リーリ
花実はキャンプを楽しんでいた。
あまりに楽しみすぎて、少しリーリのことは忘れていた。
リーリはそこに座って、ちょっと暑そうに、花実のことを眺めていた。
でも、リーリは確かにそこにいて、花実のことを優しく見守っていた。
花実はまず昼食を食べた。お父さんがバーベキューをしてくれて、焼肉を焼いてくれた。
焼肉は食べたことあるし、いつもの焼肉に玉ねぎやピーマンといった野菜が加わるだけだけど、
香ばしい、炭の匂いに肉が焼ける、脂の旨みを閉じ込めた匂いがたまらなかった。
やっぱり美味しくて、紙の皿にとって何個も食べてしまった。
リーリは肉はあまり得意ではなくて、野菜の方を何個も食べていた。
お母さんはそちらを、どこか心配そうに見ていた。
花実はそれがあまり好きじゃなくて、リーリにあまりお肉のこととかで話しかけられなかった。
それから鮎釣りに行った。鮎は釣れるとぴちゃぴちゃ跳ねて、花実は高い声で笑った。
リーリは、釣ろうとしてはみたが、花実と一緒に釣竿を触ると、重すぎて、やめてしまった。
お父さんはすぐさまリーリを抱き抱えて、花実の後ろから見させた。
「ちょっとお父さん、シュールなんだけど」
「そうかな、まぁリーリはもう少し大きくなってからだな。」
「僕も釣りたいんだけどな…」
「また今度。」
お父さんはリーリの手を勝手に動かしたりして遊んでいた。
なんだかリーリの顔が不機嫌で、花実は笑った。
夜はペンションに泊まった。ペンションの開け放した窓から、星空がよく見える。
星空を、リーリも花実も見ていた。
まるでペンキをぶちまけたみたいに、満天の星が広がっていた。
空中にほんのりと輝いて、海に浮かんだきらきら光る光のように、二人を照らしていた。優しく。
星空は優しくて、リーリたちを包み込んでくれるようだった。あたたかかった。
「……ぼく。」
あたたかいきもちがあふれそうで、リーリは呟きかけた。
何かが出かけて、リーリは息をついた。
でも、リーリは上手く言えなかった。
「…なに、リーリ。」
リーリの肩に手をかけて、花実は呟く。
「…なんでも。」
「…そう。」
それだけだった。
リーリは、あたたかい星空に包まれながら、
ただ、あたたかい花実の手の感触を感じていた。
あたたかかった。
ただ。
花実は、リーリを横に言った。
「またうなされちゃうかもね。」
「僕…助けられると思うよ。」
花実は、にっこり笑った。
「それじゃあ、お願いね。」
リーリがぎこちなく笑うと、花実は目を閉じてしまった。
それは、星空の下の夜道だった。
満点の星空の下、草むらをかきわけるように夜道があった。
誰もいない。ただ、草むらが時折、風にゆられるみたいに、ささささ…とゆれていた。
土でできていた。踏み固められたみたいな。
花実は歩いていた。歩けないリーリは、後ろにおぶされていた。
花実は、ふとリーリか、と気づくと、話しかけた。
「なんか、寂しい道だね」
「誰もいないね。みんながお祭りに行っちゃったからかなぁ」
「…どうして、それ知ってるの?」
「…聞いたんだよ、きっと。」
「きっと?」
「うん。」
くぐもったように、リーリはきっと、と言った。
変だな、と花実は思った。
でもそこまで聞かなかった。
リーリは続けた。
「お父さん、お母さん、勉強でうるさいでしょ」
「え、リーリに話したっけ?」
「話したじゃん」
たしかに、話したな。
でも、話したっけ、お母さんも、って。
最近お母さんも勉強のことに口うるさくなった。
でもそれ、どうしてリーリは知ってるんだろう。
「先生厳しいって言ってたよね。」
「うん」
「会えなくなるよ、その人と。」
「え?」
「良かったね」
ああ…とか、花実はそうやって返した。
いや。
どうして?
先生と会えなくなる、って、どういうこと?
「…ここだ。いいところ。」
ふと、ちょろろ、ちょろ、と音がしたのに花実は立ち止まる。
川の音は、ちょろろ、ちょろろ、と静かだった。
なぜだか、小さな子供がおぼれそうだな、と思う。
なぜだろう、わからない。
月の光が水の上で揺れていた。
銀色だった。
星も映っていた。
水の中にも空があるみたいだった。
風が吹く。
草がさわさわ、と揺れる。
花実の髪も揺れる。
服の裾も揺れる。
……でも。
背中のリーリだけ、少しも揺れていなかった。
おぶっているはずなのに。
服も。
髪も。
息も。
なにも。
まるで最初からそこに置いてあったみたいに。
花実は、なんだか背中がぞわっとした。
でも、振り向かなかった。
振り向いたらだめな気がした。
「弟を、殺したよね。」
…え。
「リーリは、知ってるよ。」
…リーリ?
「弟、花実ちゃんがころしたね。」
…まって。
ずん。
また重くなる。
ずん。
また。
リーリが大きくなっている。
いや。
大きく、じゃない。
膨らんでいる。
綿に水を吸わせたみたいに。
雨の日の布団みたいに。
じわじわ。
じわじわ。
背中いっぱいに広がっていく。
肩に何かが食い込む。
布じゃない。
手でもない。
もっと柔らかいもの。
なのに、石みたいに重かった。
ぶく、ふす、と音がする。
背負えない。
花実は背負っていたものを、離しも背負いもできなくなってきた。
だめだ、ということしか考えられない。
背中がぎちぎちと痛かった。手もひしひしと割れるような感触になる。
腰が急にがっ、と下がった。どんどん、後ろに引っ張られてく。
ぐうっ、と頭が後ろにのけぞった。
ドン!!
背中のものが突き飛ばされて、一気に軽くなった花実は、そのまま後ろに倒れた。
背中を起こすと、目の前にはリーリがいる。
ほんもの?
「花実ちゃん、僕遅くなったよ。」
ほんものなの?
「ごめん、つらかったよね。」
ほんとに?
「…花実ちゃん?」
うそ。
にせもの。
本物なわけない。
花実は起き上がって、だっ、と足を上げた。
「え…花実ちゃん!!!」
川の方に飛び込む。
ちょろろ、ちょろろ…と言う音が近づく。
ふと、川のそこの大きくて、ごつごつした尖った石が見える。
あれにぶつかったら…
「花実ちゃんっ!」
「うわっ!!」
「良かった〜、目を覚さなかったから、心配したよ」
「めっちゃ怖い夢だった…」
「いや、夢で良かったね〜」
「ちょっとリーリ!夢の中で何人に重たい体重乗っけてんの!」
「花実ちゃん、夢の中では現実の僕はいないってば!」
「もう、迷惑した!」
「夢の中の僕に謝れたら言うね…なんつって」
リーリは笑った。
でも、少しだけ。
ほんの少しだけ、目が違った。
さっきまで夢にいたみたいな顔だった。
夏の朝なのに。
まだ星空の下にいるみたいな。
そんな顔。
花実は少しだけ不思議に思った。
でも、聞かなかった。
聞いたら。
リーリがどこか遠くに行ってしまう気がしたから。
窓の外では、木がさわさわと揺れていた。
夏の風だった。
リーリも、そこにいた。
ちゃんと。
……いたはずだった。
僕は、ほっとした。
だけどそれは、花実ちゃんには言わなくて良い気がした。
花実ちゃんには、夢の中での怖いことが、本当に怖いことに変わるか、
なんて、考えてほしくないんだよなぁ。




