ほんね
「ねぇ、」
お母さんは、少しだけ寂しそうに、話した。
花実ちゃんはさっきまで、僕と話してたけど、部屋に入りかけたお母さんの姿に、ぴたり、と止まる。
空気まで止まったみたいだった。
「ちょっとだけ、夏の終わりに、親戚の家に行かない。」
「なんで?」
「…ちょっと、リーリと離して暮らしてみない?」
その瞬間だった。
花実ちゃんの指が、ぴく、と動いた。
「なんで。」
花実ちゃんは、尖った声になった。
顔がこわばって、お母さんを見つめたまま、動かない。
まるで、何かすごく嫌なものを見たみたいに。
「いやだ。」
「ちょっと、ほんとにちょっとだけ。1日とか2日とかで、帰ってこれるから。」
「絶対いや!!」
大きな声だった。
びっくりした。
花実ちゃんは、ぎゅっ、と僕を抱きしめた。
強かった。
痛いくらい。
それが嬉しかった。
ただ……
違った。
いつもと。
抱きしめてるんじゃなくて。
何かから取られないように、守ってるみたいな。
なくしものを、絶対離さないみたいに。
こわばったような。
お母さんを凝視したまま、
ずっと泣きそうな顔で、じっとみていた。
それが、悲しかった。
どうしようもなく、なんでか。
ずっと。
じっと。
見ていた。
でも泣いてなかった。
怒ってる、とも違う。
怖がってる顔だった。
「いや!!ママは分かってないんだ!!」
「花実ちゃん…」
「花実…」
「出てって!!もう入ってこないで!!」
しばらく、お母さんは立っていた。
何か言いかけたみたいだった。
でも。
言わなかった。
ただ、少しだけ笑った。
悲しそうに。
寂しそうに。
諦めたみたいに。
そのまま、静かに扉を閉めた。
かちゃ。
小さい音だった。
なのに、すごく大きく聞こえた。
昼の空は、青くて。
とても綺麗だった、はず。
でも、部屋の中は暗かった。
昼なのに。
カーテンも閉めてないのに。
静かで。
誰も話さないから、すごく、静かで。
花実ちゃんの、荒い息だけが、
はぁ、はぁ、って、顔にかかってくる。
なんだろう。
苦しそうだった。
「…花実ちゃん、」
呼ぶ。
少しだけ。
すると。
「リーリ、その日、家出しよ。」
沈んでもいない、声。
怒ってもいない声。
ただ。
誰もいなくなった扉を見たまま。
じっと。
何かに取り憑かれたみたいな顔だった。
「夕暮れまで、外にいよ」
それを聞いて、少し、ほっとした。
なんでだろう。
さっきまで。
僕は。
花実ちゃんと、この家に、もう二度と帰れない気がしていた。
だから。
夕暮れまでなら。
それなら、大丈夫だと思った。
……思っただけだった。




