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はなみの夢  作者: 彼岸
18/40

縫う

その夜、とても静かに花実ちゃんは眠っていた。

静かすぎた。

静かすぎて、外の車の音が、

遠く。

どこかでずっと、走っていた。


静か過ぎる。


それが思えてきたのは、しばらく経ってからだった。


僕は、やっぱり花実ちゃんを救っていないと行けないのかも。

でも。


ほんとうに、毎晩夢の中で救うしか、ないのかな。


肩に少し、ふれた、その時。

ゴッ、という感じがする。

そして、僕の目の前が真っ暗になった。


夢の中だった。

暗い部屋だった。

辺りは暗さのあまり、何も見えない。

部屋に何があるのか、よくわからない。

真ん中がぼうっと光る。

ぼうっと光るそれが、微かに動いている。

それは…

「花実ちゃん?!」

花実ちゃんが、振り向く。

にこ、と屈託のない笑顔を浮かべた。

でも、それからすぐに前に向き直る。


かたかたかた…


小さく、足元から音がした。

花実ちゃんは、手元を微かに動かしていた。

かさ、かさ、と布が擦れるみたいな音。

それは、古い足踏みミシンだった。

しきりにそれを動かして、何か縫い合わせている。

「…ねぇ、何を縫ってるの?」

そっと、近づきながら、言ってみる。


かたかたかた…


ただ、足で踏む音が聞こえる。

ふと、花実ちゃんの手元が見えた。

淡い青色をした、布のようなもの。

透き通りそうで、綺麗な、光り輝くもの。

さら、さら、と音がした。


「"誰かの記憶"の断片だよ。」

「誰か?」

「そう、誰か。」

「…」

「…近いかもね。でも、一番遠い。」

その隣には、丸い柔らかい木でできた、椅子がある。

そこに座る。

きっ、と音がした。

僕は、まるで見惚れてるみたいに、

ただ彼女の手元を眺めてた。

花実ちゃんは、すごく上手ではなかったけど。

なめらかに、それを縫ってるのがわかった。

綺麗なその"記憶"は、

どの布よりも僕を惹きつけた。


「これはね」

花実ちゃんの口から声が出て、思わずそっちを見る。


「リーリがいつか忘れてしまった、大切な人の声だよ。こうして縫い留めておかないと、明日の朝には消えてしまうの」


よく見ると、花実ちゃんの指先は針で突かれた跡だらけで、そこから滴る血も、青い糸となってミシンに吸い込まれていく。

空に飛ぶ鳥が、どこかへ見えなくなってしまうみたいに、美しすぎる光景だった。


「どうしてそこまでして縫うの?」


花実ちゃんは静かに微笑んだ。


「リーリが目覚めたとき、胸の奥が少しだけ温かければ、それでいいの」


それはどこか優しくて、

優しかったからか、切ない気がした。


「リーリ、紹介したい子がいるの」

「だれ?」

「おとうと」

「おとうと?」

暗い部屋の奥の方から。

かた、かた、と音がした。

そこに立ってたのは、テディベア。

丸い顔、丸い鼻、全てが丸くて。

なんだか懐かしい感じがしたから、

普段テディベアは好きじゃないのに、

じっ、と見てしまった。

「おとうとです。」

ぴょこ、とテディベアはお辞儀した。

「にいさん。」

「にいさん?僕が?」

「そうでしょ?ぼく、にいさんのおとうとだもん」

「僕知らないよ」

「そうだね、知らない。」

花実ちゃんは、柔らかい笑顔で。

でも、穏やかに僕を見つめていた。

透き通るような目立った。

その琥珀みたいなものが、

僕を見通しているみたいだった。

「仲良くできるよ」


でも。

僕に弟はいない気がした。

なんとなく。

でも、確実にわかった。

なんだか寂しいような、切ないような。

そんな感じがして。

ぷるるる…

気づいたら、体が震えていた。


かたかたという音が、やがて僕のかすかなぷるるる…という震えと重なる。

だんだん。花実ちゃんの姿が朝霧のように薄れていく。

「花実ちゃん。」僕は呼びかけた。「どこへ行くの?」


「…リーリの知らないとこ」


部屋全体が、ぼわ…とぼやけてきた。花実ちゃんの姿が、とおい。とおく、ぼんやり。どこかへと、うすれていく。

「花実ちゃん、置いていかないでよ」


「いつか、来るから、まってて…」


その言葉を聞きながら、僕の胸の奥が、ぽっかりと空いた気がした。何かを失ったような、でも何かを思い出せそうな気もする、曖昧で、少し痛い、変な感覚。

「にいさん」暗がりの中で、ただ、おとうとの姿だけがはっきりしていた。

「花実さんのこと、心配なのはわかるけど、にいさんじゃ、だめだよ。」「…なんで?僕じゃないと夢の中には入れないのに。」「…そのうちわかるよ。にいさん。」「…わかるって?」「にいさんなんだよ、救われなきゃいけないの。」

その瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられるようで、僕はふと、僕自身も何かを忘れていたことに気づいた気がした。誰か、もう一人。兄弟のようで、でも触れられない空白のような。花実ちゃんを守る僕の手の先に、もしかしたら、僕自身が必要だったのかもしれない。


はっ、と目が覚めた。

朝だった。

カーテンのすき間から、白っぽい光が入っていた。やわらかくて、あたたかい光。

なのに。

なんだか、胸のあたりだけが寒かった。

ぼうっとしたまま、横を見る。

花実ちゃんがいた。

すぐ近く。

近すぎるくらい近く。

気づかなかった。

いつの間にか。

花実ちゃんは、僕の腕を抱えたまま眠っていた。

ぎゅう、って。

離さないように。

長い茶色の髪が、腕にかかっていた。

少しくすぐったくて。

あたたかかった。

寝息が聞こえる。

静かで。

優しくて。

なんだか安心する音。

「……花実ちゃん」

小さく呼んでみる。

起きない。

少しだけ笑っていた。

夢でも見てるのかな。

その顔を見てたら。

胸の奥が、また変な感じになった。

昨日の夢。

おとうと。

にいさん。

花実ちゃんの、消えていく姿。

思い出そうとすると、ぼやける。

でも。

それよりも。

もっと変なことがあった。

今。

こうしてると。

すごく、懐かしい。

花実ちゃんの体温も。

腕の重さも。

髪が触れる感じも。

初めてじゃない気がした。

ずっと前。

もっと小さい頃。

いや。

もっと前。

まだ、言葉も知らない頃。

誰かが、こんなふうに隣にいたような。

そんな感じ。

……変なの。

花実ちゃんなのに。

少し違う。

誰かを思い出しそうで。

でも、思い出せない。

「……ん…リーリ……」

寝言。

ぎゅっ。

少しだけ腕が強くなる。

「……いかないで……」

胸が、ぎゅっとした。

嬉しいはずなのに。

なんでだろう。

少しだけ。

泣きそうだった。

窓の外では、朝の車の音が遠く聞こえていた。

それなのに。

僕だけ、まだ夢の中にいるみたいだった。


「あ、花実ちゃん起きた。ねぇ、」

「…ぅうんー……なに…?」

「昨日、変な夢見た?」


「いや…覚えてないな…」

それが、少し嫌なような。

そんな感じがした。


「そう…」

「もう少し寝かせて…」


「うん」


朝は明るかった。

そのはずなのに。

僕は…

どこか、お腹の中が空っぽになったような。

押してみると、すぐにへこむような。

変な、嫌な感じがした。


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