第2話 彼女との出会いの始まり①
異世界で初めて友達ができるなんて、そんなことはまったく想像もしていなかった。
そして、その相手の名前はナイトヴェイルさんだった。
だが、それは他の物語でよくあるような劇的で美しい出会いから始まったわけではない。
むしろすべての始まりは、新しい教室で起きたごくありふれた出来事だった。
それは、アルカディア魔法学院の新入生歓迎式を終えた後、アルカナクラスのクラスメイトたちと初めて顔を合わせた時のことである。
「え、えっと……み、みな……みなさん!」
その声は、静まり返ったアルカナクラスの教室に響いた。
「先生、よりによってそんな大事な場面で噛むんですか?」
まだ名前も顔も知らない女子生徒がそう突っ込むと、それまで張り詰めていた教室の空気が一気に和らいだ。
「あはは……ごめんなさい。アルカナクラスの担任を受け持つのは初めてだから、ちょっと緊張しちゃって……。えほんっ。私の名前はエヴリン・アストリアです。今日から一年間、どうぞよろしくお願いします。……ふ、ふぅ。なんとか言えたぁ……」
「なんだかアルカナクラスの未来が心配になってきたよ~」
その一言をきっかけに、教室のあちこちから小さな笑い声が漏れた。
アルカナクラスに入ってから初めて、それまで硬く張り詰めていた空気が一変し、教室は明るく和やかな雰囲気に包まれる。
アストリア先生は、正直あまり頼りになりそうには見えなかった。
だが不思議と、将来多くの生徒たちに好かれるタイプにも思えた。
たとえ生徒たちにからかわれたり突っ込まれたりしても、きっと本人は気にすることなく、いつもの明るい笑顔を浮かべているのだろう。
もしかすると、生徒だった頃からそういう人だったのかもしれない。
アルカディア魔法学院で教鞭を執り始めてまだ二年目らしいが、そのどこかぎこちなく緊張しがちな話し方は、一般的な教師よりも親しみやすく、どこか愛嬌があった。
考えてみれば、アストリア先生は失敗をしても不思議と許されてしまうような人なのだろう。
本人が作り出す雰囲気そのものが、とても心地よいのだから。
もっとも、そんな人がアルカナクラスの担任であることが良い知らせなのかどうかは、また別の話ではあるが。
教室が少し落ち着き、簡単な自己紹介が終わると、アストリア先生は教壇の前で軽く手を叩いた。
そしてこの学院で学ぶ基礎知識――特にアルカナクラスの学習の土台となる魔法属性についての説明を始めた。
「さて、それじゃあ最初の授業を始めましょう。みなさんもすでに知っていると思いますが、この魔法学院はただの魔法学院ではありません」
アストリア先生がそう言った瞬間、その背後に薄い魔法スクリーンのようなものが現れた。
淡く光を放ちながら、見慣れない紋様や記号が次々と映し出され、教室の空中をゆっくりと回転し始める。
「この魔法世界では、誰もがそれぞれ固有の主属性を持っています」
すると、真っ赤に輝く炎の魔法紋様が空中に浮かび上がった。
「火」
続いて、風を思わせる紋様が柔らかく回転する。
「風」
さらに、大地のような重厚感を持つ紋様が現れた。
「土」
その次には、小さな放電を散らしながら稲妻の紋様が浮かび上がる。
「雷」
そして最後に、水滴が宙に浮かんでいるかのような、水の魔法紋様がゆっくりと揺らめいた。
「水」
空中に浮かぶ紋様を見ながら、生徒たちの視線は次第に真剣なものへと変わっていく。
「それ以外にも、一般的な属性に分類されるものの、持っている人が比較的少ない属性も存在します」
今度は氷の結晶を思わせる淡い青色の紋様が現れた。
「氷」
続いて、液体金属のような銀色の紋様。
「金属」
そして最後に、枝や葉が絡み合うような緑色の紋様が浮かび上がる。
「木属性。あるいは自然属性と呼ばれることもあります」
アストリア先生はそこで一度言葉を切った。
空中には数々の属性紋様が静かに浮かび続けている。
「そしてもちろん――さらに希少な魔法属性も存在します」
その言葉とともに、空中に浮かんでいた紋様たちはゆっくりと光を失い始めた。
「……例えば、光や闇ですね」
その言葉とともに現れた魔法紋様は、ゆっくりと教室の空中を漂う。
まるで別世界に迷い込んでしまったかのような、不思議な光景だった。
アストリア先生の説明はかなり長く続いたが、不思議と退屈には感じなかった。
むしろ話を聞けば聞くほど、今自分が生きている世界が、かつて知っていた日本とはまったく異なる場所なのだと実感していく。
魔法は、昔読んでいた漫画や物語の中だけに存在する空想の力ではない。
それは現実に存在し、この世界の基盤そのものを支えている力だった。
気づけば俺は、先ほどまでよりもずっと真剣に話へ耳を傾けていた。
「魔法を自在に扱うためには、まず自分の属性共鳴を理解する必要があります」
アストリア先生はそう続けた。
「それによって、それぞれが最も適性を持つ魔法の方向性が決まるのです」
――属性共鳴。
聞き慣れない言葉だった。
だが、なぜだろう。
その響きには少しだけ興味を惹かれた。
人には本当にそれぞれ異なる“魔法の色”があるのだろうか。
それとも、より高度な授業へ進む前の基礎理論に過ぎないのだろうか。
キーンコーン――
その時、学院中に鐘の音が響いた。
アストリア先生の説明を途中で遮るように、休み時間を告げるベルが鳴ったのだ。
「あら、もう休み時間ですね」
「それでは続きはまた後ほどにしましょう」
