすはずだったその夜は。


 いつの間にか、この世界へ来てから最も楽しい夜の一つになっていた。


 それが、すべての始まりだった。


 毎週末だけ続く、少し不思議な習慣の始まり。


 一緒に食べて、飲んで、そしてカーペットの上でだらだら過ごすことをこよなく愛する――そんな関係の始まりだった。


 そして、気が付かないうちに――。


 エララ・ナイトヴェイルは、俺にとってこの異世界で初めてできた友達になっていた。


 アルカディア魔法学院での、そしてこの世界での――。


 かけがえのない最初の友達に。

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