澱み
「……ごめん…なさい。」
消え入るような声が聞こえた。
マリの顔が一瞬 鬼のように見えた。
さも床のゴミを拾う振りをして聞き耳を立ててしまった亮子。
「…恥ずかしいったらありゃしない。
梨沙もお姉ちゃんの言う事を聞きなさい!!」
よほどイライラしているのか
声が大きくなっていく。
「もう!ちゃんと言われたようにしていて!」
おもむろにマリの顔を見て
「子ども達がご迷惑をおかけしました。
2人ともさっさと謝って!
行くわよ」
「…ごめんなさい」
「ごめんなさい」
小さな声と共に
台風が過ぎ去って行った。
立ち上がった亮子の耳に
マリの押さえた声が届いた。
「お前こそ謝れよ」
『お前こそ謝れ!』
キャロが宙から怒鳴っている。
『何様よあれ!!』
亮子はそっとその場から立ち去った。
『子ども達は悪くないじゃん』
『心の澱みだわね』
みずさまの声が小さく聞こえた。
清掃控え室で片付けと洗濯干しをしていると
山川がげっそりとした顔でやって来た。
「どうしたんですか?」
確か今まで施設会議だったはずだ。
またお客様からクレームでもあったのだろうか。
トイレが汚れているとか
ゴミ箱がいっぱいだとか…
四六時中 その場で待機しているわけでもないので
どうしても対応は、都度もしくは
時間通りの巡回時になってしまうのだ。
先日は同僚のユキさんが
お客様様から…「手袋を流してしまって…」と
直接声をかけられ
「詰まったら私のせいです。すみません」と言われたそうだ。
トイレは何事もなく流れていたのでよかった。
…そのお客様に福運がありますようにと
つい神様に願ってしまったほど 稀な事で。
ほとんどが放置して帰ってしまう。
今日のラーメンの残り汁も
わざわざイートインで食べてトイレまで持ってくるくらいなら、その辺の従業員に流せる場所を聞いて欲しいと思うのは、
清掃員の上から目線なのだろうか。
「出禁になったお客様が怒り心頭でな、
帰ってもらうのに苦労した話を聞いたんだ。」
「あら、怪我人とか出たの?」
「いや 親子連れでな、何も悪い事してないと
叫び出してさ」
…さおりの顔が浮かんだ。
「まさか迷子の件?」
「よく知ってるな、常習犯だそうだ。
毎回子ども放置して買い物していて
子どもがお腹空かせてるとか、か泣いてとかで
従業員や他のお客様が
インフォメーションへ連れて行くそうだ。」
梨沙ちゃんだろうな。
その度にさおりちゃんが叱られてるわけか。
「インフォメーションは託児所じゃないって言うし」
「当たり前のように呼び出してもすぐには来ないし。」
子どもがインフォメーションにいるだけで安心して買い物できるわけか…
「迷子を預かるのはインフォメーションの仕事なはずと喚いてな。大変だったそうだ。」
…きっとキャロも怒り心頭だったろうと想像出来た。
『澱み』
不意に戻って来たキャロが呟く。
「ん?何か言ったか?」
「なんでもない。」
…まさか…ね?
『……あの子、お腹すいてた。』
ぽつり、とキャロが言った。
それ以上は何も続かなかった。
母の心の中にも
きっとさおりちゃんの心にも
…暗い澱みがあるのだろうと思った。