先ほどまで静かだった教室は、一瞬にして賑やかになる。
立ち上がる生徒。
友人たちと食堂へ向かう生徒。
その場に残り、授業内容について語り合う生徒たち。
それぞれが思い思いに休み時間を過ごし始めていた。
だが――俺はその輪の中に加わらなかった。
なぜか頭の中には、先ほどアストリア先生が口にした「属性共鳴」という言葉が残り続けていたからだ。
この世界の魔法について、もっと知りたい。
そんな思いが胸の中で少しずつ大きくなっていく。
だから俺は、次第に騒がしくなっていく教室を後にし、もっと静かな場所を探すことにした。
深く考えることもなく、自然と足は学院の図書館へ向かっていた。
アルカディア魔法学院の図書館は、想像していた以上に広大だった。
高くそびえる本棚は天井に届きそうなほどで、その間には数え切れないほどの本が整然と並べられている。
初心者向けの薄い入門書から、何十年、あるいは何百年もの歴史を感じさせる古い魔導書まで――。
そこには膨大な知識が眠っていた。
中には普通に読めるタイトルもあった。
『マナ循環の基礎』
『初級属性共鳴理論』
『第一次魔法戦争史』
だが、その一方で、まったく見覚えのない文字や言語で書かれた本も少なくなかった。
おそらく、この世界でかつて使われていた古代言語なのだろう。
本棚に並ぶ一冊一冊の題名は、まるで未知の知識へと続く扉のように見えた。
この異世界には、この世界だけの歴史があり、文化があり、独自の仕組みが存在している。
そう考えるだけで、胸の奥に湧き上がる好奇心はますます大きくなっていく。
いくつかの本棚を見て回った後、俺の手は一冊の本の前で止まった。
なぜか、その本が気になったのだ。
深く考えることもなく、本棚から引き抜く。
『属性共鳴基礎理論』
ちょうど先ほどアストリア先生が授業で説明していた内容と関係がありそうだった。
俺はそのまま本を開き、最初のページへ目を通す。
どうやらこの本には、人の体内に存在するマナが生まれながらに特定の属性と共鳴していること、そしてその共鳴が将来の魔法の成長や適性に大きな影響を与えることが書かれていた。
気が付けば、俺はすっかり本の内容に引き込まれていた。
だが――。
それから数分も経たないうちに。
「休み時間なのに、ここに他の人がいるなんて思わなかった」
突然、すぐ後ろから少女の声が聞こえた。
しかも耳元に近い距離だったため、俺は思わず振り返る。
そこには、一人の少女が立っていた。
高く並ぶ本棚の間に静かに佇むその姿は、どこか幻想的ですらある。
肩を越えるほどの白銀の髪。
少し無造作に整えられたウルフカットは、ところどころ髪先が自由に跳ねていた。
身だしなみに無頓着なのか、それともそれが彼女らしさなのか。
どちらなのかは分からない。
ただ、その姿は妙に自然で、よく似合っていた。
まるで屋外よりも、こうした場所で過ごす時間のほうが長い人間であるかのように。
そして、鮮やかな青い瞳。
その色は、夏の澄み渡った青空を思わせた。
細いフレームの眼鏡の奥から覗く眼差しは驚くほど落ち着いている。
いや、落ち着きすぎていると言ったほうが正しいかもしれない。
今日が学院への入学初日であることは、俺も彼女も同じはずだ。
それなのに、目の前の少女からは緊張や戸惑いのようなものがまったく感じられない。
何かが違う。
他の生徒たちとはどこか決定的に。
それは見た目だけの話ではなかった。
彼女を包む雰囲気そのものが違うのだ。
まるで、外の賑やかな世界とは別の場所に生きているかのような――そんな空気をまとっていた。
他の生徒たちが休み時間を使って雑談したり、互いに自己紹介をしたりしている中で。
この少女は、一人きりで静かな本棚の間に立っている。
そして不思議なことに、その光景は驚くほど彼女によく似合っていた。
「あ、あの……お邪魔だったかな?」
「別に」
そして、その視線は俺が読んでいた本へと向けられる。
『属性共鳴基礎理論』
「属性共鳴基礎理論?」
彼女の声は静かで柔らかかった。
まるで今の図書館のような静寂そのものを形にしたような声だ。
外の賑やかな空気よりも、この場所のほうがずっと似合っているように思えた。
「……う、うん」
「アストリア先生、この辺りの説明をいつも少し急ぎ気味にするから」
そう言った後、再び沈黙が訪れる。
けれど、不思議と気まずさはなかった。
むしろ心地よい。
俺も彼女も、外の喧騒の中にいるより、この図書館で静かに過ごしているほうが性に合っているのかもしれない。
しばらくして、少女はふと口を開いた。
「私はエララ・ナイトヴェイル」
そして、わずかに首を傾げながら続ける。
「君はハルトくん、だよね?」
「えっ、あ……う、うん」
「今朝から何度か見かけたから。一人でいるところ」
そう言って、彼女は小さく微笑んだ。
その笑顔のせいで、続きを読もうとしていた俺はなかなか本へ意識を戻せなくなる。
最初は図書館の司書か何かだと思った。
けれど違った。
彼女はただのクラスメイトだった。
今日同じアルカナクラスになったばかりで、ほとんど話したこともない少女。
俺のクラスメイト。
エララ・ナイトヴェイル。
その時の俺は、まだ知らなかった。
休み時間の図書館で交わした、この何気ない出会いが――。
この先に起こる数多くの出来事の始まりになることを。
そして気づかないうちに。
あの日は、彼女との友情が始まった日になっていた。




