9時間目
『寮ー自室』
四月二日
とうとうこの日がやってきた。いつもと変わらずベッドの中で目を覚ました加奈は顔を洗って制服に腕を通した。
顔を洗って、歯を磨いて、窓を開く。そんな何気ない一つひとつのことを成していくたびに毎朝習慣のように涙が零れそうなのを耐えていた。
身近すぎて、逆に感じれなくなったもの。そんなのを死ぬたび死ぬたび加奈は一つずつ見つけてきた。
新入生歓迎会。
記憶が蓄積されてから一度も出たことがないそれ。
「死にたく、ないなあ」
ルビーを入れた御守り袋を首から下げた加奈は鏡に映った制服姿の自分に触れて。ぽつりと祈るように落ちた言葉が、ひっそりと空気にとけて消えて行った。
『礼堂』
通年通り、学内を回るスタンプラリー形式で新入生歓迎会が行われた。
今日から明日にかけて講義がないためか、学生だけではなく見回りをしている先生たちも何だが楽しそうに見える。
礼堂をスタート地点に食堂や体育館、器具庫からはたまた資料室まで回らねばならないらしい。
こんなだだっ広い学園を一周するなんてそりゃ二日もかかるわけだと四つ角に用紙を徐に折るとぽっけに乱雑につっこむ。鼻からこんなイベントラリーに参加する気なんで到底持ち合わせてはいかなかった。
今回は五月に編入してくる『彼女』や六月に起こる『失踪事件』に関するフラグを前持って収集するのが目的だからだ。フラグが立ってるダンジョンは分かる。
前回の『生』でその事件に巻き込まれぬようにフラグに近寄らなかった結果、事件後に流れた噂と封鎖された一角を『記憶に蓄積』することができていたからだ。
しかもその事件、巻き込まれた『彼女』を助けるためにネスト二年の熊鷹がヒーローみたく登場して解決したというのだからやはり白鳥学園は彼女のためにある舞台なのだと改めて遠くに見えた彼女を目で追って思った。
ー『彼女』が巻き込まれる以前に、たくさんの生徒が死んでいったというのに。
そこまでしみじみと思い出して加奈はぐぇと顔を歪めた。
(そういえば、その前の『生』のとき、巻き込まれてぐちゃぐちゃにされながら死んだんだっけ)
嫌なこと思い出したわ。ぶるると震えた背中に、慌てて頭を振って加奈は一つ溜息を落とした。
加奈はまだ良い。一度死んでループしてからは巻き込まれないように傍観者の立場でいればいいから。
けれど、知った顔が続けて死体となって出てくるのはなんとも言えず憐憫と憤懣に駆られた。
彼らは覚えていないかもしれないけど、加奈は覚えている。
一度は自身も味わったあの恐怖と痛みを彼らが二回も味わっていること。
自分は記憶を利用して死ぬ筈だった未来を歪めて生き残ったこと。
あのとき封鎖された一角に集まる群衆の中で加奈は不条理な現実に唇をかみしめた。どうせリセットされれば彼らはまた何ともない顔をして毎日を過ごすのだろう。しかしそれでも加奈は悔しくてたまらなかった。
死ぬためだけに、生きているように思えてならなかったから。
「一年生はスタンプラリーに参加してスタンプを集めないと夜の交流会に参加できないから注意しなさい!」
耳朶をゆらした上矢田の声に、はっと加奈は顔を上げた。どうやら昔の記憶たちに意識を奪われていたらしい。
首をつたる汗と息苦しさにようやっと加奈は息を止めていたことに気がついて深い呼吸を繰り返した。
「半分は埋めないとダメだからな。気をつけろお前ら〜」
肺に酸素を送り込んでいると上矢田に次いで聞こえたやる気のなさそうな長元坊の声に加奈は固く閉じた瞳をゆっくりと開いた。
まだ、『彼女』はここにはいない。
まだ、あの事件は起きていない。
まだ、間に合う。
繰り返しくりかえし、自分を落ち着けるために言い聞かせた。注意を受けて、がやがやと礼堂を出て行く同級生たちに加奈も震える足を叱咤して付いて行く。
「どこから回る?」
「近いとこだと混みそうだし遠い所から回ろうぜ」
「それもそれで楽しそうだわ」
たとえば目の前の学生たちが私の立場だったら。たとえば死ぬ運命の子が死ななかったら。
(取り返しのつかなくなるようなことは、おきない?)
あの繰り返される恐ろしい失踪事件を止めたいと思いつつも、止めてしまったら自分の知らない別の事件がおこるかもしれない。そんな事実に気がついてしまったから。顔から血の気が失せた。
(それならまた見捨てても、いいんじゃないの?)
