虫取り
その時も花実ちゃんは僕と一緒にいた。
山の中は、じゅわ〜、じゅわ〜、と音がうるさくて、
ちょっと花実ちゃんの声が聞こえにくい。
花実ちゃん、と何度か口に出した気がする。
でも、花実ちゃんはずんずん先に行ってしまう。
この山は、来たのは初めてじゃない。
何度か花実ちゃんと僕は、虫取りしにここに来た。
虫取りって言っても、体が弱い僕はあまり取らない。
花実ちゃんが、ずんずん進んでいって、取るんだ。
「見て、クワガタ〜」
「すごいね〜、でかい!」
「はいピトッ!」
「わ、ついたー!」
僕たちはクワガタで遊んだりした。
クワガタで、近くの切り株を使って相撲をとった。
あれは本当に楽しかった。
体が弱かった僕だけど、あれで何度か花実ちゃんに勝ったなぁ。
花実ちゃんの悔しそうな顔、とても可愛くて。
「くやしいの〜?」
「そうだよ!リーリに負けたんだもん!」
「僕強いもん、勝てないよ〜」
「ん〜〜」
でも、花実ちゃんが強いクワガタを僕のために用意してくれたりしたのを、僕、知ってた。
優しくて、ちょっと甘えちゃったなぁ。
「ねぇ、どこ行くの?」
「まぁね。」
「まぁね、って、どこ?」
ぴた、と花実ちゃんが止まる。
くる、とこっちを向く。
いつもみたいな、あたたかい笑顔。
手が伸ばされた。
思わず手を取る。
「リーリ、おいで。」
リーリ…リーリ…
「…えっ?」
突然、ぐいっと引っ張られた。
花実ちゃんの後ろ、暗い影が広がっていった。
森の中が、山の中が。
黒くて、暗い、闇の中に、吸い込まれてく。
まるで布を掃除機が吸い込んだ時みたいに。
ずずずずずずず…って…
はなみちゃん、すごく暗い瞳をしていた。
いや、黒い。
茶色のいつもの綺麗な瞳じゃなくて、黒い、奥の方が見えない。
黒い瞳だった。
そして、真っ暗になった。
ふ、と、目が覚める。
そうだ、夢だった。
よかったような、そんな気がした。
僕は椅子から降りた。
床は少しひんやりしていた。
夕方の部屋だった。
夏休みの終わりみたいな色。
窓の外は橙色で、空の青が少しずつ薄くなっていた。
遠くの電柱の向こうに、雲が浮いている。
ゆっくり流れていた。
セミの声も、昼と違った。
じいじいじゃなくて。
じじじじ……
どこかへ帰る途中みたいな声だった。
なんだか、その声を聞いていると。
胸の奥が、少しだけ空っぽになる。
僕は、自分のお腹を押した。
やわらかかった。
いつもみたいに。
……でも。
やっぱり、少しだけ。
へこんでる気がした。
花実ちゃんは、と見る。
椅子の横、机の前で何やら考えている。
どこか寂しそうな、どこか消えてしまいそうな。
まるで、この世界から来た人じゃないみたいな。
窓の光が、花実ちゃんの横顔だけ照らしていた。
ほのかな光を顔に受けて、まるで…
聖母みたいな、美しい顔に見えた。
茶色っぽい髪が透けて見えた。
夏の飴みたいな色だった。
綺麗だった。
でも。
綺麗すぎた。
まるで。
もうすぐ、どこか遠いところへ行ってしまう人みたいだった。
僕はなんだか嫌で。
名前を呼んだ。
「花実ちゃん」
呼ばないと。
消えてしまいそうだった。
「…リーリ。ちょっと、考え事してたの。」
近頃、こんな顔をする時が増えた気がする。
なんだか、寂しい……
なんだか、本当に消えてしまいそうな、そんな予感がした。
…僕が、夢の中に入って、守ってあげないと。
なぜだか、それははっきりと心の中で響いていた。
なぜか?
それは考えなかった。
でも、可愛い花実ちゃんの顔を見ると、それは大切なことのように思える。
「花実ちゃん、お菓子食べよ。」
「なんの?」
「リビングのクッキー。」
「ありじゃん、そうしよ。」
あたたかい光が、僕にささやいているみたいだった。
花実ちゃんを守るのは、僕だって。
花実ちゃんは立ち上がった。
僕より少し先を歩いた。
それだけなのに。
なんだか遠かった。
前は、こんなじゃなかったのに。
前は、もっと近かった。
そう思って。
僕は少し急いだ。
小さな足で。
追いつけなくなるのが、怖かったから。




