夜のささやき
夕食が何だったかは、覚えていない。
昨日まで普通に見てたはずの、お母さんお父さんの顔は、まともに見られなかった。
でも、お父さんがトイレに立って、お母さんがテレビに顔を向けた時。
「リーリ」
声に顔を向けると、花実ちゃんはにっ、と意味ありげに笑った。
どこかはにかむようだったけど、親指を立てながら。
その顔を見ると、全部大丈夫なんだ、って思えた。
すっ、と布が擦れる音がした。
花実ちゃんの手が、机の下で僕の方を探っている。
じっくり、確かめるみたいに。
さわ、と手の先にかすって、思わず握り返す。
汗で少しべたついてた。
でも、それは僕のためにくっつきやすいようにしてくれた、みたいに思えて、むしろ嬉しかった。
熱かったけど、優しくて大きな手だった。
お母さんはまだテレビを見ていた。
だから、僕たちは。
まだ目の奥の透き通ったものを失わないうちに、と。
見合った。
花実ちゃんの奥の輝きは眩しくて、温かすぎて。
僕は少し目をそらした。
花実ちゃんも、何か僕が眩しいみたいに、少しお母さんの方を向いた。
僕は少し、自分が燦々と輝いているみたいな気がして、嬉しかった。
その夜。
暗い、静かな部屋だった。
ねぇ、と聞こえた気がして、ベッドの隣にいた僕は、花実ちゃんの方を見た。
花実ちゃんは、静かに僕を見ていた。
でも、少し顔がゆれたように感じたのが見逃せなかった。まるで、恥じらうように。
「一緒に寝よ」
なんか、少し恥ずかしくなる。
こんなの、初めてで。
でも。
うなずいて、掛け布団の中に滑り込んだ。
ちょっと、びくっとした。
でも。
すごくあたたかかった。
夏の夜は、寝苦しいはずだった。
でも。
花実ちゃんの隣にいると、あたたかくて。
腕がふれた。
ふわ…って、かすかに。
思わず、ぷるる…と震えた。
「花実ちゃん、」
やわらかい、と言おうとして、何だか照れてきた。
言葉を出さないまま、花実ちゃんの方をちら、と見た。
でも、恥ずかしくなってきて、目をそらした。
見るのが、申し訳なくなってきた、っていうか、
可愛すぎた、っていうか。
花実ちゃんは、僕のお腹に手を乗せた。
ゆっくり。
そっと。
ほわ、っとしてて、
体の奥がびっくりしたみたいに、なった。
優しくて。
そこだけやわらかくて。
なんだかとろけちゃいそうだった。
なんだか変な気分だった。
「大きくなってくれれば良いのに」
「そんな、僕もだよ」
「リーリ、背丈が大きくなりにくいもんね。今では私の方が大きいよなぁ」
「大きくなったら、花実ちゃんのこと、もっと守れるのに。」
少しだけ、
静かになる。
それから。
「守れるよ、きっと。」
「かな…」
花実ちゃんは、笑った。
でも。
なんだか。
その顔は、少しだけ違った。
優しいのに。
笑ってるのに。
どこか。
"安心した"みたいな顔。
「だって」
ぽつり。
「リーリ、どこにも行かないでしょ」
静かだった。
その言葉だけが、
布団の中に落ちた。
僕は、何も言えなかった。
行かないよ、って言いたかったのに。
胸が、ぎゅっとして。
嬉しいのか、
苦しいのか、
よくわからなかった。
花実ちゃんは、優しくて。
ずっと、僕のことを撫でながら。
優しく、僕を見てた。
それが、あまりに優しくて。
撫でられると、
ほわ、ほわ、とお腹が動く気がして、
思わずぷる、と震えた。
「もう少し、こうしてたいな」
とろんとしたような目つきで、僕を見る。
どうしようもなく、もっと。
触れていたくなる。
でも。
それは口の中で残ったままだった。
ほっぺたとか、耳が熱くなりすぎてて、
もう何も言えなかった。
「…花実ちゃん。」
意味もなく、言ってみた。
花実ちゃんは、何も言わずに、優しく微笑んだ。
あまりに、甘い笑顔で。
僕はいよいよ何も言えなくなった。
喉に何かつっかえたみたいになって。
顔は真っ赤っかで。
これ以上何かされたら、湯気が出てしまいそうだった。
だから。
僕は、思わず目をそらした。
花実ちゃんにお腹を撫でられるのが気持ちよくて。
優しくて。
思わず、ちょっと笑ってしまう。
でも。
なんだろう。
あたたかいはずなのに。
少しだけ。
泣きそうな気持ちにもなった。
夜は優しくて、心地よいくらい静かだった。
どこかでトラックのゴー…という音がした。
でも、それも。
どこかへ、静かに。
やがて、何も聞こえなくなった。




