15時間目
「絶対焼き鳥にしたる…!」
本気と書いてマジの殺気がこもったそれに、若干いたたまれなくなった加奈は取り敢えず巻き込んだ形となってしまった室長にぺこりと頭を下げて心の底から謝罪した。だが悪いのは長元坊を筆頭とする焼き鳥どものせいだということをお忘れなく!!
「…あの迷惑かけてごめんなさい」
「あんなァ平井、後輩ってのはたっぷり先輩に迷惑かけさせとけばええねんて。せやから謝らんといてな」
寮の談話室、気まずげに下げた頭にぽん、と優しく乗せられた手が加奈の髪をゆっくり撫でて。降り注ぐ声に批判の色も後悔の色も滲んでなくて本心でそう言っているのだと気付いた途端に加奈は泣きそうになった。こういうふいにくる優しさに滲んでしまう。
「それに、平井は大事な後輩やで?迷惑なんて思っとらん。…ほら、ええ子やから早よ休み」
「私も、室長の後輩で良かったです。特待生には甘々ですもん」
「余計なこと言うとると飴だけやのうて鞭使うで?」
鷲野と同じ言葉なのにどうしてこうも違って聞こえるんだろうと制服の裾で浮かんだ涙を隠れて拭って加奈は笑うと、呆れたような視線に笑みを深めた。長元坊や鷲野、雉羽。過去の記憶たちと凄まじい嘔吐と忙しない怒涛の午後だったが、自分に間違いなく向けられる室長の優しい気持ちに全てが吹っ飛んでしまったようだ。
折にふれて記憶にない新しい世界に触れることで挫けそうになる自分を奮い立たせることができて。
まだメビウスの輪から抜けられないけれど、ループが終わったとき。そんな近くて遠い不確定な未来を想像して。きっと自分は白鳥学園に入れたことを誇りに思うだろう。そんな予感がして、もう一度加奈は笑った。
「お、室長じゃんっ!なにお前実家通いやめて寮生活にしたのか?」
「あほぬかせ。そないなことできたら早うしとるわ」
「冗談だっつうのー」
「ちっとも、おもろないわ」
室長に背を向け、自室へと帰ろうと身を翻したとき見知らぬ声が室長を呼んだのが聞こえて加奈は顔だけ興味本位に従いそちらへ向けた。ぽんぽんと軽口の応酬を始めた二人に加奈はこの場を辞すタイミングを見失い、踵を戻して室長の友人らしき学生をこっそりと伺った。
白鳥学園は家柄が良いものばかり集まるせいか美男子や美女などが往々に集まるという副作用を生んでいたが、いま加奈が見上げている彼は垢抜けた感じのイケメンだった。市井だったら持て囃されるに違いないが、日本美人の千歳をほぼ毎日見ているせいで美的感覚レベルが上がってしまって加奈にとってはそこそのの平凡顔だった。
しかし独特の明るさが滲み出ていてとっつきやすそうな人だなあと不躾にならない程度の視線で留めていると、その人のきょとんとした眼と視線が交錯して加奈はぺこりと軽く頭を下げた。
「えっと…、室長の……友達?」
「友達っちゅうか特待生の後輩や。それよか平井、自分早う部屋戻り」
「えーえー、なあなあ俺にも紹介しろよー」
「はあ?」
談話室の扉をくぐって近寄るその人を室長はまとわりつく犬を追い払うようにしっしと手を払っているのにも関わらずニコニコと人懐っく加奈に笑いかけてきたため、戸惑いながらもへらりと笑って返しておいた。
室長とこんなにもフレンドリーにやりとりをしている上に、この人の記憶は加奈の中にはなかった。間違いなく関係を持つきっかけがなかった先輩なのだろうと加奈はまた一つ新しい世界を見つけた気がして鷲野と雉羽との悪夢の遭遇も、悪夢から良夢になった気さえした。ふう、と一つ室長が短いため息をついて肩をすくめた。その揺れた肩に諦念の色が見えた。
