傭兵見習い
瓶のようなランプが壁に赤々と灯る地下室は夕日のように照らされて、奥に座す女性か、あるいは少女が、その金属光沢ほども輝く髪をその色に染め、深い瞳はフジと見つめあった。沈黙が続くかに思われた2人の間には、それほど長い間は存在しなかった。
「アウモニア・ウォナ・エルンブロン。私が君の師匠たちの副団長だ。団長にもまた話をしにきたまえ。」
「わかりました。アウモニアさん。」
「飲み込みが早くて助かるよ。それと副団長と呼びたまえ。」
不士は困惑した。まず、"わかりました"と澱みなく答えたのは、アウモニアの持つ独特なオーラに気圧され、それ以上の文句を思いつかなかったからだ。そして副団長と呼べとは、何が何やら、どこまで話を知っているのか、不士の中での彼女に対する警戒や疑問からくる緊張がピークとなったのだ。
「…副団長。俺たちは初対面ですよね?」
「ふむ。説明してやれ、ディートマー。」
「ええ。フジ、副団長はな、今日お前が来ることを俺たちが先に共有しておいたんだ。それでこれまでのやり取りや行動も副団長が統括して知っていたから、律儀に名前まで覚えて待っていたと言うわけだ。」
さも当たり前のように言い切ったまま表情を崩さないディートマーに、一拍置いてしだいに嬉しくなった不士が"副団長"を見ると、少々面食らったようで、"そこまで言えとは言ってない"と言って不士から目を逸らした。真っ白な耳は少し赤みを帯びていたような気がする。
「身元職歴不明の個人を雇って後ろ盾となることは…まぁそれほど普通のことではないが、それなりに多い。」
副団長は座ったまま帳簿を捲り、厚そうな紙の一枚を抜き取って、彼女の目の前の机に差し出した。
「だが民族も不明、住んでいるところも街の外というのは聞いたことがない。はっきり言って前代未聞だな。気にならないほうがおかしなことだ。」
不士の身の上は明文化されるとより鮮明に際立って異様を放った。今までについてほとんど何もかも明らかでなく、むしろ明らかなものほど真新しい、この街での活動ばかりで構成されている。そして不士本人はその不思議さを知る由もなかったが、街のそばでありながら、その中ではなく外に暮らしていて、ほとんどを街の中で過ごすそんなカミルの家に住まいを置くことは、市民としての権利も、立場としての曖昧さも、その存在の不可思議さも極めて珍しく、また曖昧なものであった。
「…たしかに。おかしなのは俺の方ですね。気にならない方が不自然なくらいだ。」
「その通りだ。」
ディートマーはヤケに不士を気にしてどう二人の仲介をしてやろうかとしているのをアウモニア副団長の慧眼に見透かされ、結果として彼女が言葉を選ぶように意識させることに成功した。
「だが、ここにきてからの諸々の活動、それに不信感は抱かない。驚くほどな。」
ディートマーは、この切り返しが自分の影響を孕んでいることは知る由もないことだったが、妙に気の利いたことを言ってくれていると思って落ち着いたようだった。
「副団長、そのここでの活動に不信感がないってことと、不士が信用できるってことにはどんな因果関係があるんです?」
「どういうことだジャスタス、いままさに不信感は解消されつつあるという話だったではないか?」
落ち着いた側からのジャスタスの質問にディートマーは驚きを持って返した。アウモニアはジャスタスの発言について不思議に思ってはいないようで表情を崩していない。
「副団長は不自然な男だと言っておきながら現在に不信感はないとおっしゃった。俺にはイマイチ、信用はできないが変なやつでないとわかったと言ってるようにしか聞こえんのですが、こういう認識で間違い無いですかねえ。」
アウモニアは最後まで聞いてフッと笑った。
「なるほど、お前も不士が好きか。」
ジャスタスもニヤリと笑い、壁に背をもたれた。
「俺が見出したものですから」
