百度も
僕は、また。
まただった。
この夢を見ていた。
花実ちゃんと手を繋ぎながら、寝たはず。
なのに。
そこには花実ちゃんはいない。
ただ、薄暗い車の中で、お母さんがぽつぽつと。
また。
霧のように降ってくる雨に合わせるみたいに、話す。
「…花実ちゃんは、入院なの」
「なんで?」
「…病気で。」
「いつまでかかるの?」
「…私たちが百度、病院に行ったら、きっと。」
心なしか、その声だけ強かった。
「今は何回目?」
「…百回目」
「もう?」
「そう。」
お父さんは、いない。
なぜか、車の中にいなかった。
十刻みで日にちが進んでいる。
そして今が、百回目。
もう。
きっとこの夢で、何か起こる。
…この夢を見て、たぶん数日は経ってる。
もうこれで終わりにしたい。
夢の中、異様なくらい大きな病院の前に、車を止める。
大きすぎて、空に壁がぶつかって歪んでるような、建物。
そこで意識が一旦途絶える。
舞台の暗転みたいに真っ暗になる。
次に意識があるのは、病室の前。
ドアに大きな窓が付いていて、そこから見えた。
花実ちゃんは、点滴の管まみれで、部屋中がその管で覆われている。花実ちゃんが真ん中にいることがかろうじてわかるくらいの、管。
お母さんだけが、管をかきわけるように、入っていく。
時折、花実、と呼びかけながら。
僕はなぜか、動けない。
動きたい。
でも、体を動かせない。
どうにもできないのが、嫌だった。
特に今日は、すごく嫌だった。
むずむず体が変な感じになるのを我慢する。
「…花実…助かって…」
花実ちゃんの近くに来たお母さんは、一番近くの管を避けながら、言った。
それから、花実ちゃんの胸に手を置いて、目を閉じる。
祈るみたいに。
なんでそうするのか、わからなかったけど。
そうするしか、ないみたい。
突然。
体が前のめりになった。
動けるようになったんだ。
扉に近づいて、ドアノブに手をかける。
扉が動かない。
どうしよう。
あたりを思わず見渡した。
廊下には誰一人いなくて、そこに記入済みアンケートのようなものが落ちてるだけ。
これじゃないかな。
なんとなくそんな気がして、拾ってみた。
それは、花実ちゃんの診察シートみたいなやつだった。
年月日が黒い墨汁みたいなもので塗りつぶされている。
花実ちゃんの写真が載ってる。
僕と写ってる、笑顔が可愛いやつ。
でも、名前が載ってない。
まだ書いてないみたい。
………… 13歳
病名:夢見病
詳細:夢を見て、それに侵食される病気。
所見:これにかかると最後、助からない。
だんだん、名前の部分が浮き出てきた。
水からぼやけるように浮かぶ。
僕はそれに目が釘付けになる。
はずだった。
でも、それを見て。
何かに気づいたように、走り出した。
リーリ
それが浮かび上がった名前。
違う。
あれは花実ちゃんじゃない。
あれは僕をおびき寄せる罠だ。
「りーり、」
遠くで聞こえる。
花実ちゃんの、甘い声。
でもそれは、柔らかすぎて、力無いみたいな。
どこか生気がない、そんな声。
「まって」
いや。
違う。
これは僕を狙ってる夢だ。
病院の廊下を、どこまでもどこまでも、走り続ける夢。
僕はその中を、ずっと、ずっと、走り続けた。
足は感覚がなくて、ぼんやりしてた。
ただ、どこかにある出口が恋しかった。
「わ!!」
自分の大声で目が覚めた。
なんで言ったかわかんないような言葉で。
「…うるさいなー…」
花実ちゃんが横で不機嫌そうにもぞもぞと動く。
それでなんだかほっとする。
「…リーリ、最近寝つき悪すぎでしょ、毎回でかい声出して起きるじゃん」
「うん…さすがにいやだなぁ」
「でも、明日は流石に叫ばないでよ〜」
「わかってるって…」
ほっとした。
これで良かったんだ。
きっと。
下からトーストの匂いがして、僕たちは下の部屋へと下っていった。
バターの甘い香りが漂ってくる。
…あれ?
これ、何度もあったな。
先に行く花実ちゃんの背中を見ながら、思う。
「美味しそうだねー、とーすと」
どこか生気のない声だった。
柔らかいというより。
ぐにゃぐにゃしたタコみたいな感じ。
違う。
これは、夢だ。
思わず走り出した。
「…りーり?」
「来るな!!」
急いで部屋の中に逃げ戻って、扉に鍵をかけた。
「…りぃりぃ、りぃりぃ、」
なんどもなんども、おかしくなったように花実ちゃんは言っている。
いや、花実ちゃんの声をしているだけだ。
これは違う。
夢だ、覚めなきゃ。
「りぃり…りぃり…」
やけに甲高くて細い声が扉を隔ててこちらに向かってくる。それは這うように僕を狙ってるみたいだった。
ずるずずず…と何かが這いずるような音が外で聞こえる。それは足を持たないみたいに。
ずっと外で、自分の支えきれない体を引きずっているみたいだった。
……ほんとにやばい、覚めないと。
そう思った時、急に冷や汗が出てきた。
体がやけに冷めてて、それが寒かった。
ぷるる…
微かに体が震えていた。
まずい。
その言葉だけが頭に浮かぶ。
ぴちょ、と自分の体から水滴が足に落ちる。
気がつくと、そこは暗闇だった。
真っ黒く塗りつぶされたみたいで、先が見えない。
か細い声は聞こえてこないけど、低くてどこかぼんやりした音がどこかからする。
…
それは声らしかった。
ぼうぼうと響くから、機械か何かの音にも思えた。
だんだんと、聞こえやすくなってくる。
「…リーリさんは、夢見病で亡くなりました。」
「そんな!」
花実ちゃんが叫んだ。
でもどこか、ぼうっとしたような声だった。
遠くで響いてるからか、ぼんやりした響きに拍車がかかる。ぽつんと寂しい声だった。
「私もなのに…」
どこか感情をなくしたみたいな。
感情がわからないみたいな、そんな声。
私も…?
花実ちゃんは、やっぱり。
「私も…夢見病なのに」
やっぱりだ。
いや。
これも夢なんだ。
だから。
花実ちゃんは。
「…私、どうしたらいいの」
迷子みたいに、どうしようもなさそうに。
「先生、執刀しますか?」
お母さんが棒読みみたいな、変な感じで言った。
どうして今それを言うんだろう。
「…どうしたら」
「先生。」
「花実さん、メス入れますね。」
「…私に」
何かよくわからないけど、その時予感した。
これは僕が死ぬ夢じゃない。
花実ちゃんが死ぬ夢だ。
「…私に、メスを」
まずい。
それがすぐわかって、僕は無我夢中で叫んだ。
「違う!!僕だ!僕にメスを!」
なんでそれなのか、わからなかったけど。
言うしかないんだと思って。
「花実ちゃん!目を覚まして!ここは夢なんだ!!」
何も返答がない。
ただ、静かな暗闇が広がる。
真っ暗に塗りつぶされたそれが、時折蠢くように。
さざめくように、動く、そんな気がする。
遠くぼんやりした声は。
どこかへいってしまったみたいに、消えていた。




