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14時間目

『中庭』



吐き終わってちょっと落ち着くと加奈は現状に白目を剥きそうになった。口の中は未だに吐瀉物の滓に塗れているし何しろ鼻水と涙が混ざった酷い顔をニコニコして見ているだろう鷲野の存在が恐ろしい。


ぶっちゃけ誰か私の意識をぶっ飛ばしてくれないだろうかとまで思ってしまう。



乙女ゲームの主人公だったらこんなとき鼻水なんて垂れてないし、それはもう可憐に意識を飛ばしてアレ気付いたらお姫様抱っこされて部屋に運ばれてたぞ!みたいな展開だろうがこの世界は乙女ゲーぽくても死に役の私が中心になる訳がない。くそが。


そもそもこんなところで鉢合わせするのが可笑しいんだ。焼き鳥のくせに何で中庭いんの、プライベートサロンから出てくるなよ。ハウス!



ぎりぎりと歯を食いしばりたい所だったが背中から手を離した雉羽にぴくりと肩が跳ねる。

逃げるが勝ちだ。颯爽と逃げよう。こんなとこで目をつけられるなんてご都合主義はないだろうと自分を信じ込ませる。



「……いや、あの、ほんとお見苦しいところをお見せして、すみません」


「こちらこそ鷲野が喉に指入れてごめんね。びっくりしたよね」


「あ、えと、いえ」


眉尻を下げ申し訳なさそうな表情を浮かべる雉羽に加奈は若干口篭りながら否定した。


ここで、「前もってあの暴君を調教しとけぼけえ!」なんて言える筈がないし、いつか噂で聞いた『彼女』のように鷲野相手に説教を垂れることもできない。



「あの、先輩。私…気分がまだ良い今のうちに寮に、戻ります」


「急に立つと危ないよ。さあ、僕の手を取って?」


さっさと歩くフラグから離れようと立ち上がると優等生モードの雉羽がスマートに加奈の手を取り支えて一緒に立ち上がる。


庶民の暮らしでは味わえない上品なエスコート加減とキザったらしい台詞に加奈は吐気ではなく違う意味で慄いてしまった。



(うわーうわー、顔が良いから様になってんだろうけど、うわー)


改めてまじかで観察すると本当に雉羽という男は、爽やかさが滲み出ている美男子だった。柔らかそうな髪に澄んだ瞳。温和な眦に、理知的な佇まい。



白鳥学園の王子様と呼ばれてるだけのことはあると妙に納得してしまう。


だか正直、加奈はこの王子様のような雉羽よりも図書棟でほにゃららしたり他人を調教しているイメージが強すぎて端的に言うと、(なに猫被ってんのキモいんだけど!)とドン引きしてしまったのだ。



「本当に大丈夫なのか?」


「っ嘘じゃない、です…!」


全て吐き出してスッキリするといつの間にかあんなにも煩かった耳鳴りも消えて加奈は覗き込んできた鷲野から慌てて離れてそう告げた。嘘じゃない、本心だ。



(というか寧ろあんた達から離れたいんだよ!)



「まだ少し顔色が良くないけど…一人で帰れる?」


「大丈夫です。…お心遣いに感謝します」


ちらりと向いて告げると少し押し黙り彼の視線が加奈から鷲野へと向けられた。どうやら鷲野の判断に任せるようだ。腕を組んでこちらを見下ろす鷲野はおもむろに口を開いた。



「んー、嘘はついてないようだからなあ」


覗き込むのをやめて加奈の頭の渦巻きをじいと見下ろす視線が痛い。もう鷲野に嘘はつかまいと深く心に刻んでいた加奈は考え込む鷲野から逃避するかのように俯いた先にある自分の吐瀉物に顔を歪めた。


昼ごはんが見事におじゃんだ。体内に吸収される前に高級食材が自然に還ってしまったと若干悔しい思いに駆られる。


というか横に雉羽、ゲロを挟んだ向いに鷲野というこの微妙な立ち位置はなんだろうと黙って鷲野の判断を待っていると、ふいに彼が大きな声をあげて思わず加奈は驚いて身体が跳ねた。



「耕太(こうた)!」


いったい誰の名前だろうと一瞬身構えるが加奈は振り返った先にいたその人に安堵の息を漏らした。優しい加奈の先輩だ。



「人の名前気安く呼ばんといてや鷲野。一体こないなとこで何してんねん…ってそこにおんの平井か!?」


そこまで言うと先輩、室長耕太(むろながこうた)はどうやらそこに居たのが私だと気付いたらしい。


「しつちょー」と小さく呟いた加奈の元へと早歩きで駆け寄ると横にいた雉羽を突き飛ばしてそのまま自分の背中に匿ってくれた。



幾分か細身の背中であったが加奈は視界に鷲野と雉羽が消えたことに安堵し、室長への尊敬の念を深めた。どうやら困り果てていたのが声に出てるのに気付いたらしい。


流石特待室の室長室長(しつちょうむろなが)である。特待生の味方だ。


いやに逞しく見えた背中にこつんとおでこをくっつけると一度室長が振り返ろうとしたのが振動で伝わった。けれどそれは振り返ることなくまた前を見据えることにしたらしい。低く、身体が唸る。