二人の間には届かぬ十分な余裕があったが、ジャスタスはアウモニアに剣先を向けたように見える。アウモニアが間を置いて、「少し昔話をしてやろう」と呟くと、部屋の明かりは少しばかり淡く弱まった。
「私とヴィトルト…団長は、たがいにこの街の流れものだったんだ。ディートマーはその頃からの付き合いだったな」
「ええ、最も、お二人がいつ、どんなふうに知り合ったのかは知りませんがね。」
アウモニアが語り出したのを、ディートマーが返答する。二人の記憶にあるかつての物語が思い起こされるようだ。
「なんだ、知りたいのか?」
ディートマーの返答にアウモニアがフッと笑って聞き返す。ディートマーもまたニヤリと笑って"いつでも聞きますが、今でいいので?"と聞き返したので、アウモニアもまた"余計な世話だ"と答えて話を続けた。
「話が逸れたな。かつて私たちは互いに、この街にとって異邦者だったという話だ。それは不士と変わらない。というか…我々の団員にはそもそもこの街出身の者は少ない。この部屋ならディートマーだけだな。」
アウモニアの言葉に、ジャスタスと不士は同様の疑問を抱えた。
「「じゃあ、不士(俺)はどうして…」」
二人が同時に聞き返し始めたのをアウモニアはこの流れになることがわかりきっていたので、"あー、わかっているわかっている"と言って二人の言葉を制止した。
「つまり違いはそこだ。異邦者、流れ者とはいえ、最低限の身の上は申告するものだ。ジャスタス、お前に関しては入る時にそれを申告させたはずだが?」
不士はようやく話の話の流れが掴めてきたようだ。アウモニアは自身の身の上を語った。傭兵ギルド、妖精の口付けの設立とその物語、その最も最初の邂逅。団長ヴィトルトと副団長アウモニアの出会いと共闘。
「ヴィトルトは大層なお人好しでな。普通の人にはどうしたって見えない行き倒れのこの私を傭兵に誘って、その日の夕飯を奢ってくれた。金なんか少しも持っていなかった私が差し出せるものなんてたかが知れていたし、奴はこれからの出世で腹一杯食えるようになれば気にしないと言っていたよ。」
「へぇ、まぁ団長には俺も世話になったし、副団長が惚れ込む理由もよくわかるかな」
そういうことはないと言いかけたアウモニアが、まぁ惚れ込んではいるかと少し冷静になって面白いことになった。だから不士は聞きたかった。自分を否定する気も、はたまたただで入れてくれるような気配もないこの不思議な会話の終着点がどこに向かっているのか。アウモニアは自分に何を聞きたいのか。
不士が尋ねかけて、アウモニアは目配せする。まぁ今から語ってやろうという余裕を持った返答だった。
窓のない部屋にはすでに会話の熱は高まり、空気には温かみが広がっていたが、同時に真意と本質的な問いがどこに向かうのかわからないという不安定さはいまだに保たれている。
「不士、話を長引かせてしまったな。まぁそんなに緊張するな。つまり、私はヴィトルトがしたように、お前を爪弾きにして路頭に迷わそうとは思わない。だがひとつ条件がある。」
「条件とは、なんでしょう」
「簡単だ。真実を語ってくれ。ジャスタスとディートマーにも出て行ってもらう。私と君との間にだけそれを語れ。」
不士とジャスタスとディートマーの三者は顔を見合わせる。
「二人も悪く思うな。私はヴィトルトとは違う。ただ信じるってことに慣れた目を持っていないのさ。だから、奴の居場所を簡単に壊したくないんだ。」
「わかりました。二人とも、アウモニアさんと二人で話します。お願いしても良いですか?」
「ああ、もちろんだ。なぁに、悪いことにはならんよ。」
「副団長。コイツは悪い男じゃないが何するかまでは保証できませんぜ」
「全くガキンチョが、要らん世話だ。」
ジャスタスがニヤニヤしながらディートマーに連れて行かれるのを、不士とアウモニアはただ見送った。部屋には二人だけが残り、アウモニアは始めに座っていた奥の席に腰掛けた。
