表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルツ、仙人、そして  作者: 夏瀬音 流
41/50

第3部.次世代へ 3-40.定年退職

 淳一は将来を担ってくれる研究者たちの参考になるような調査の対象を何にするかいろいろ考えた末、世界の有力な製薬会社の直近の研究開発動向を特許申請書から分析してみることにした。最後の職場として異動した研究本部付という身分は、調査に必要な各種の文献や資料を見るには絶好の組織であった。さらに、もう研究成果を厳しく問われることもなかったので、調査に没頭できる時間も有り余る程あった。普通に表現すれば、いわゆる『窓際族』であったが、淳一には本当に有り難く思われた。こういう感じ方ができるようになったのもきっと岩茸石仙人のお蔭であろうと改めて感謝した。


 新薬開発を主体とする製薬会社にとって、世界で使用される新規薬物を開発できれば、相当長期間に渡って会社の経営は安定し、新たな新薬開発に向けての研究開発費をふんだんに使うことができる。一定期間に一つずつ大型新薬を市場に投入できれば、超優良企業として製薬業界に君臨できると考えられていた。逆に言えば、大型新薬の開発に失敗し続けると、その会社の未来はないとも言えた。海外の製薬会社の模倣品を日本国内で発売しても何とか会社を存続できた時期も昔は確かに存在した。しかし、そんな時代はとっくに終わり、世界で通用する新たな概念の新薬を創り出さないと新薬開発型製薬会社として成り立っていかない時代になっていた。

 世界の大手と言われていた会社は、保有している潤沢な資金を投入して、比較的小さな会社がものの見事に開発した全く新たな概念の薬を自分の会社のものとすべく、会社ごと買収してしまうこともやり始めていた。アメリカをはじめ、先進各国は、薬の効果と安全性の確認を非常に厳しく問うようになったため、申請する前の段階で製薬会社が行なわなければならない研究開発事項はこれまで以上に増えてきていた。

 このような厳しい状況は、直ぐに新薬の開発確率の低下に繋がった。この頃、世界で薬を販売するために必須となっていたのは、アメリカFDIからの許可取得であったが、新たな概念の新規医薬品は年間20製品前後しか許可されない状況にまで減少していた。世界には何百もの新薬開発会社があるにも拘わらず、である。


 3カ月ほど根を詰めて調査を続けていくと、いくつかの会社の戦略が見えてきた。ある会社は数種の異なった疾病に有効な新たな薬を開発してきたが、その本体となっている化合物の基本骨格はある特定の構造を用いていたことが分かった。つまり、自分たちの会社の得意骨格をベースに用い、その骨格にいろいろな置換基と呼ばれる特徴付けを行なうことによって数種の異なる薬効を持つ薬物に仕上げていたのであった。

 また、別の会社は、開発すべき薬効を細かく分類して望ましいものに絞り、そこで有用な活性を示す化合物を徹底的にスクリーニングすることに注力していた。スクリーニングとは、例えて言えば、いろいろな編み目を持つザルで、大きさの異なる非常に沢山の粒子の中からある特徴を持つ大きさの粒子を選び出すようなことを意味し、薬物候補化合物を作り出すために参考とすべき構造を持つ化合物を探し出す研究方法の1つである。

 淳一は退職する少し前に自分の調査結果を研究所の若手研究者に発表する機会を得ることができた。化学の研究者が集う会で話をさせてもらったのであったが、薬理、安全性、代謝、物性関係の研究者まで出席してくれて、会場は立ち見の人が出たほど盛況となった。淳一は、次世代を担ってくれる若手研究者に、調査結果ばかりでなく研究者としての自分の思いのたけを一所懸命に伝えた。


 発表の場が盛会裏に終わったことに久しぶりに充実感を味わった淳一には、もう会社に思い残すことはなかった。最後に行なうべきことは、淳一と関わりを持ってくれた多くの人たちの一人ひとりに感謝の気持ちをメールによって表すことだと思っていた。研究所にいた人たちは勿論のこと、本社や工場や営業所にいる人にまで、それぞれの人と淳一との関係を思い浮かべながら異なる文章を作成し、パソコンのメモリーに蓄えていった。

 退職の1週間前からメールの発信を開始し、最後に社長宛に送信して、淳一のこの会社での全ての仕事を終了させた。


 淳一は2007年9月末日に会社を定年退職した。同期入社の中には定年延長制度を利用して会社に残る人たちもいたが、淳一には会社はもう十分堪能したという気持ちがあり、迷うことなく従来の退職規定に従うことにした。中には別の会社や知人から声が掛かり、新たな職を得る人もいたが、淳一にはそういう人たちのことは全く気にならなかった。誰にも遠慮や説明や言い訳もしないで、ゆっくりと自分の時間が持てる状況がようやく手に入に入ることが何より嬉しかった。

 淳一たちの世代は、一般的に言えば、企業戦士として24時間働いてきたと自慢する輩も結構な数がいるほど、働くことから自分自身を切り離せないでいる人たちが多いように淳一は感じていた。淳一は『そんな人生はもう御免だ』と思っていた。この地球という惑星の上で生きてきた一人の人間として、後に続く人たちにほんの僅かでも何か役に立つようなことをしてから終焉を迎えたいと心底思っていた。


 退職したら、直ぐに自由な時間をたっぷりと使えるものと思い込んでいた淳一は、退職前後に余りにも沢山の手続きをこなしていかなければならないという現実に直面することになった。それと同時に、それまで当たり前のこととして特に気にも留めていなかったことが、自分一人になると一つひとつ自分自身で対応していかなければならず、これまでの自分は会社にいろいろとやってもらえるという非常に恵まれた環境で生活していた、ということを改めて認識させられることになった。

 先ず、健康保険の対応を行なった。勤務していた会社の健康保険を2年間は任意継続できるとのことで、退職前に申請書を提出し、退職後直ぐから使える状態にした。ただ、納付する金額を見て淳一は相当驚いた。思っていた金額の倍ほどを納付することになっていたのである。確認してみると、現役の時は会社が相当な額を負担してくれていたのであった。年金に頼って老後を過ごそうと決心したばかりの身にとっては大きな出費と思われるとともに、会社の有難みを今更ながら感じざるを得なかった。2年後には任意継続ができなくなるので、更に国民健康保険に加入する手続きが必要であった。

 この他にも、失業保険の申請を行ない、再就職活動のためにハローワークに行き、求職活動を実施することが要求された。こういうことを実施することにより数回は失業保険を受領することができたが、淳一には再就職する気持ちは全く湧いてこなかったので、職探しは打ち切り、完全に年金だけで暮らしていくことにした。

 納税についても、現役時代は年末調整の書類に記入して会社に提出しさえすれば、後は会社で引き受けてくれていたし、いわゆる天引きで所得税と地方税も納入してきた淳一にとって、年明け後に行なわなければならない確定申告は、かなり負担に感じられた。手続きの仕方や用いられている用語とその意味についてあまりにも無知であった自分を思い知らされることになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