「……お前ら、うちの後輩に何してくれとんねん」


「体調が悪いみたいでな!吐かせてやっていたんだ!」


「頓珍漢なこと言わんといてな。鷲野と話してても埒が明かん。一体どういうこっちゃ雉羽」


声で分かる。室長はどうやら酷くご立腹らしい。噛み付くように、とまではいかないが厳しく雉羽に問い詰める声がどこまでも不機嫌だ。


鷲野に見つかる前に吐きながらでも走って寮に帰ればよかったと今更加奈はじくじくする胃を気にかけながら後悔していたが、もう出来ることは介入せずに黙って事が過ぎるのを待つだけだと分かっていたため、そのまま背に隠れてじっとしていた。



「僕の駄犬が粗相をして悪いね室長。でも、突き飛ばすことないんじゃないか?」


「誠!わたしは駄犬じゃなくて鷲野一だぞ!」


「うっさいわ鷲野は黙っとれ。で?さっさと説明しいや雉羽。謝罪はその後や」


「謝罪する気もないくせに何を言ってるんだか…。まあ、強いて言えば体調が悪そうなその子を見つけて、大丈夫って突っぱねられたんだけど吐いた方がスッキリするからっていう鷲野の一方的なお節介で無理矢理に吐かされたってとこ」



雉羽のあっさりとした返答に、室長は眉尻に皺を刻んで雉羽にじゃれつく鷲野を睨みつけた。話を聞く限りどう考えても鷲野に非があることが明白だからだ。


心底常日頃から思っていたことを吐き捨てるが対する鷲野はきょとんと眼を瞬かせて、子どものように首を傾げた。


まるっきり反省してないどころか、自分の行動が悪いことだとは思っていないらしい。鷲野のことだから、親切をしてやったとしか思っていないのだろう。


小さな親切、大きなお世話という言葉を知ってるんかいこいつ。と心の中で罵る一方、加奈の体調の悪さが気にかかった。


加奈は相変わらずじっとして背中に隠れている。



「ええ加減にしろよほんま。自分のいらんお節介でどんだけの人間が迷惑被っとると思ってんねん。空気読めや鳥頭」


「んん?耕太が何を言ってるのか良くわからんが、空気は読むものじゃなくて吸うものだぞ!なあ誠」


「じゃかしいわボケェ!」


一際響く罵声に大きく室長の背中が揺れたかと思うと、服に触れていた額が離れてしまった。しかし、それは彼らとの会話が不毛だと判断した室長が体ごと振り返ったせいだった。


ちらりと様子を伺うと室長の掌がおでこに添えられてその冷んやりとした温度が気持ちよくて加奈はほうっと息を漏らした。



……この手は怖くない。


室長が吊り上げていた眦を下げた。



「…顔色が悪いな…はよ寮に戻ろか。一緒に付き合ってあげるさかいもう少し辛抱してな」


先程の不機嫌そうな声と打って変わった優しい宥めるかのような声に加奈はこくりと小さく頷いた。


さすがネストに厳しく特待生に甘くを直で行ってることなだけある。ごろごろと喉を鳴らす子猫のように頭を撫でてくる手にうっとりと目を細めた。



「吐いたのも気にせんでええからな。魔法で綺麗にしたさかい。…吐いたらすっきりしたか?」


「はい。まだ頭痛はありますけど、だいぶ楽になりました」


そうか。そう言ってふわりと笑ってくれた室長に、どこまでも着いて行きます室長ォ!と元気だったら口走っていたに違いない。


気にかかってた吐瀉物まで綺麗にしてくれる紳士さにうっかりときめいかけた。危ない危ない。



室長と宏子先輩がくっつくの期待してますからね!と若干うるうるしていると室長は加奈の背にそっと手を置いて寮へと続く道を歩もうと促した。


しかし、一歩進むとふいに足を止めて最早加奈の中で強制デリートされていたネストの二人を振り返った。もちろん加奈は振り返りたくなかったから体調の悪い振りをして振り返らないが。



「……うちの子ォが世話になったな」


「当たり前のことをしたまでだぞ。わたしがこの学園にいる以上、その子もわたしの大事な後輩だ!」


「この借りをいつ返してくれるか楽しみにしてるからね室長」


ボソッと告げた室長にニッカリと笑い飛ばした鷲野とその横でにっこりと微笑む雉羽の二人に室長は一つ小さく舌打ちしてから寮に行く道すがら一言、いった。



「絶対焼き鳥にしたる…!」

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