「さて、座りたまえ。待ち人がいる以上早いほうがいい…体裁がな。」
「わかりました、じゃあそうですね。何から聞きますか?」
アウモニアは"そうだな"と呟いて自らの顎に手をやり、少し思案する。その視線が鏡のように灯りを照り返す石壁に吸われたかと思うと。彼女は再び不士と目が合い
「君は一体何者だ?」
非常に根源的な問いが生まれた。
不士も即答できなかった。体のうちをグルグルと、質問の意味を考える思考が巡る。自分は本来ここにいるべきものではない。そもそもいるべきとは?では自分はここにいて然るべきということか…そもそも、何者とは、人種、民族的なことについての質問ではないのか。
1番自分を表すのにしっくり来る説明は何であるのか。自分自身、それが気になってしかたなかった。
「俺は…異邦人です。遥か遠くの。今はそれしかありません。」
アウモニアは一連の不士の一挙手一投足をじっと見ていた。つまらなそうに見えそうなほど、ひどく落ち着いた態度で。やがて少し呆れたような感じでもう一度問い直す。
「そうじゃない。私の質問が悪かったな。不士、お前はどこからきた。それはなぜだ。本音で語れ。私がわからないものだとか、隠さないといけないとかいうことは、私とお前の二人だけの秘密にするから気にするな。口約束がどれほど信用できるか不明なら、紙に誓約してもいい。」
未だ燻る不信感を胸に、不士は再考する。
「不士、君はなぜ、ここで己を成そうとしている。」
静かに、目を瞑る。
「何が、ここを選ばせた。」
不士の歩む道とは何か。自身が何者かを知る唯一の者たる己が、未だにわかりかねるもの。自分自身の不鮮明な部分。底の見えない暗い井戸で水を汲み上げ続けるような苦悩に、噂に聞いた水底にあるはずの宝石を探し続けることに似た不安。"君は何をしているのか?"と問われたら、なんと答えるだろうか。噂の宝石を探しているのだと、素直に答えようか。ないかもしれないものを探しているのだと状態を描写しようか。お金が欲しいのだと目的を語ろうか?
どれも不士にとっての答えではある。
だが、アウモニアが求めているのはそれではない。彼女が求めているのは、"なぜそれをするに至ったのか"である。
「…わかりました。正直に、素直に、全て話します。」
二人は向かい合う。男と女、先人と若人、疑念と決意。二人の間にはそれしかなかった。
「俺は…いや…この話は…」
「話せないような隠し事があるのか?…いや、これは疑り過ぎだな。言いにくいこともあるだろう。」
「ありがとうございます。実際全てを話してしまうのが怖くないと言えば、それは嘘になります。でも、その上で俺から言うことが筋でしょう?」
「そうだ。ただの優しい先達としては私から言うべきだろうが、その通りとも言い切れない。そこで見知らぬ君に私が求めるのはある種の筋を通している。」
「ええ、わかっています。すみません、仕切り直しましょう。」
「いいよ、君が話そうと言うのを邪魔するほど無粋でもない」
「…ええ、」
息を吸う…
…吐き出す。
恋情でもなく胸が早く鼓動し、部屋にそれがうるさく響くような静寂に包まれる。指先は震えて冷たいが、さほど怖いわけでもない。ただ言えばいいだけのことだ。それはわかっているが、そう簡単に言えるほどの軽さもない。乾いた指を手のひらで覆い、強過ぎず握った。
「俺は、この世界の人間じゃない。本当はこの街どころか、この国にも、この世界にもいないんだ。本当に。」
アウモニアは一瞬目が見開かれたようにも見えたが、さほどの変化にはならず、すぐに疑り深いように見つめて、それもまた辞めた。
「それで…君は何者なんだ。」
酷く驚きを欠いた反応に見えた。が、その実、アウモニアは現実にその言葉を受け入れながら俄かには信じきれず驚きを通り越した。理性で受け入れて、理性が受け入れられなかった。