「紹介したるけど、また今度にしいや。今日このこ体調悪いねん」
「あ、そうなのか?なら早く休ませないとな」
心配そうな瞳で見てくるふた組の視線を受けた加奈は、まるで自分が小さな子供のように思えてほんのりと気恥ずかしさに襲われた。こう、いっぱいいっぱいに心配されるとされ慣れていない分、どう反応したら良いのか分からなくなってしまう。
そんなこそばゆさを紛らわすために肩を滑り落ちた髪を耳にかけてそっと俯くと、肩を優しく掴まれてくるりと反転させられた。その先は女子寮へと続く廊下だ。
「そないなわけで、あとで寮母さんに言うとくさかい取り敢えず横になり」
「そーそー、俺も寮生活してるしなんかあったら言ってくれりゃあ良いし」
吐いたあととは言え、未だに頭痛が残っていて正直辛かった加奈はその言葉に甘えて一度振り返り頭を下げるとそのまま自室へと一歩ずつ踏み出した。歯を磨いて、顔洗ってまだ陽は沈んでいないけど寝てしまおうと算段をぼんやりする頭で考えていたその時、扉の角を曲がろうとした加奈に一際大きな声な、室長の友人らしき人の声が耳に届いた。
「あっ、俺、山崎勇っていうんだ!よろしくな平井ちゃん!」
ーやまざき いさむ
ひとつの命が、ひどく現実味を持ったことを自覚した。足が凍ったように止まる。ぶわりと忘れかけていた嫌な汗が流れて這い上がってきた。胃の中を気味が悪い虫が這いずり回っているかのような気持ち悪さに口元を覆うことで堪えようとした。凍ったのは足だけではなく、まるで流れる血さえ冷却されてしまったような、そんな不気味な感覚だった。
今の加奈を室長が見ていたら問答無用で医務室送りにしただろうと思うくらい、顔は驚愕と青さに染まっていたが声が届いた時には角を曲がっていて。
壁に阻まれて様子に気がつくことは困難の域に達していたし、加奈もこういう所を見られたくないくだらない矜恃からか、ぐっと唇を噛み締めて漏れそうになった悲鳴を押さえつけていた。新しい世界に触れた、と思っていた。記憶の中にない人だと思った。それなのに本当はあったのだ。記憶の中にそれはちゃんと、残っていたのだ。知っていた、加奈は知っていた。
『一年生、村中麻央。二年生、内田優。二年生高橋恵子。三年生、山崎勇。以上4名の死亡を確認』
『賢者の石』の為に引き起こされた『失踪事件』で何も殺されたのは加奈だけではなくて。二度目の「生」で。魔法で厳重に保管されていた資料の中に其の名はあった。溜め込んでいた魔素粒子を一気に放出させて打ち破った加奈が紙の上で見たその名前たちは。同じ死に役の。加奈が捨てた命たちで。
地に張り付いていた足を必死に動かして全て振り払うように自分の部屋へと飛び込み机の中に魔法で隠していた日記がきちんとあることを確認して加奈はそのままへなへなと座り込んだ。
足が震えている上、日記を持つ手まで震えている。だが、この手の中の日記は、幻覚でもなくきちんと無機物としてあって。
あの先生の手に渡ることはない。現実を確認して。ほっと安堵の息をつくくせ、なぜか涙が止まらなかった。頬を滑る熱い滴にこのまま声をあげて泣き喚きたくすら感じて。
壁にかけていたカレンダー、『4月20日』にバツを一つ書き入れて。『彼女』の転校や『失踪事件』。加奈の大嫌いな五月がもうすぐそこで。
罪悪感や恐怖、安心感や希望がない交ぜになって加奈は今度こそ大声をあげて泣いた。見殺しにしてごめんなさい。あのとき言えなかった言葉をただただ叫んだ。




