7時間目 ✳︎R15
性描写を匂わせる文書有り。注意。
『廊下』
先ほど占術学の授業を受けていたのだが、占術学の才能がめっきりない加奈には見えない何かを見たのか教師が加奈の肩にぽん、と手を置いたのだ。
そのときは気にしなくてもいいというエールだと受け取ったけれど、思い返してみるとあの皺の寄った手はまるで慰めるように置かれた気がして加奈はぶるりと体を震わせた。
「(なんも起きなきゃいいけど…)」
何が見えたか先生に聞いておけば良かったなあと軽い後悔を胸に抱きつつ地下の講義室から三階へと階段をのろのろ上っていたとき、横を数人の女子学生が軽やかに追い越して行った。
見知った顔だ。たしか魔法器具学を受けていた子たちだったと思う。時折近くで魔法器具の組み立て作業をしているのを見かけたし。
くるぶしまでのロングスカートをよくもあそこまで上品に捌いて上れることだと感心していていたのだが。
「さっき二年生の先輩に聞いたのだけど本日の魔法器具学を雉羽さまが手伝っていらっしゃるんですって」
「みたいね。もう楽しみで気持ちが抑えきれないわ」
「お二人とも早くはやく!」
ずるっとその瞬間、足元が滑った。
(あっぶねえー!)
どっくんどっくんと脈打つ心臓を宥めつつ、咄嗟に手すりを掴んだ手をそろりと離した。見事にスカートの裾をふんずけて転びかけたのだ。
(雉羽が魔法器具学を手伝う?)
加奈はさっと顔色を変えて登っていた階段をすぐさま降り二限目の魔法器具学の欠席への道を選んだ。
授業の出席点に響くことが多少なりとも気にはなったが、ネストの雉羽を視界にいれることに比べたら小さいことだった。
三年生、雉羽 誠。
爽やかな見目と先生たちの覚えが大変よろしい優等生で、鷲野と同じ三年生。もちろん彼同様ネストの一員で将来の焼き鳥候補だ。
穏和な言動が目立っているが実は雉羽の行動によって巧妙に結構な人数が蹴落されているのにループすることで加奈は気がついていた。
策略家タイプのそれに目をつけられたらとんでもない死亡フラグへの道を辿ってしまう。それに加奈にとって鷲野と雉羽のペアには急性魔力中毒で殺された苦い記憶が未だ心の中に残っていた。
トラウマの塊に近寄りたくない。加奈はそのまま食堂へと行く先の方向を転換した。
『図書棟』
食堂で早めの昼食を終えた加奈は図書棟にいた。扉を潜った瞬間から感じ取れる溢れんばかりの本の圧迫感に、ふっと浅く息を吸って三階へと向かった。
探すのは前回赤松が借りて行っただろう『魔素粒子の結合化に関する精神汚染について』だ。
もう二週間も経つし返却されてるだろうと淡い期待を抱きつつ目当ての本棚に向かうと確かにその本はあった。
「…よかった」
これで少しは魔素粒子の世界に耐性がつくかも。さっそくその本を手にとって三階から最上階の四階へと階段を上ると吹き抜けの天井絵が近付いてよく見える。
所狭しと並ぶ本棚の隙間を縫って加奈は奥の隅へと足を運んだ。
図書棟は直射日光による本の劣化を防ぐために窓の設置を極力控え、魔法器具による照明、換気が行われてているのだが、その少ない窓でさえ本棚に覆われるという状況の中、加奈は三度目の死の後に小さなバルコニーを見つけたのである。
本棚の壁に巧妙に隠されていた窓に近づき何気無く外へ視線を滑らせたとき偶然発見したそこは、内から見つけるには難しく、また外からも深い森に遮られて見つかることはない秘密の隠れ家だった。
「ほんと、この制服動きにくいな」
女よ淑女たれってか!