「ただの人間ですよ。この世界に家も親も友人も学校もない。そう言う人間です。なにもないんです。」
「…。」
アウモニアは初めて気まずそうに目を細め、それから悲しそうな顔をした。不士の立ち居振る舞いに変化はなかった。それどころか先ほどの指先の震えはもう、止まっていた。
「私が悪かったな。」
「なんのことです?知りたかったことは、それ自体は別に変なことじゃないでしょ?」
「いや…そうだが。そうではない。」
アウモニアは一度強く目を瞑って、それから不士を見据える。目が合う両者の間に流れる空気は、おそらく両社それぞれに違っているだろうと、不士はそんなことを考える。彼女が何を決意したのかは不士の知るところではない。
「私も、自分の家から逃げたんだ。いや、逃げたのは家からじゃない…ただの世界の歯車として生きる定め、
世界の役に立つ定め、人の欲望を満たす定め。定めから…逃げたんだ。」
「それは…そっちの方が大変ですよ。俺はただ気づいたらここにいて、何もないことを自分もわからないまま、そうやって受け入れるしかない場所にいたんですよ。自分で選んだんじゃない。」
「何が大変だ。私は家族を自分を捨てて、家から逃げて、あったはずの愛も幸福も踏み躙ったんだ。ただ、今でもそれが同じ時間の中に残ってる。それだけは間違いないから完全に繋がりが絶たれたわけでもない安心感は、今もどこか胸の中にある。不士、君は違うんじゃないか?」
「わからないですよ…俺自身、まだ実感できてるわけじゃない。忙しく動いて、色々やることがあって、だから漠然と、まだそんなことを考えても仕方ないって思えます。でも、希望を捨てる時間じゃないのは確かでしょ?まだ何もわかってないんです。なんでここにいるのかも、戻れるのかどうかさえ。俺がそれを考えないのは、単に生きるのに必死だからです。それ以上でも以下でもない。」
長く話した両者に、ようやく束の間の沈黙が生まれた。ただ、アウモニアは似たような境遇にあって全く不士の考えに追いついていなかったのが、ようやく全容が理解でき始めたことで落ち着きを取り戻しつつある。
アウモニアはひとこと、呟く。
「きみは、どうしてみたい?」
不士は待ち構えていた言葉より、深く踏み込んだ返答が来たことに少し驚いて、そしてあれこれ考える。
アウモニア、彼女にとって不士は、今や得体の知れない人ではなくなった。アウモニアは理解した。不士の現実も、不士の迷いも、不士の不安も。だから希望を聞いてみた。不士の言葉にならない悲鳴は、確かに聞こえている。ではその悲鳴のもとにあって、少し光を見るなら…どんな光があるだろうか。
キメラとの戦い、ストゥウでの毎日、カミルの家…不士の、本当に帰るべき家。あの日帰ろうとして、帰れなかった家。
「傭兵に、自分が何か知りたいんです。わかるまで、戦ってみたい。必死に生きて、ますますなにもわからない俺って存在に、死にたくない理由がほしい。生きていることを感じたい。どんな生き様になったって、死にたくない抵抗ができたなら、きっと何かがあるはずですから。」
不士の目に迷いはなかった。それはもう、クヨクヨとする時間を通り抜けた心を映していた。揺れる部屋の灯りが、燃え上がる心のようにさえ見えてくる。ますます火が揺らぐたび、心のうちに熱が宿る。
「わかった、君を仮採用する。不士、その剣にかけて、必死で生きろ。…異邦の傭兵見習いよ。」
「はい!」
いよいよできました。念願の第10話です。ここまでの毎日が本当に激動で、今人生最大の過渡期にあるような気さえします。私自身がこれからどのような作品を投稿して、どのような人生を歩むのか、不士の成長と共に感じていきたいところです。
あと待たせてしまった読者の皆様。本当に長らくお待たせして申し訳ございません。質でその感謝と返礼になっているかどうかはわかりませんが、少なくとも面白いものを書こうと頑張りました。楽しんでいただけたら幸いです。