そんな思いにすら駆られて、心臓が潰れそうになるくらい痛みが走った。痛みに引き起こされた涙で瞳が熱を持つくせ、どこかでそんな私を冷静にみている自分がいて。
「…加奈さん?……どうかしましたの?」
ぼやけた視界に千歳が入り込んだのにぱちりと瞬くと、視界が酷く明瞭になった。まるで曇った眼鏡を拭いた時みたいに。千歳も千歳でなんともいえない顔をしていた。
「……少し、失礼しますね」
そう言って指が加奈の目尻を拭う。女の子にしては少し大きい手に、どうやら涙は目に留まることができなかったことを知った。柳眉を下げて覗き込んでくる千歳に加奈はへらりと笑った。
「ごめん。なんでもないんだ」
「顔色が悪いですわ…。お休みになられては如何かしら」
「ううん、大丈夫。それより早くしないと千歳の友達待ってるよ」
今は離れて欲しい。いつもみたいにできそうにないから。
頬に置かれたままだった手をはずしてそう告げると千歳は一度振り返って黙りを続けた。しかしすぐにまた私に視線をあわせる。そこでようやっと、視線を合わせるために屈んでいてくれたことに気がついた。
「こんな真っ青な顔をして仰る方の言葉は信頼しないことにしていますの。……お休みになるのが嫌でしたらわたくしと二人ゆっくりスタンプラリーをまわりませんか?」
どこまでも優しい声音で告げる千歳に加奈は小さく震えた。
放っておいて。そう言いたいたいのに。向けられる暖かな眼差しが昔の仲が良かった頃の感覚を思い起こさせて躊躇わせる。
「でも、千歳の友達たちが…」
「最近加奈さんと余りお話できなかったから、始めから一緒に回ろうと思っていたのよ。あの子達のことは気になさらないで」
口をついた言い訳を千歳がやんわりと受け入れたから。
まるで自分が駄々をこねる子どものようにすら感じた加奈は自分が悪いことをした時と同じ居心地の悪さにおそわれて。
こくんと一つ頷いた。
打算で頷いただけなのに、向けられた嬉しそうな笑みになんとも言えず視線をそらした。
「ということで、長元坊先生?わたくし達はスタンプを集めなくてもよろしいですわよね」
「…なんだ杉宮と平井は交流会参加しないつもりか?」
「体調の悪い加奈さんに広い校舎を歩き回ってスタンプを半分集めろとおっしゃるの?」
「そうは言うけどな杉宮、2日もあるんだぞ?」
「体調が一日休んだだけで完治するとお思いで?まさか長元坊先生の基準を加奈さんに当てはめていらっしゃるわけでは…、ないですわね?」
「え、あっ、おお?」
うん、とりあえずこれ私関係ないよね!滅多にごり押ししてこない千歳に若干たじたじな長元坊の反応に加奈は毒気が抜かれてさっきまで落ち込んでいたのが嘘のようにどうでも良くなってしまった。
「では特例措置として認めて頂けると?」
「だーもー、しゃあねえなあ。平井の気分が悪くなったらすぐ近くにいる先生に言うこと。それが条件だ」
「ええ勿論。言われなくともそうするつもりでしたわ。それとこの用紙に特例措置として認める一筆とサインをお願いしますわ」
先生のことを信頼してない訳ではありませんのよ?けれど契約は全て文書で、というのが家訓ですの。
そういってスタンプラリーの紙を突き出した千歳に長元坊は、「そりゃあ大層なこって」と呆れた様子で受け取りサインを書き終え受け取ったそれを千歳へと返した。
「加奈さん加奈さん。わたくし、やりましたわ!」
胸を張って何処か自慢気な。それでいて褒めてと言わんばかりの千歳と、頭を抱えて肩を落とす長元坊のギャップにとうとう加奈は込み上げたそれを抑えることなく声を上げて笑った。
(あーああ!何を馬鹿なことで悩んでたんだろ)
「ほら笑っていらっしゃらないで加奈さんの用紙も渡してくださいな。長元坊先生に一筆お願いしますから」
「おいこら待て!杉宮のに書いたので十分だろう」
「あらやだ。契約書が一枚だけというのは心許ないんじゃなくて?」
口では早くしろなんて言ってるけど、目が笑ってるよ。奥ゆかしく見えるのに、身体を動かすのが好きで、野菜や果物よりがっつりした肉の方が好きな彼女は、実は他人をからかうのが好きなのである。反応が大げさな長元坊先生を弄り倒すのが楽しそうだ。だけど、そーいう千歳のとこ嫌いじゃないんだよね。
何度もリセットしても。避けようと思えば避けられたのに。結局千歳から離れようとはしなかった。つまりはそういうことなのだ。
全部置き換えてみれば簡単なことだった。
千歳が死んでしまうフラグに遭遇したらどうするか。
既知の未来と未知の未来。
どちらを選ぶかなんて、きっと考えもしない。加奈は必ず助けるだろう。例え助けた先の知らない未来で何かに巻き込まれようとも。
だって人生なんてけっきょく『知らない未来』を一歩ずつ進むもので。それが生きているってことでしょ?ループの繰り返しでそんなことも忘れてたけどさ。
ーまあ、だからつまり私がしなきゃいけないことは多分。
「…流石杉宮家の血を引いてることのだけはある…お前の姉さんに瓜二つだわ」
「光栄ですわ」
ー自分の命か。他人の命か。
そんな巫山戯た選択肢を強いる奴をぶちのめすために足掻く。
(それに尽きる)