制服への批判もそこそこに窓を静かに開け放った加奈はロングスカートをたくし上げるとひょいっと窓枠を飛び越えた。
白鳥学園のお嬢様がたは「なんてはしたない!」と目くじらを立てるだろうがこんなの庶民出の加奈にとっちゃあ朝飯前だ。
窓から一メートル程下にあるバルコニーに無事着地するとそのまま地べたに座り込み、さっそく本の表紙を開いた。
木々を縫って降り注ぐ木漏れ日が本の上でゆらゆらと踊る。葉っぱたちの優し気なざわめきの音に加奈は酷く穏やかな気持ちで本の世界に入り込んだ。
どれほど時間が過ぎた時だったろう。手元が急に翳って見えた。まさか太陽が傾くほどの時間を読書に費やしたかと思ってひやりとした。
講義の鐘音にも気づかなかった訳ではあるまいと左手首につけていた時計を確認したが、時刻はまだ昼時を指していた。
それなら、なぜ急に翳ったのだろうと顔を上げて周りを見渡すとどうやら太陽のある方向の遥か上空に黒い靄のような薄い雲がかかっているようだった。
膝の上で開いていた本を閉じて立ち上がる。
「うわー、通り雨かな。中に戻っておいた方がいっか」
鼻は雨の匂いを嗅ぎつけてはいなかったけれど大事を取って加奈はいそいそと窓枠に手をかけた。あとは、よじ登るだけだ。そうしてバルコニーから図書棟へ戻ろうとした時、耳に女の声が届いた。
「んんっ、ぁ、」
乗り越えようとした態勢のまま固まってしまったが直様バルコニーに退避する。
漏れる声を押し殺そうとしても、どうしても出てしまう。そんな女の甘さを多大に含んだ切なげな声が意味のない羅列を喘いでいたのだ。加奈は思い当たる節があり、ひくりと頬をひきつらせた。
加奈はれっきとした高等部一年生であるがループした分を足してしまえば18にも届きかねない精神年齢だ。無駄に読み散らかした本の知識からも何をしてるか容易に検討なんてついてしまう。
図書棟で、にゃんにゃんしようとするとか頭トチ狂ってんじゃねえか爆発しろ。雨雲がきてんだよ!早くそこをどいてくれ。
濡れるかもしれないという危急な事態にぎりぎりと歯を食いしばって終われ終われと呪詛を念じていたくせ、あまりにあられもない女の喘ぎ声に耳を塞いでしまおうとした。
「…ゃ、あん、雉羽さまっ」
耳の機能がぶっ壊れたんじゃないかと本気で疑った。
「貴女が嫉妬してしまうと言ったから一年の魔法器具学の手伝いを辞退したんだ。君の我儘で僕が先生の期待を裏切ることになったのは、理解してるよね?」
まさしくそれは雉羽の声だった。女の熱さの篭った声とは裏腹に酷く冷たい声。加奈は自分が向けられた訳ではないのに思わず背筋が凍った。
「返事はどうしたんだい、喘ぐだけの口なんて僕は必要ないよ」
「あぁあっ、ごめんなさいっ、んん、雉羽さまぁっ」
「こんなに濡れて…。僕のコレクションの中でも君は本当にだらしないな」
そういって、酷くリアルな水音と肉体同士がぶつかる音が激しくなったかと思ったら、それはいくらかしてから止んだ。
どうやら終わったらしい。
さっさと身を翻したらしい雉羽を慌てて追いかける女の足音がようやく遠ざかった所で加奈は、ぷはあっと息を吐き出した。頬が熱をもったようにあつい。
なんちゃってハプニング出歯亀になっちゃったけど、なにあれドン引きなんだけど。図書棟で普通するかあ!?
ぱたぱたと、手扇で頬を冷ますと意を決して窓枠を乗り越え中に入る。
ちらっと見下ろした絨毯は汚れてなくどうやら魔法で痕跡を綺麗に消してはいたらしいが、どうにも淫蕩な空気がそこに未だ残っているような気がして纏わり付く空気を払うようにそそくさと一階へと降りた。




